いらないと思っていたものでも、本物を見ると気持ちが変わることがある
同僚がiPad Proを買った。
もちろん、私の影響だ。
当初の目的は息子から送られてくる孫の写真や動画を老眼鏡なしで視聴することだった。
だから、最近出たiPad Airにしようと思っていたらしい。
しかし、私が常に携帯して、スマートに使いこなしているのを見て、どうせ買うならiPad Proを買うことにしたそうだ。
かなりのマカーである校長の「どうせ買うなら最高のものを」の一言もきいたらしい。
私とボスはアップルストアで購入したwi-fiモデルだが、同僚はドコモでセルラーモデルを購入していた。
そして、販売員の言う通りに、いろんなものをつけて購入したらしい。
「Apple Pencil買ったんですよ」
うん。これがないとiPad Proにした意味がない。
「保護ガラスフィルムをおまけにつけてくれました」
まあ、なくてもいいかな。私はつけてないし。
「キーボードもつけました」
ん?
ボスと目を合わせる私。
それは、いらんだろうという共通見解
しばらくして、品物が届き、同僚がニコニコしながらキーボードフォリオに包まれたiPad Proを持ってきた。
群がる私とボス。
そして、ボスと私は同じ言葉を口にしていた。
「触ってはいけないものを触ってしまった。」
絶対いらんだろうと思っていた、iPad Proのキーボード。
めっちゃいい。
純正品だからジャストフィットでかっこいい。
キーボードのタッチも快適。
タブレットとして持って使うときも邪魔にならない。
これは欲しい。
まずいな。
昨年度1年間で3枚のiPadを買ったボスは、間違いなく購入するだろう。
私もかなり心が揺らいでいる。
私はアマゾンで買った、2000円弱のケースで十分満足していたのだが、急にみすぼらしく感じてしまった。
そんな折に、iPadケースの蓋にホワイトボードマーカーから溢れたインクをこぼしてしまった。
油性なので、めっちゃ目出つ。
これは、天がキーボード購入の大義名分を作ってくれたのだろうか。
どうしよう。