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小説「15歳の傷痕」77〜暗雲

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― シェルブールの雨傘 ―

前日のデートの終わり頃から雲行きは怪しかったが、週明けの今日はやや強い雨となった。

そんな中を登校し、クラスで朝礼を待つ。
おはよーと言いながら末永先生がやって来て、新たな1週間が始まった。

「ミエくん、今日の昼休みか放課後、美術準備室に来れる?」

朝礼が終わった後、担任の末永先生が俺に近付いてきて、尋ねた。

「え?俺ですか?」

「そう、俺なのよ」

「マジで俺ですか?」

「マジでそうなんよ」

弱った…と思ったが、直々の指名呼び出しを断ることは出来ない。俺は頭の中で、裕子のことを思ってから、どっちにしようか考えた。

まず昼休みは、いつもなら屋上で2人で昼食と決めているが、週明けの今日はかなりの雨だった。

(雨だった時どうするか決めてなかったなぁ…。とりあえず4時限目の後、屋上への入口でしばらく裕子を待ってみることにするか…)

では放課後はと考えると、きっと下駄箱で裕子は待っててくれると思った。しかし昼休みと違い、終わりの時間が決まっていないため、先生の話が長引いたら、いくら裕子でも待たされたら怒るだろうと思った。その結果…

「じゃあ、昼休みにお邪魔します」

「分かったよ、了解」

末永先生はニコッとして、そう言った。その笑みが、却って俺を不安にさせる。

「あの、話ってなんですか?」

「今言える訳ないじゃない。今言えたら、とっくにミエくんを廊下に連れ去ってるよ。アハハッ」

「は、そうですね…」

「じゃあ昼休みに、待ってるよ」

と末永先生は言い、教室を去っていった。

(何だろ?呼び出される理由が分からん…)

後ろの席の三井が、何か悪いことしたんなら、早目に謝った方がええよと、声を掛けてくる。

特に思い当たることはないんよ〜と返答したが、本当に俺には先生に呼ばれる理由がピンと来なかった。


結局その日の午前中の授業は、ソワソワして身に入らず、気持ちも上の空になってしまった。

日本史の授業では、先生に指名されたのにボーッとしていて、先生に大丈夫か?と心配までされた。

そして4時限目の古文が終わると、俺は屋上へ続く階段へ向かった。
雨はまだ激しく降っている。
屋上で弁当を食べることなど無理なのは自明だが、裕子とは雨が降ったらどうするか決めていなかったので、とりあえず屋上に上がる入口で、裕子が来るかどうか待ってみることにしたのだ。

雨の音を聞きながら、俺は裕子を待ち続けた。

(4時限目が終わってから結構経つのに…)

結構待ってみたが、裕子は来なかった。

(顔ぐらい出してくれよ…)

時計を見たら昼休みが半分過ぎていたので、俺は舌打ちし、そのまま美術準備室へと向かった。裕子に対して苛立ちを覚えたのは初めてだった。

(雨だから屋上はないって、勝手に決めたのか?)

俺は苛々しながら美術準備室に向かい、空腹とも闘っていた。

「失礼します、先生」

「おぉ、ミエくん、待ってたよ」

「先生に呼ばれるなんて、また俺の成績がどうにかなりましたか?」

「ハハッ、まだ2学期が始まったばかりだよ。成績どうこうの話じゃないんだ、今日は」

「え?成績じゃないんですか。もしかして…大谷さん絡み…」

「ん?何々、ミエくんはカオリンのこと、気になってるの?例の件で」

「あれ?先生のその反応だと、大谷さん関係でもなさそうですね…。分かんないや…。降参です」

「フフッ、まあそんな大袈裟なことでもないんだけど、ミエくん、まず一つ目。神戸さんと仲直りしたんだって?」

「あっ、はい。あれ?先生に報告してませんでしたっけ?」

「そうだよ。ある筋から聞いたら、文化祭の後に仲直りしたんだってね。良かったじゃん!」

「はい…」

「あれ?高1の百人一首大会とか、吹奏楽部での会話とかはあったけど、友達みたいな関係に戻ったのは、2年半ぶりなんでしょ?なんか、そんなに嬉しくないみたいね…」

俺は仲直りしたのはしたが、進路について遥か先のことまで視野に入れていて、結局友達として話すだけで大村の存在には敵わないこと等から、最初は偶々だが2人で帰ったり、プールに行ったりして楽しい時間を過ごしていたが、ここ数日は話せば話すほど、神戸に対して圧倒的な引け目を感じていた。劣等感とでも言えるだろうか。

「結局あの子は、絶対的な彼氏がいて、なおかつ頭も良くて、仲直りしても、もう別の世界の住人だということが、最近分かってきたんです」

「おいおいミエくん…。らしくないぞ。どうしたの?」

神戸から聞いた、今でも実は上井のことが好きな気持ちが、上井には届いてないことが分かった。一体2人はどんな会話を交わしているんだろうか…。

「先生、結局話って、神戸さんと仲直りしたことを言ってなかったから、ちゃんと教えなさいということでしょうか」

「あっ、実はね、もう一つあるんだけど…」

「え?」

「ミエくん、年下の彼女が出来たんだって?」

「せ、先生、なんでご存知なんですか?」

俺に彼女が出来たのを知っているのは、神戸、大村、山中、もしかしたら若本、くらいの筈だ。この中で誰かが末永先生と繋がっているのだろうか。

「詳しくは言えないけど、アタシのところにもその情報が届いたんだよ。良かったね。ミエくん、モテないモテない、ってずっと言ってたからさ」

「ありがとうございます。でも、もうダメかもしれません…」

「おいおい、どうしちゃったの、ミエくん。えらい今日はネガティブじゃない」

「すいません、先生。ある事情で弁当食べてないのもあるからかもしれません…」

「はっ?お昼食べてないの?えー、もう5時限目まで時間がないよ。5時限目の授業はなに?」

「体育なんです」

「うわっ、よりによって…。大丈夫?」

「…まあ、何とかなりますよ。雨だから体育館だろうし」

「無理しちゃダメだよ。辛かったら体育の先生に言って、見学するなり、弁当食べに此処に来てもいいから。アタシが呼び出したから、ちょっと責任があるしね」

「はい、ありがとうございます、先生」

「じゃあ、気を付けてね」

「失礼しました…」

俺は美術準備室を辞し、クラスに戻った。普段は5時限目の前に掃除をするのだが、雨の日は掃除が免除されて、そのまま5時限目に入ることになっていた。

クラスでは既に女子が女子更衣室へ向かい始めており、男子は女子がいなくなったのを確認してから着替え始めていた。

俺も体操服を取り出し、着替え始めた。

「何処行っとったん?先生の所?」

後ろの席の三井が、声を掛けてくる。

「あっ、うん。じゃけぇ、弁当食べとらんのよ」

「えっ、体育大丈夫?」

「多分大丈夫じゃろ。雨じゃし体育館だから、そんなに激しくないと思うしね」

と言いながら着替え、三井と共に体育館へ向かった。


「腹減った〜」

俺は体育館で5時限目の体育の授業前に、思わず呟いた。
だが今日が晴れていて、外での体育だったら、クラス対抗リレーの練習を行うことになっていたので、もしそうだったら間違いなく倒れていただろう。
もっともその前に晴天であれば、屋上で裕子と弁当を食べられたと思うので、腹が減ったとかボヤくこともなかっただろう。

そこで5時限目のベルが鳴り、先生が出て来た。体育は2クラス合同で行うので、今体育館には7組と8組がいる。
また普段は男子と女子別々に体育を行うが、雨で体育館で授業を行う時は男女一緒に行う。
そのためかなり体育館内は騒々しかったが、先生が出てきたら少しずつ静かになる。不思議なものだ。

「今日は雨なんで、7組と8組合同で、フォークダンスの練習をすることにする」

生徒達からは、何とも言えないどよめきが起きた。

「ま、みんな知ってる通り、本番では2年生の男子が足りない男子のフォローに入るが、今日はさすがに無理なので、一部の女子は女子とばかり踊り続けるが、まあ、勘弁してくれや」

女子からは、えーっという声が上がったが、先生もリラックスしているのか、なんだ、どうしても男と踊りたい女子がいるのか?と茶化していた。

「まず、各クラス男女別に、背の低い順に並んでくれ」

ワイワイと言いながら、背の低いと思われる順に、両クラスの男子と女子が並んでいく。

「うーん、ちょっとズレてる気もするが、まあ今日は初めてだからいいか。まずそれぞれのクラスで、背の高い女子は何人か、男子側に移ってくれるか?もし奇数で人数が合わない時は、先生方が入るから、教えてくれよ」

7組も8組も、丁度の人数のようで、その声は上がらなかった。

「じゃ、男子と女子は向き合ってくれ」

言われた通りに女子の方を見ると、さっきから横に立っていてくれて誰かなのは分かってはいたが、顔を直視して、照れてしまった。

「喋るのは久しぶりだね、佐々木さん」

「ホンマじゃね、ミエハルくん」

俺の最初のパートナーになってくれる女子は、大谷香織さんと仲の良い、佐々木京子さんだった。ちなみに大谷さんはもう少し前側にいたので、ダンスのメニュー次第ではすぐに大谷さんとダンス出来る。
久しぶりに話せるかなと、思っていた。

「はい、その状態で、少しずつ丸い円になるように、膨らんでみて〜」

「えー、真ん中辺りの俺らが、一番動かなきゃいけんじゃん、面倒じゃね」

「フフッ、そうじゃね」

大体円になったところで、男子が内側になるように…と言われ、7組の方が男女で入れ替わった。

「じゃ、フォークダンスの定番のヤツから練習してみるけぇ、男子は右手を女子の背中から右肩に回して、女子は右手で男子が回してきた右手を受け止めてくれ。左手は体の前側で繋ぐように」

体育館内がキャーキャーと騒がしくなってきたが、俺は空腹が響き、少し辛くなってきた。

「アレ?ミエハルくん、顔色が悪いけど、大丈夫?」


佐々木さんがふと俺の顔を見て、話し掛けてくれた。

「大丈夫だよ。顔色が悪い?気のせい、気のせい!元々色白じゃけぇ、悪く見えるんよ」

俺はせっかく女子とのフォークダンスの練習だけで済む体育の授業をサボるのが嫌で、少し無理をした。

「じゃあとりあえず一度、やってみようか。中学の時にも多分みんなやってるだろうから覚えとるじゃろ?あと去年、先輩女子と踊った男子は、しっかり女子をリードするように!」

体育の先生の大きな声が、空腹の俺を襲う。

「そう言えばミエハルくん、去年の体育祭で、3年男子の助っ人になってなかったっけ?」

「う、うん。よく覚えとるね…」

「じゃ、安心して任せるね。リードよろしく」

そして音楽が鳴り、とりあえずのフォークダンスが始まった。

(確かこうだったはず…。しかし腹減った…。なんだ?目の前がクルクル回る…)

佐々木さんと踊り始め、何歩か歩いたところで、俺は遂に空腹から目眩を起こした。

「佐々木さん、ごめん、ちょっと気分が悪くて…」

俺はその場に佐々木さんを引き摺るようにしゃがみ込んでしまった。

「やっぱり!ミエハルくん、無理しちゃいけんよ。せーんせーい!」

フォークダンスの音楽が止まり、体育の先生が2人、俺と佐々木さんの所へ駆け付けてくれた。
周囲も騒然としていた。

「どうした?上井、顔色が悪いぞ」

「はい、アタシと踊る前にも、ちょっと顔色が悪いなと思ったんですけど、上井くん本人は大丈夫としか言わなかったので…」

佐々木さんが説明してくれた。

「とりあえず保健室へ行きなさい。一緒に行ってもらうのは…」

「アタシが行きます。最初から上井くんの様子を見ていたので…」

佐々木さんが女子ながら立候補してくれた。

「そうか?男子の付き添い、大丈夫か?上井、聞こえるか?どうだ、佐々木さんが付き添ってくれるって言ってるけど、歩けるか?」

「あ、はい…。多分…。もしかしたら肩を貸してもらうことになるかも分かりませんが」

と言いながら、俺は立とうとしたが、まだ目の前がグルグルしていたので、フラ〜ッとなっていた。

「急な目眩だな…。低血糖が起きてるかもしれないから、佐々木さん、悪いけど、保健室まで上井を連れてってやってくれるか?」

「はい、アタシは全然問題ないですよ」

「じゃ、7組の上井と佐々木さんを抜いた形で、フォークダンスは続ける」

体育館内はまだ騒然としていたが、先生が強引にフォークダンスの輪を作り直していた。

「ミエハルくん、アタシの肩に掴まって。肩に掴まったら、歩ける?」

「ごめんね、佐々木さん。俺が相手だったばっかりに…」

「なーに言ってんのよ、気にしないで、ね」

俺は佐々木さんの肩に掴まり、ゆっくりと歩き出した。その場面を大谷さんが心配そうに見ているのが、俺の視界に入った。

「何とか歩けそうだね。ゆっくりでいいからね」

「ごめんね、本当に」

「いいんだよ、本当に気にしないでね。じゃ、ミエハルくんを元気にしてあげる話をしようか。実は文化祭の後から、ミエハルくんの人気が、女子の間で高いんだよ。知ってた?」

俺は辛うじて歩いている状態だが、聞き捨てならないことを聞いたように思った。

「な、なに、それ。文化祭の後から?」

「そう。ミエハルくん、吹奏楽部のステージで、アタシ達の予想以上のドラム演奏を披露したじゃない?まさかあのミエハルくんが?みたいな感じで、女子からの人気急上昇よ」

「全然知らんけど…本人は」

「だよね。あ、シューズ、履き替えられる?手伝おうか?」

体育館での授業の際は、専用のシューズを履くことになっていた。やっと校内まで戻ってきたので、校内の上履きに履き替えなくてはならないのだが、目眩が酷いので、キツく履いた体育館シューズを脱ぐのが大変だった。

「アタシ、ヒモを緩めてあげるから」

そう言うと佐々木さんはしゃがみ込み、俺の体育館シューズのヒモを両方緩めて、脱ぎやすくしてくれた。
しゃがみ込んだ佐々木さんの背中に、薄っすらとピンクのブラジャーが透けて見えてしまったが、こんな時にも男の本能は発動するのかと、俺は内心で苦笑した。

「どう?脱げるかな?」

佐々木さんが立ち上がって、そう言った。
立ち上がる時には、ブルマーの裾ゴムに指を入れ、食い込みチェックをしていたのもつい男の本能で見てしまって、俺は佐々木さんに申し訳なくなった。
だが言葉に出すものでもない。俺はシューズを片足ずつフラフラさせ、落とすようにして脱いだ。

「良かった、脱げたね。じゃ、ミエハルくんの下駄箱は…っと…あ、ここだね。体育館シューズ、入れとくよ」

「ありがとう…」

「そして、上履き。はい、履いて」

俺は上履きを履き、しばらく佐々木さんが体育館シューズから上履きに履き替えるのを待った。

「お待たせ、じゃ保健室へ行こう。アタシの肩に掴まって」

「うん。ごめんね、本当に」

俺は再び、佐々木さんの肩に掴まった。

「いいんだよ、本当に。クラスの女子は、アタシがミエハルくんを独占したから、内心嫉妬してる女子もいるかも〜だけど」

「でも本当の話なの?それって」

「本当だよ。でもね、どの女子か?までは秘密。ミエハルくんも、それが誰なのか、元気になってから推理してみて」

「ハハッ、推理ね。了解…」

等と話しながら、俺と佐々木さんは保健室に着いた。

「先生、いらっしゃいますか〜?」

佐々木さんが、保健室のドアを開けて、中に向かって声を挙げた。

「はいはい。アレ?どうしたの?3年の上井くんだったっけ、彼が体調崩したの?」

保健の先生が奥から出て来た。まだ若い、末永先生と同い年くらいの先生だ。

「そうなんです。5時限目が体育で、雨だから体育館でフォークダンスの練習になったんですけど、アタシと踊ろうとしたら、上井くんがゴメンって言いながら倒れ込んじゃって」

「それで、ここまで肩を貸して歩いて来たんだね?わぁ、なかなか出来ないよ、そんなこと…。偉い!佐々木さんって言うの?」

「はい、上井くんと同じクラスの佐々木です」

体操服には、苗字が刺繍されているので、それで分かったのだった。

「とりあえず上井くん、ベッドで横になって。症状はどんな感じ?」

俺はベッドに倒れ込むように寝転がり、目眩が酷いんです、と伝えた。

「そうなんです。だから真っ直ぐ歩けなくて、フォークダンスの相手だったアタシが、そのまま上井くんを連れて来たって感じです」

「そうなんだ。ね、上井くん、お昼ごはんは食べた?」

「食べてないです…」

「えっ、食べてないの?」

と、佐々木さんと保健の先生、両方が驚いた。

「じゃあ多分、空腹で血糖値と血圧が下がって、目眩を起こしちゃったんだね」

「先生、こんな時はどうして上げたらいいですか?」

「まず、本当は食べてないお昼ごはんを食べればいいんだけど、気持ち悪いだろうから、コレが今一番の薬かな」

佐々木さんと先生が会話をしていた。俺はやはり目眩が続いていて、保健室の天井が回って見える。

「はい、上井くん。コレ、舐めて」

と先生が渡してくれたのは、飴玉だった。

「えっ、先生、飴玉で治るんですか?」

「まあ、すぐに完治はしないけど、徐々に治まると思うよ。あ、多分上井くんは6時限目も休ませた方がいいから、担任の先生に連絡するわ。何先生?」

「美術の末永先生です」

「末永先生…は、授業中だね。5時限目と6時限目の間に連絡しとくわ。あと佐々木さん、上井くんのクラスの席って分かる?」

「はい、分かります」

「そしたら悪いけど、上井くんの荷物と、多分グチャグチャに置きっぱなしになってると思うんだけど制服を持って来てくれないかな…」

「あっ、はい。いいですよ。今すぐがいいですよね」

「うん。ごめんね、お願い!」

「はーい!」

佐々木さんはそう言うと、保健室から出て教室へ向かった。

俺はその間、保健の先生に色々聞かれることになってしまったが。


あっという間に佐々木さんは、俺のカバンと制服を持って来てくれた。体操服のままだから、恥ずかしかっただろうに…。

「ありがとう、佐々木さん。このお礼は必ず…」

「何かしてくれる?フフッ、そんなの、気にしないで」

その内5時限目が終わるチャイムが流れ、保健の先生は末永先生に連絡を入れていた。

「佐々木さん、6時限目は?大丈夫?」

「うーん、末永先生に説明するまで、ミエハルくんの横にいるよ」

「いいの?」

「だって…」

と、ここで佐々木さんは小声になって、

「ミエハルくんを看病するなんて、もうないと思うから」

と言った。

「そ、そんな…」

俺は照れてしまった。

そこへ末永先生が駆け付けてきた。

「ミエくん!やっぱり心配してた通りになっちゃって…。大丈夫?」

「先生、すいません」

「アタシから6時限目の先生には伝えとくけど、佐々木さん?どうしたの、ブルマ姿のままで」

「あ、コレは訳があって…」

佐々木さんは一連の経緯を末永先生に説明した。

「なるほどね。佐々木さんは6時限目は何?」

「ミエハルくんと同じ、現代文です」

「そうなんだね。う~んと、そしたら…」

末永先生はしばらく何か考えていた。

「佐々木さん、ミエくんと一緒に、6時限目も保健室にいなさい」

「えっ?アタシがいてもいいんですか?」

「まだミエくん、目眩は治まらないでしょ?」

と先生に聞かれたので、

「はい、さっきより少しは落ち着きましたけど、まだ天井が回ってます〜」

「ね、ミエくんがこんな状態だし、保健室の先生もね、確か6時限目からお休み取って、広島市内に会合に行かなきゃいけないはずなのよ。ね、先生」

「はい、どうしても欠かせない会合なんです」

保健の先生が集まる総会があるらしい。

「アタシは授業があるでしょ。だからちょっと無理だし…。逆に今、佐々木さんがクラスに戻ったら、ミエハルはどうしたーって質問攻めに遭うと思うのよ。嫌でしょ?だから担任公認で、現代文を公欠にしてあげるから、ミエくんの看病してほしいの」

「えーっ、なんか凄い展開ですけど、いいんですか?アタシが?ミエハルくんの看病?」

「そう。保健室の鍵は、内側から掛けておいた方がいいわね。放課後とか、ドッと生徒が来るから…。先生、外から閉める鍵はありますよね?」

「はい、引き出しに入ってます」

「じゃあその鍵で、ミエくんが回復したら、様子を見ながら保健室から脱出しなさい。その前に、アタシに内線電話ちょうだいね。あと佐々木さんもいつまでもブルマでいる訳にもいかないでしょ。女子更衣室に制服はあるの?」

「はい、制服は女子更衣室です。カバンは教室ですけど」

「じゃあ、6時限目の途中、タイミングを見計らって、体操服から制服に着替えておいで。その時、ちゃんと鍵を外から開け閉めするのよ」

「わ、分かりました」

「電気も、ギリギリまで消しておいた方がいいわね。電気が点いてると、中に誰かがいるって思われるから」

「は、はい…」

ここで6時限目開始のチャイムが鳴った。

「じゃアタシは授業に戻るから、後は任せたよ、佐々木さん。先生も出張、行って来て下さい」

「分かりました。佐々木さん、よろしくね。思わぬ大役になっちゃったけど」

「はい。これも運命だと思って、頑張ります!」

「じゃ、アタシと先生が出たら、すぐ内側から鍵を掛けるのよ。そして電気も、最小限にしてね。ミエくんが体調急変したりしたら、授業中でも遠慮なく内線電話掛けてきてね」

「はい、分かりました」

そして、2人の先生が保健室から出るや否や、佐々木さんは直ぐに内側から鍵を掛け、電気も俺が寝ているベッド付近だけを残して全部切り、フーッと一息付くと、ゆっくり俺の横に来てくれて、丸椅子にチョコンと座った。

「な、なんか大変な事になっちゃったね」

「本当だね。まさか保健室の先生までいなくなるなんて思わないもんね」

「佐々木さん、寒くない?雨だし、体操服のままで…」

「うん、寒くはないよ。でもブルマー一丁でミエハルくんの看病することになるとはね」

「本当に不思議なものだよね。タイミングみて、制服に着替えてきてね」

「うん。でも無理に6時限目中にコソコソ動くのも、ちょっと…ね。誰かに見付かるのも嫌だし。放課後になってからの方がいいかも」

「そう?」

「うん。だってミエハルくんとアタシしかいないんだから。今更ブルマーを恥ずかしがる必要もないでしょ」

「ま、まあ、そりゃあそうだけど」

とは言うものの、ブルマーのままの同級生女子がいるのは、意外にコッチも恥ずかしかった。

「あ、ミエハルくん、熱測ったっけ?一応測っとこうよ」

佐々木さんは立ち上がり、先生の机付近から体温計を探して持って来てくれた。

「ありがとう〜」

「やっぱり体温測定は、一番の基本じゃけぇね」

俺は体温計を脇に挟みながら、佐々木さんに聞いた。

「もしかしたら佐々木さん、看護婦さんになろうと思ってる?」

「えっ、どうして?」

「俺がダウンした時、保健室への付き添いにすぐ立候補してくれたし、保健の先生への説明とか、今体温計を探してくれたのとか…」

「そうね〜。進路として考えてないことはない、かな?」

「そうなんだね」

「でも、普通の短大にも興味あるし、まだハッキリとは決めてないんだ」

そんな会話をしていたら、保健室閉まってるじゃん、えーっ、とかいう声が聞こえた。ドアを開けようとする音も聞こえた。
直ぐに何処かへと消えたが、授業中にフラフラ保健室へ来る生徒って本当にいるんだ、と思った。

「鍵掛けといて良かったね」

「本当!やっぱり制服に着替えるのは、放課後ある程度時間が立ってからにするわ」

俺は偶然の重なりだが、佐々木さんが一緒にいてくれて良かった、と思った。他の女子だったら、こんなにテキパキと動いてくれただろうか?

「そうだミエハルくん、体温計見せて」

「そうだね、忘れてた。はい」

「うーん、37.2℃。微熱があるね。雨の中を帰らせる訳にはいかないなぁ。目眩はどんな感じ?」

「少しずつ治ってるような気はするんじゃけど…。ジッと天井見ると、まだゆっくりと回ってるよ」

「本当なら早く帰って、病院に行った方がいいんだけど…。でもきっとミエハルくん、動くのも面倒でしょ?」

「よく分かるね…。やっぱり昼の弁当を食べとらんけぇ、体力がないんよ」

「でしょ。ねぇねぇ、なんでお昼、食べられなかったの?」

「あっ、あのね…」

ここで、裕子のことを待っていたからと素直に答えるべきか、俺は悩んだが、言わないことにした。

「末永先生に呼ばれてたじゃん?ソレも関係するん?」

「まあ、ちょっとは、ね」

「お昼はちゃんと食べなくちゃ、ね。でも今日のお弁当は、止めといた方がいいよ」

「え?そうなの?」

「これだけの雨が降り続けとるけぇ、湿気とかで万一腐ってしまうかもしれんから」

「なるほど…。さすが女の子じゃね!」

「いやいや、照れるじゃん」

そう会話している内にも、何度か保健室へ授業を抜け出してやって来る生徒がいた。
なんだ、先生いないのか…と言って帰っていくが、その度に俺と佐々木さんはビクッとした。

「授業を抜けて保健室に来る生徒って、本当に多いね」

佐々木さんがそう言った。

「本当だね。でも俺みたいに体調悪くて…って生徒は今の所いなさそうだよね」

「そうだよね。あ、ミエハルくん、飴玉、もう1個舐める?」

「あっ、そうだね。もしどっかにあれば、もう一つ舐めたいな」

「ちょっと待っててね…」

佐々木さんは立ち上がって、先生の机付近を探し出した。その後ろ姿を見ていると、ブルマーに包まれた佐々木さんのお尻に、どうしても目が行ってしまう。

(俺の為に動いてくれてるんだから、ブルマーのお尻なんか見ちゃダメだろ、俺は)

そのタイミングで、6時限目終了のチャイムが鳴った。

「あ、6時限目が終わったね。飴玉もあったよ」

佐々木さんがそう言って、引き出しから見付けた飴玉を数個、俺に見せてくれた。

「はい、好きなの選んでね」

「ありがとうね」

外がザワザワしてきた。帰る生徒、部活に行く生徒で入り乱れているのだろう。

「ミエハルくん、調子はどう?」

「もうちょいかな…」

「もうちょいなら、アタシも最後まで付き合うよ」

ふと俺は、裕子のことを思い出した。もしかしたら今頃、下駄箱で俺のことを待っているかもしれない。

だが昼休みに待たされた挙げ句、姿を見せずに、弁当を食べ損ね、その結果体育で目眩を起こし、佐々木さんに迷惑を掛ける形で保健室で休む羽目になったことを考えると、流石に俺も裕子に苛ついた感情が再び湧いてきた。

(今日くらい、待たせちゃえ…その内、諦めて帰るだろう)

その頃予想通り、森川裕子は下駄箱で上井を待っていた。

(ミエハル先輩、遅いなぁ…。やっぱり…屋上の入口で待っててくれたのかな…)

裕子は昼休みの動きを、後悔していた。

最初は雨が降った時に昼の屋上をどうするか決めてなかったので、行くかどうか迷ったが、一応行こうとしたのだ。

だが友達が一緒にお昼を食べようと誘ってくれ、雨が強く降っていたことから、先輩は雨だし来てないよね…と自分に思い込ませ、友達と教室で昼ご飯を食べたのだった。

(同じ学年なら…ミエハルくーん、って様子を見に行けるのに。学年違うと、そんなこと、出来ないもん…)

裕子は、上井と同じクラスかもしれない上級生に、上井はもう帰ったかどうか聞こうかと何度も思ったが、勇気が出なかった。

そして約1時間程待ち続けたが、一向に姿を見せない上井のことを、遂に諦めた。

(やっぱりお昼に、先輩は屋上入口でアタシのことを待ってくれてたんだ…。アタシが姿を見せなかったから、怒っちゃったんだ、きっと…)

裕子は涙が溢れてきた。
ただ上井の下駄箱を覗くと、まだ帰ってないのは分かった。
校内の何処かにはいる筈なのに…。

裕子は生徒手帳を1枚切り取り、メモを書いて上井の靴の上に置き、泣きながら傘をさして帰った。

《Dear ミエハル先輩

 今日はごめんなさい。

 お昼に先輩に会いに行かなくて、ごめんなさい。

 アタシは先輩の優しさに甘えてました。

 放課後、1時間待ってました。

 でも先輩は来てくれませんでした。

 怒っておられますよね。

 本当にごめんなさい。

 もしアタシのこと嫌いになったら

 明日、屋上で聞かせて下さい。

 明日のお昼、待っています。

               from 森川裕子》

<次回へ続く>


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ミエハル
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