小説「15歳の傷痕」80~動揺
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― 情熱 ―
1
「初々しかったな、あの2人」
大村が神戸に話し掛けた。
「そ、そうね…」
神戸は動揺しながら答えた。
「でもあの女の子、心底上井のことが好きで好きで堪らなかったんだろうなぁ。やっと思いが通じて、幸せなんじゃないかな」
「そうかもね…」
神戸は必死に答えた。もう3年前とは言え、一度は付き合った元カレで、なおかつ心の底では忘れられない存在、それが上井なのだから。
「でもキスまで早くない?俺がチカちゃんにキスを許してもらったのって、付き合って1年経った頃だよね。上井達って、2学期に入ってからでしょ?付き合い始めたのって。なんか、俺達、あっという間に抜かされそう」
「キスまで遅いとか早いとか…。競争してるんじゃないし。抜かされるって、何を?上井くんは今日の帰り道が、たまたま彼女さんとキス出来るいいタイミングだったんじゃないの?」
誰も通らない宮島口駅の地下通路を利用しているのは、大村と神戸だった。
今日は大村の予備校が無かったので、2人で帰っていたのだが、地下通路を通ろうとしたら、カップルが熱烈にキスを交わしている現場に遭遇し、クルッとUターンして、回り道しながら宮島口駅の前に現れたのだった。
熱烈カップルが、まさか上井と上井の彼女だと気付いたのは、神戸が先だった。
Uターンして回り道を誘ったのも、神戸だった。大村は最初は、遠慮なく横を通過すればいいと言ったが、神戸は上井が彼女とキスしてる横を通り抜ける勇気はなかった。
「なんかチカちゃん、苛々してない?上井のあんなシーンを見ちゃったから?」
「苛々なんて、してないけど…」
「でも、俺だって伊達に2年以上チカちゃんと付き合ってる訳じゃないよ。明らかにチカちゃんは苛々してる。でしょ?」
「……」
大村にズバリと指摘され、実は内心、動揺し、苛々しているのは事実だったが、神戸はそう認めたくなかった。
(上井くんが…。見間違いならいいのに…)
しばらく大村と神戸は宮島口駅にいたが、神戸は耐えられなくなり、
「ごめん、今日はもう・・・」
と告げた。大村も今日は仕方ないと思って、そのまま神戸の肩を軽く叩いて、去っていった。
神戸は宮島口駅の待合室のベンチに腰掛け、気持ちを整理していた。
何故か、涙が溢れてくる。
(彼女が出来たの?良かったね!)
そう上井に言ったのは、僅か数日前だ。
その後、進路の話とかもして、なんとなく上井よりも将来の事を考えているアピールをしたりもした。
末永先生のアドバイス通り、親友になろうとして、友人モードで色々話をした。
だがダメだ。あんなシーンを見たら、全てが無に帰してしまった。
もう上井と別れて3年近く経つというのに、その時の傷痕が塞がっていないのは神戸の方ではないか?
上井は15歳の時の傷は完治し、その後の高校生活でも受け続けた苦しい体験を乗り越え、遂に上井のことが好きで好きで堪らない2年生の女の子と付き合い始めた、神戸はそう思った。
更に上井と彼女が付き合い始めてからまだ1週間も経っていないのに、何度も2人が唇を重ね会うシーンを不意に目撃してしまった。
上井を親友として見られるのなら、何とも思わず、羨ましいね〜コノーとか言えるはず。
だがそんな感情は生まれて来ず、ただただ悔しさと嫉妬心が、神戸の心を占拠していた。
これは眠らせようとしていた、上井の事が忘れられない恋する気持ちが本格的に目覚めてしまったと言えるかもしれない。
しばらく溢れる涙をその都度拭きながら、神戸は宮島口駅のベンチに座っていた。
「じゃあ裕子、また明日ね。バイバイ」
「はい!先輩、お休みなさい。バイバイ!」
上井と彼女が、地下通路での抱擁を終え、家路に着くようだ。2人の声が嫌でも聞こえて来た。
(彼女の名前はユウコって言うのね…。アタシと付き合ってた時は下の名前で呼んでくれなかったね…)
神戸は上井に発見されたくなくて、下を向いていた。
(でも中学3年生じゃ、下の名前では呼ばないか…)
上井は、そんな神戸のことなど全く気付かないまま、定期券を見せ、改札を通ってホームへと入っていった。
(…上井くんの…バカ!アタシのバカ!)
神戸はどうにもならない自分の気持ちに整理がつかず、上井の後を追って同じ列車に乗る気持ちにはなれなかった。
2
翌日の放課後、生徒会役員会議が行われた。
各委員長は体育祭当日の、各クラスの委員の役割分担を考え、来週開催される各委員の説明会までに分担表を作るよう、山中から指示があった。
俺は風紀委員長なので、文化祭の時と同じように、各クラスの風紀委員に、グランドを回ってもらうタイムスケジュール表を作らねばならない。
その他各委員長も、役割分担を作らねばならないとのことで、俄に忙しくなってきた。
逆に俺は、文化祭の時よりも、この2年生の競技の時は3年〇組と◎組の風紀委員に回ってもらえばいいと組み立てればよいので、楽だった。どちらかと言うと生徒会主催の文化祭と、学校主催の体育祭での違いかもしれない。
「じゃあ後は各委員長に残ってもらって、色々と細かい点を詰めたいと思うんで、委員長以外は解散です。お疲れ様でした」
山中はそう言い、半分解散を宣言した。
(裕子は…どうするかな?帰るかな?)
生徒会室を先に出ていく面々を見ていたら、裕子は何やら四角を描くポーズを俺にしてみせて、出て行った。
(?なんだろ?)
よく分からないまま、俺は委員長だけの会議にそのまま参加した。
「会長、各委員を集めての会議って、いつなん?」
多分今回一番大変な役回りだと思われる体育委員長、鈴木が言った。
「ごめんごめん、さっきは来週としか言わんかったよな、俺。来週の16日の金曜日の6時間目を開けてもらえたんで、そこでやります」
山中はそう答えた。
次に来賓の接待や怪我人の救護を行う保健委員長の女子、栗栖さんが尋ねた。
「その16日の会議前に、またアタシらは打ち合わせとかで集まるん?」
「そうじゃね、一度は集まっておいた方がいいよね」
体育委員長の鈴木はもう一度発言した。
「俺の所は係が沢山あるから、もし組んでみて人が足らんようなら、生徒会役員から回してもらえる?例えば書紀とか会計とか」
「うーん、俺の中では、今の所無役の役員を作るつもりはないけぇ、来週委員長で集まって割り振りとかタイムスケジュールを見せ合って、人数のトレードとか考えようか」
そこで文化委員長の女子、谷口さんが言った。
「アタシの文化委員は、正直大した仕事じゃないけぇ、体育委員に回せると思うよ」
「そうなると、文化委員の説明会で面倒にならん?」
「まあそこは男子と女子で分けるとかね。後は話術で誤魔化そうかな。ミエハルくん、文化委員の説明会に司会しに来てよ」
「んっ?何故にそこで俺が?」
殆ど俺は喋ってなかったので、なんで俺の名前が出てきたのかとビックリした。
「なんかさー、春の新入生対象の部活説明会で、ミエハルくんが一番1年生の爆笑を持ってったらしいじゃん。だから吹奏楽部に今年の1年生が結構入ったって聞いとるよ」
「いや、その後やっぱり辞ーめたって1年生もおるけぇ、そんなに大したもんじゃないよ」
「でもアタシのバドミントン部に来た1年生は、吹奏楽部の部長さんの話が面白かったから吹奏楽部に興味を持ったけど、体験しに行ったらもの凄い人がいたから諦めて、中学の時にやってたバドミントン部に来たって言ってたよ」
山中が更にフォローしてくれた。
「上井はね、吹奏楽部でもやっぱり話が上手いけぇ、話し合いもそんなに揉めたことはなかったよ」
「いやいや、部活はもう引退したけぇ…」
栗栖さんは冷静に発言してくれた。
「そんなことしたら、風紀委員の説明会は誰がやるの?」
「確かにそうだよね、ごめんごめん。調子に乗ってしもうた。もしなんなら、俺が文化委員の説明会に同行してもええよ」
山中がそう言ってくれ、危うく他の委員の説明会に出向くことは避けられた。
「ま、そんな訳で、まずは割り振りやタイムスケジュール、よろしく。それを元にして、週明け月曜日にまた委員長だけで集まろう。そこで決まったことを、次の火曜日に全体役員会を開いて、みんなに伝えようか」
異議なし!となり、この日は解散となった。
山中はチラホラ各委員長が帰りつつある中、俺に近寄ってきて、小声で言った。
「悪かったな、上井」
「え?谷口さんの時の司会話?」
「違う違う、森川さん。帰りをバラバラにしてしもうたから」
「あっ、ああ…。まあ今日は理由が分かるから、大丈夫じゃろ」
俺は裕子が生徒会室を出て行く時に、俺を見ながら四角を作るポーズを何回かしていたのを思い出した。結局何なんだろう。
「ん?今日は理由が…って、何かあったん?」
「まあね、詳しく話すと長くなるし、もう解決したけぇ、大丈夫だよ」
「じゃあ今の所、森川さんとは、上手く付き合えとるん?」
「お陰様でね。山中は?太田さんと無事に続いとる?」
「俺らも何とか、ね。コンクールの後、時間が無くてお前や神戸さんは誘えなかったけど、プールも行って来たんよ」
「おっ、ええね〜」
「その日の帰りにさ…」
山中は、他の委員長や役員が既に帰って、俺と2人だけなのを確認してから、小声で言った。
「俺、太田と最後まで進んだ」
俺は最初、山中が言う最後までとは何のことがピンと来ず、プールの営業時間の終わりまで遊んだのかと思った。
「最後まで?そりゃ泳ぎ続けて疲れたじゃろ」
山中は苦笑いしながら返してきた。
「悪いけど上井、分かってないじゃろ。最後までってのは、つまり…セックスだよ」
「へえっ!?」
俺はまさか山中からそんな言葉が出てくるとは思いもしなかったので、驚いた後の言葉が出て来なかった。
「そ、それはおめでとう」
必死に言葉を探して発した。こんな言葉でいいのか?
「ああ、ありがとう」
途端に俺は山中が、遥か年上の恋愛マスターのように見えた。次にどう会話を繋げればいいんだ?
「でも…どこで?」
俺が言えるのはそんな言葉だった。
「その日は俺達、チチヤスのプールに行ったんだよ。その後、お前も電車から見えたことないかな、国道2号線沿いにあるモーテルに行ってさ、そこで…」
思い出した。
大野浦駅と宮島口駅の間にトンネルが何個かある。
そのトンネルとトンネルの間に、海側にいると一瞬見える、小さな小屋が並んだ箇所があった。きっとそこだろう。
「場所は分かったけど、高校生同士で入れるん?」
「建前はダメじゃけど、お互い私服だし、身分証明書出せとも言われないしさ。だから直ぐに入れたよ」
「そっかぁ…。なんかさ、色々聞きたいんじゃけど、どう聞いたらいいか分からん」
あまりに衝撃が大きすぎて、勿論興味津々なのだが、何をどう聞いたら良いのか、混乱していた。
「まあ、もし上井と森川さんが、そんな関係にまで進んだ時には、色々教えてやるけぇ、聞いてくれや」
「あっ、ああ…。頼む」
「じゃあ、帰るか。生徒会室閉めるよ」
「おぉ…」
俺は荷物を持って、生徒会室を出た。
山中はともかく、俺は太田さんのことを真っ直ぐ見られるだろうか?
吹奏楽部も引退し、多分滅多に会わないとは思うが…。
また俺は裕子を、そんな対象として見やしないだろうか。
まだまだ裕子とは、キスは交わしたが、セックスまでやりたいとは思わない。ましてや裕子はまだ2年生だ。
恐らく知識は持っているだろうが、俺のことをその対象として見てはいないだろう。
ボーッとしながら下駄箱に向かうと、山中を待っているのか、その太田さんの姿を見掛けてしまった。
「あ、ミエハル〜。久しぶり!ねぇねぇ、ミエハルに彼女が出来たって本当?」
俺はやはり太田さんを真正面から見ることが出来なかった。
「あっ、久しぶりじゃね。山中から聞いたん?」
俺はなんとなく視線を逸らしながら、会話した。
「うん。山中くんも推してた女の子らしいじゃん。ミエハル、長いこと恋愛で苦しんでたから、やっと春がきたね。おめでとう」
「あっ、ありがとう」
こんな普通に話し掛けてくれる同級生女子が、山中の前で裸になったのか?山中と裸同士で色々なことをしたのか?
どうしても信じられなかった。
「ごめん、待たせた?」
山中が生徒会室の鍵を職員室に返してから、下駄箱に戻ってきた。
「あ、山中くん。もー、待たせすぎ!」
「全部終わったけぇ、帰れるよ。じゃあ上井、ここで…」
「ああ、気を付けてな…」
「じゃミエハル、バイバーイ!」
2人は仲良さそうに帰っていった。
俺は動揺していた。
今の山中と太田さんを見ていたら、とても夏休みの終わりにセックスまで進んだようには思えない。
でも確実に2人の仲は深くなったように見えた。
(カップルだと、そこまで進む時代なのか?結婚まで待つとか、もうそんなのは古いのか?)
前に神戸は、高校生の内はキスまでと決めていると言っていたのを思い出した。
(逆に大村と神戸は、そこまで進んでないよな?そう信じたい…)
と思いながら、自分の下駄箱で靴を履き替えようとしたら、手紙があることに気が付いた。
《from森川裕子》
と書いてある。
(あ、裕子が四角を描くポーズをしていたのは、このことか…)
俺は急いで手紙を開いて読んだ。
Dear ミエハル先輩❤
先輩、ごめんね。
今日は用事があるので、先に帰るね。
でもその分、明日は絶対に先輩と帰りたいな。
また宮島口駅まで一緒に行ってもいい?
いいよね?
また明日、先輩に早く会いたいな。
今日は本当にごめんね。
この気持ち、先輩に届け!
チュッ❤
from ミエハル先輩の彼女
俺は猛烈に裕子の事が愛しくなった。
今目の前にいたら、間違いなく抱き締めているだろう。
裕子からの手紙をカバンにしまうと、俺は1人で宮島口駅へと帰り道を歩き始めた。
(1人って、ちょっと前までは当たり前だったのに、今じゃ寂しいな…。裕子、会いたいよ)
俺は1人で歩きながらそう思った。
そんな俺を、後ろから付けてくる女子がいると気付くには、時間が掛かった。
<次回へ続く>