小説「15歳の傷痕」47
<前回はコチラ>
- FU-JI-TSU -
1
「ミエハル先輩!」
校門を出ようとしていた俺を呼び止めたのは、吹奏楽部の打楽器の1年生、藤田恵美だった。
「えっ、藤田さんだよね?どうしたの?」
「ミエハル先輩に名前を覚えててもらって、嬉しいです。実は先輩が、夏のコンクールで、打楽器ではなくサックスから出られると聞きまして、アタシ、メッチャ寂しくて…。アタシ、ミエハル先輩から色々と教えてもらいたいことがあったのに、これまで全然お話しすら出来てなくて、このままじゃミエハル先輩は遠い世界に行ってしまうと思って、絶対に待ち伏せできるここで、先輩を待ってました」
藤田さんは一気に思いの丈を喋ったようだ。喋り終った後に、ハァハァと運動後のような荒い息遣いをしていた。
「俺なんかに?打楽器のことなら宮田さんに聞けば、全然大丈夫だと思うよ?俺みたいな素人に毛が生えた程度の人間よりも…」
「いえ、宮田先輩は、ドラムはともかく、ティンパニは高校に入ってから殆ど叩いて無いに等しいって言ってて、この1年ずっとミエハル先輩に任せっきりだった、そう言うんです」
そういえば確かに俺が打楽器に移る前のティンパニは、留学前の松下弓子か先輩が担当していて、宮田さんは初心者ということもあって、スネアや小物系から始めて、俺が移る頃、鍵盤系に取り組み始めていた。ティンパニには殆ど関わっていない。
(だから宮田のアネゴは、俺みたいにティンパニは叩けないと言っていたんだ…)
なんとなく藤田恵美の言いたいことが見えてきたような気がした。
「藤田さんは、コンクールでティンパニを叩くことになったん?」
「実はそうなんです。今日も先輩がバリサクに移られたので、新たな楽器割をしたんですけど、宮田先輩はティンパニは課題曲か自由曲のどっちか1曲だけで勘弁してとかいうし、じゃあアタシが宮田先輩が選ばなかった方を叩きます!って宣言したんですけど…。誰も教えてくれる人がいないんです。宮田先輩もどっちかというとティンパニは不慣れだから、教えてほしい派なんですよ。あまり先輩に弱みを見せたがらない人だから、先輩も聞いたことないと思いますけど。そこでミエハル先輩、バリサクから戻れとは言いませんが、アタシ達にティンパニのレッスンをしてくださいませんか?」
藤田さんは一気に俺へ思いをぶつけてきた。
既に夏とは言え、暗くなり始めている。早く藤田さんを帰してあげねばならない。
宮田のアネゴと同じ中学校ということは、俺とは逆方向に帰らねばならないから、途中まで一緒に…という訳にもいかない。
「藤田さん、気持ちはしっかり受け取ったよ。分かった、サックスのメンバーに許可取って、自分が出来る範囲でティンパニを教えるから」
「えっ、本当ですか⁉️嬉しい…。ありがとうございます❗ミエハル先輩のエッセンス、アタシと宮田先輩に教えて下さいね」
「えっ、なんで我が家のシャンプー知ってんの?」
ちょっと緊張した場面だったので、俺は小ボケを挟んでみたが…。
「シャンプー?シャンプー…。あっ、エッセンシャルシャンプー?んもー、ミエハル先輩、突然ボケないで下さいよ!アハハッ」
まだ俺との会話のリズムが慣れてないので仕方ない。が、藤田さんは深刻だった顔が穏やかな顔になった。
「ごめん、藤田さんはトニックシャンプーだった?」
俺は更に追い打ちをかけてみた。
「そんな訳、無いじゃないですか。先輩と話すと楽しいって宮田先輩は言ってたけど、なるほど、こんな感じなんですね!アハハッ」
「藤田さんはまだまだ修行が必要じゃのう」
俺は藤田さんと会話を交わす内に、ノリが合う子だと思った。
「そ、それは置いといて、先輩がティンパニを覚えた時の話とか、それと先輩との会話も修行するので、教えてくださいね!」
「まあ、俺なりにサポートするよ。これは約束するね」
「はい、ありがとうございます!じゃあお先に失礼します!」
藤田さんは俺が帰る方向とは逆の方へと歩いて行った。
「暗くなったけぇ、変態には気を付けるんよ!」
「はーい!変態は蹴っ飛ばしてやりまーす!」
そんなセリフが、本当に宮田さんとソックリで、中学からの先輩後輩というのは強いな、と俺は思った。
2
7月に入ると直ぐに期末テスト、そしてクラスマッチと続くので、部活も休止となる。
期末テストで部活休止期間に入る前に、俺は朝練と昼練でバリサクの基礎練習をして、放課後は打楽器へ出張してティンパニ講座を開いて、宮田さん、藤田さんに音階の合わせ方、マレットの選び方など、俺なりにこの1年で覚えたことを教えてきた。
その間、コンクールに出ると言っていた3年生の中で、村山と山中の2人は、遂に期末テストでの休止期間になるまで音楽室で姿を見ることは無かった。
サックスの3年生、末田さんと伊東は、2日に1回というペースで練習に出て来ていたので、割とサックスのパート練習もやりやすかった。
山中と村山とは、クラスが離れているため、なかなか普段の授業でも捕まえにくい。
山中は文化祭が終わったら、生徒会長の仕事で疲れ切ったのか、生徒会室にたまに行ってみても来ていることは無かった。
村山は俺とは登下校のタイミングがズレてしまっていて、これまた会えない。電話でもすればよいのだろうが…。
そこで期末テスト休止期間前、最後の部活の日に、俺は山中との関係などを聞いてみるため、音楽室で太田さんに声を掛けた。
あまり知られていないが、山中は太田さんと高1の時から付き合っている。
「太田さん、ちょっといい?」
クラリネットの準備をしていた太田さんが振り向いた。
「ん?ミエハルからアタシに声掛けてくるって、珍しいね。何?」
「山中のことなんじゃけど…」
「あっ…。山中くんとのこと?うーん…ちょっと音楽室じゃ他の人に聞かれるから…。屋上も今日は雨だし、どっか教室へ行こうか」
少し暗い表情になりながらも、俺を連れて3年のクラスへと移動した。
その中で誰もいなかった、3年4組に入り、窓側の席に座って話し始めた。
俺は山中と最近喋ったか、喋ってたらコンクールに出るか出ないか、何か言ってなかったか、その辺りを聞いてみたかったが…。
「ミエハルには率直に言うね」
「うん。いつも俺の話を聞いてもらってるから、逆にどれだけでも力になるよ」
「ありがとう、ミエハル。実はね、アタシ、中学が一緒で別の高校に進んだ男の子に、告白されたの」
「え?」
俺は青天の霹靂、唐突に太田さんからそんな思いもしない話が飛び出たことに驚いた。
「な、何、それ。その男子って、太田さんが中学の時に付き合ってたとか?」
時折窓ガラスに雨が当たる暗い空だ。だが教室の照明は付けないまま、話を続けた。
「付き合って…はないよ。ただ中学の時にも告白されて、その時は断ったのね。正直、アタシのタイプとは違う男の子だったから」
「で、高校で山中と付き合ったんだよね?山中から前に聞いた話だと、太田さんから告白されたって言ってたけど」
「うん…。こんな事言うと、真面目なミエハルには怒られるかもしれないけど、相手は山中くんじゃなくても良かったんだ」
「ええっ…」
俺は固まった。山中は意中の人ではなかった?
「アタシに中学の時に告白してきた男子って、結構しつこくてね。断るにはもう彼氏がいるって状態になりたかったの。その時、1年の時に同じクラスで同じ吹奏楽部だった、山中くんが付き合うなら丁度いいかもって思って、アタシから告白したんだ」
「へ、へぇ…」
俺はテレビドラマのような話に、驚くばかりだった。
「それで山中くんと付き合って、お陰で中学の時から告白し続けてきた男子とは、キッパリ縁が切れたのよ。だけどね…」
「だけど?」
「軽い気持ちで付き合った山中くんのことが、本当に好きになったの」
「そ、それは良いことなんじゃない?」
俺はホッとした。仮面夫婦ならぬ、仮面カップルだったとか言われたら、太田さんのことが好きだから、ミエハルは吹奏楽部で一緒じゃろう、なんとか取り次いでくれよと、何人もの男子に頼まれては、吹奏楽部内に彼氏がもうおるからと断ってきた俺の苦労が水の泡だからだ。
「山中くんも最初は戸惑ってたけど、その内アタシのことを本気で好きになってくれて、去年はいいお付き合いが出来てたんだ…。ミエハルには悪いけど…夏休みの合宿中に、コッソリ抜け出して、屋上でキスしちゃったんだ」
「マジで?羨ま…いや、何をしてるんですか、コンクールに向けての合宿中に!当時の部長として苦言をもの申すよ!」
俺は苦笑いしながら言った。
「はい、ごめんなさーい。ただね、去年の生徒会役員改選で、山中くん、生徒会長になっちゃったじゃない?そしたら忙しくなって、アタシと会う時間がどんどん減っちゃったんだ」
「うんうん。確かに文化祭の前とか、俺ですら忙しかったもんね」
「ミエハルは吹奏楽のステージも掛け持ちしたからよ。山中くんは生徒会の仕事に専念してたもん」
「ま、まぁ、それも否めないけど」
太田さんはそのタイミングで、窓越しに遠くを見た。外はますます雨が激しさを増していた。
「…ねえミエハル、生徒会長ってモテるん?」
「へぇっ?」
俺が素っ頓狂な声で返事をすると、太田さんはまたしばらく窓の外を見ていたが、意を決したかのように言葉を続けた。
「最近、山中くん、アタシじゃない女の子と付き合ってる気配があるの」
「まっ、まさかとは思うけど」
「ううん。アタシ、この目で見たから。文化祭の後だったから、火曜か水曜のどっちかだったと思うけど、山中くんとそろそろ一緒に帰ったりしたいなと思って、下駄箱で待ってたんだけど、待ってたら、アタシが知らない女の子と楽しそうに話しながらやって来たのね」
「う、うん…」
「アタシ、そこでちゃんと聞けば良かったのかもしれないけど、何故か慌てて隠れちゃったの。山中くんはアタシに気付くことなく、そのままその女の子と笑ったりしながら2人で帰って行ったんだ…」
「山中が…?まさか、そんな浮気とかせんとおもうけど…」
「だってアタシの目は、ハッキリ見たんだよ!」
太田さんはそう言うと、俺の目を少し潤んだ瞳で見つめてきた。
山中は俺に彼女を作れよと、わざわざ世話を焼くような人間だ。浮気するような奴じゃない。そう信じたい。だが俺の知らない山中の隠れた一面もあるのかもしれない。
「太田さんが見掛けた、その女の子ってどんな感じだった?」
「一瞬しか見てないから詳しくは分からないけど、背はそんなに高くない。体型は痩せ型で、メガネを掛けてたような気がする」
「メガネ?」
俺は一瞬、2年生の生徒会役員、森川裕子さんを思い浮かべたが、山中と繋がりはあるとは言え、そんな談笑しながら一緒に下校する間柄だろうか?
俺の前ではいつも真っ赤になって照れて、喋れなくなってしまうような女の子だ。
だが俺はそのメガネを手掛かりにしてみようと思った。
「太田さん、明日から期末週間で休みに入るけど、期末が終わったらクラスマッチの準備で生徒会役員がまた集まる機会が増えるけぇ、必ず山中を捕まえて、事の真偽をハッキリさせるよ」
「本当?」
「約束するよ。太田さんとしては、その件もあるから、最近また告白してきた中学時代の知り合いに、グラッと来ちゃってるんじゃろ?」
「そうなの。中学卒業して何年も経つのに、まだアタシのことを忘れられない、好きだなんて言ってくれる気持ちに、ちょっとグラグラしてる…。いくらタイプじゃないと言っても」
「それは電話でも太田さんの家に掛かってきたの?」
「ううん、中学時代のミニ同窓会みたいなのがこの前あってね。クラスの半分以上の子が来てたよ。その中に、その彼もいたってこと」
俺が竹吉先生宅に泊まりに行ったのも、中学時代のミニ同窓会と言えなくもない。中学を卒業して2年以上経ち、高校3年にもなってくると、人間関係も色々と変化が起きてくるのだろうか。
山中がコンクールに出るか出ないかを聞ければと思っていたのだが、思わぬ展開になってしまった。
「太田さんとしては、好きな気持ちはなかったけど、山中の態度次第だと、どうなるか分かんないよ、そんな感度だね?」
「そう。ごめんね、ミエハル。アタシが広田のフミに、ミエハルの相談役に任命されたのに、逆になっちゃって」
「そんなん、同期じゃん。気にせんでいいって」
外は更に暗さを増し、雨が激しくなっていた。
「しっかし、酷い雨じゃね。6限目まで晴れてたのに」
「そうね。梅雨だもん、仕方ないよ」
そこへ吹奏楽部の部長、新村が現れた。
「あっ、先輩達、ここにおられたんですね」
「あっ、新村、ごめんごめん。ちょっと3年生ならではの話をしとってさ。今から合奏か何かかな?」
「いえ、大雨警報が出たんで、合奏どころか全部活中止で、一刻も早く帰れって指示が出たんで、俺もですけど、他の部の部長とかも校舎内回って、帰れーって言って回ってるんです」
「マジで?俺、今日傘すら持ってきてないんだけど」
「いや、今朝の天気だったら、殆どの生徒がそうじゃないですか?とにかくそういうわけで、先輩達も早く片付けて帰って下さい。俺はもう少し各階の教室を回ってきます」
「おぉ、気を付けてな」
俺は太田さんと顔を見合わせた。
「今日は部活サボった奴が勝ちってことみたいやね、腹立つけど」
「そうだね。とりあえず音楽室に戻ろうか」
時間的に午後4時半だったが、外は7月の午後4時半とは思えないほどの暗さだった。
音楽室に戻ったら、大半の部員が既に楽器を片付けて帰る体制に入っていた。
「あっ、ミエハルせんぱーい。今日はティンパニ習えなかったのが残念~」
2年の宮田さんがそう言ってくれた。
「ごめんごめん、ちょっと3年ならではの用事で出遅れたら警報だから帰れとか言われて」
「期末終わったら、また教えて下さいね。でもクラスマッチで先輩はまた忙しくなるんかなぁ」
「文化祭ほどじゃないと思うけど…。1日1回は顔を出すから、必ず」
「お願いしますよ!」
宮田さんの声に、後ろから藤田さんの声が被さった。
次々と部員が帰っていく中、俺はなんとなく前部長という肩書きから、先に帰るのは無責任な気がして、新村と一緒に全部員が帰るのを見届けてから帰ろうと思っていた。
お先に失礼しまーすという声が聞こえる中、俺は気を付けるんだよーと声を掛けていた。俺はさっきまで話していた太田さんが気になったので、太田さんが帰ろうとしていたところへ声を掛けると、
「アタシ、いつも折り畳み傘持ち歩いてるの。だから大丈夫。ミエハルは?」
「もうノーガードで帰るしかないかな~」
「風邪引いちゃうよ。誰か相合傘してくれる子、見付けなよ」
「ははっ、いればね。じゃ、気を付けて…」
「ミエハル、ごめんね、今日は」
「気にしない気にしない!期末終わったら動くから」
「ありがとう。じゃあ、バイバイ」
「じゃあね~」
太田さんをそう言って見送った頃、新村が戻ってきた。
「お疲れさん。吹奏楽部員は見付かった?」
「あれっ、先輩、帰ってなかったんですか?一応全員見付けたので、もう大丈夫かと思いますが、先輩も早く帰らないと、JRも止まっちゃいますよ?」
「だよなぁ。でもこの雨に対して戦う手段を俺は何も持ってないのだよ、新村くん」
「そうなんですか…。先輩のお宅が俺と同じ方向だったら、俺は親が迎えに来てくれるんで、一緒に乗って頂けたんですけど…」
「いいよいいよ、俺もタクシーでも呼んで帰るから」
「そうですか?じゃあ音楽室のカギを締めますね」
福崎先生は今日は会合があるとかで早くに帰っておられた。新村と共に音楽室を閉め、下駄箱へと向かった。
「じゃあ先輩、俺はお先に。先輩も気を付けて下さい」
「ありがとうね。じゃあまた」
新村が先に、親が迎えに来ているのでと、豪雨の中を突っ走って行った。
俺は新村を見送ると、果たしてどうしたもんかと悩み始めた。
同じように、帰るに帰れない生徒も結構いるが、俺が知っている顔はなかなか見付からず、一緒に宮島口駅へタクシーに相乗りしませんか?と声をかけれそうな生徒はいそうもなかった。
(とりあえずタクシーを呼ばないと…)
そう思い公衆電話のある売店前に行ったら、同じような考えの生徒が電話機に列を作っていた。聞こえてくる声は、ほぼ全員、親に助けを求めているようで、タクシーを呼んでいる生徒はいなかった。
(まあ、そうだよな。俺の親が免許がない方が珍しいんだろうな)
俺は苦笑いしつつ、列の最後尾に並んだ。すると3人前にいた女子が、タクシーを呼んでいた。しかもJR宮島口駅までだと言っている。
俺は見も知りもしない女子でも、タクシー代半分、いや全部出しても良いから、相乗りさせて欲しいと頼もうと、その女子が電話を終わったタイミングで声を掛けた。
「あのすいません、失礼ながら今電話しておられるのを聞いたんですが、JR宮島口方面へタクシーを呼ばれましたよね?」
「はい、呼びましたけど…。あれ?上井くん?」
「あっ、神戸さん!」
思わぬ場面で、和解したての元カノ神戸さんと出会ってしまった。俺は相乗りを頼むべきかどうか一瞬躊躇したが…
「上井くんもタクシー呼ぼうとして、電話の列に並んでたんでしょ?じゃあせっかくだし、一緒に乗ろうよ」
と、神戸さん側から提案してくれた。
「いいの?大村は?」
「彼は流石に今日は一緒に帰れんって、お母さんに電話してた。良かった、上井くんがいて。タクシーが来るまで、時間も潰せるし」
「そ、そうだね…」
俺は背中に冷や汗を感じつつ、神戸さんの提案に乗ったが…
<次回へ続く>