水泳競技記録会 in 1985
久々の記事になってしまいました💦
例のヤツが陰性になり、職場復帰も果たしたのですが、後遺症ってのに苦しんでおりまして…
喉がまだスッキリしないのが一つ、全身の倦怠感がも一つ!
仕事しててもダル重~って感じで、帰宅したら夕飯も風呂もどうでもいいから寝させてくれ!ってくらい疲れるんです。
元々疲れやすい体質(←そんなのあるのか?)ではあるのですが、養成ギプス着用後は明らかに増幅してます⤵️
見たいテレビ番組も娘に録画しといて~と頼んで寝てしまう、だから録画が溜まる一方で容量を圧迫するという悪循環にも陥っています。
そのせいで皆様の所へもお邪魔する気力がなく、誠に失礼ばかりしております、お許し下さい🙇♂🙇♂🙇♂
さて話題を変えまして(←強引)
全国の皆様、水泳は好きですか?
私はレジャー的なのは好きですが、体育系は嫌いです(笑)
小学生の時、実は3度も右耳の中耳炎のお陰で、6年間の内ほぼ半分以上は水泳の授業を免れていたのもあり、水泳レベルとしては実に中途半端な状態で、中学へ進学いたしました。
実はその小学生の時、あまりに泳げない我が息子を不憫に思ったのか、母が当時住んでいた横浜での最寄り駅、三ツ境駅すぐそばの水泳教室へ私を無理矢理入学させてくれまして。
ですがその教室は五輪選手を出すほど、メッチャ厳しいことで有名だったんです。
その内私はサボり始めるようになり、ある時、公園で海パンを水で濡らして1時間過ごしてから帰宅したら、速攻でバレまして、そんなに嫌なら辞めてしまえ!と怒られ、逆にラッキー💖ということもありました🤣
そのため私のレベルは、「息継ぎできるようになろう」で止まっています。
そんな私を襲った、生まれて初めての大ピンチ!
それは中学3年生の今頃のことです。
中1、中2の時にはなかった、「水泳記録会」というものを、何故か中3はやらされることになっていました。
中3の今頃というと、よく私の記事に登場する初めての彼女さんとまだ初々しいお付き合いをしていた頃です。
相手の家に電話するのに1時間半かかったり、時折肩と肩がぶつかるだけで猛烈に照れてしまうという、恥も外聞も大アリの頃です。
そんな時に、息継ぎも出来ない私が、公衆の面前というだけではなく、初カノさんの前で、クロールで25mも泳がなくてはいけない、これはパワハラだと思います!(笑)
何とか私は当日欠席しようと、あるいは記録会を潰そうと、本気でテルテル坊主を逆さに何体も吊るし、風邪をひこうとして何も着ずに寝たり(安心して下さい、下は穿いてましたよ!)、15歳なりに知恵を働かせたのですが、万策尽きました…。
本番の日、見事に晴れ渡った青空🌞
水泳には絶好の日🏊
予定通り「水泳記録会」は実施されました。
私は最後の抵抗としてワザと左足を引き摺るようにして歩いてみたんですが、誰も気に掛けてくれず、本当に無駄足でした。
いざ本番が始まり、少しずつ私の出番が迫ってきます。
ふと私の彼女さんは何処にいるんだろう?と探したら、女子側の席で、何故か水着姿ではなく、体操服姿で応援部隊を務めてました。
(元気そうなのになんでやねん?)
と思いましたが、何故そういうスタイルだったのかをもし当時本人に聞いていたら、その場でフラれていたかもしれません💔
そして私の番が来まして、もうどうにでもなれと思って必死に泳ぎ、出来ないと思っていたクロールでの息継ぎも何とかぶっつけ本番で形になりまして…。
最終的には25mを、22.6秒で泳ぎ切りました。
当然断トツのビリなんですけど、その後誰からも何も言われず、彼女さんからは「頑張ったね!」と言われ、私の生まれて初めての大ピンチを乗り越えることが出来ました
人間って追い込まれると、出来ないことが出来るようになるんですね❗
そんなことを学んだ、中3の2学期初めでした~🤗
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