【たべもの九十九・ほ】ホットケーキ〜トラのバターのやつ
(料理研究家でエッセイストの高山なおみさんのご本『たべもの九十九』に倣って、食べ物の思い出をあいうえお順に綴っています。)
ホットケーキを初めて食べたのはいつのことだったろう。『ちびくろサンボ』を読んだのが先だったか、ホットケーキを食べたのが先だったか、どうしてもそこが思い出せない。どちらが先だったとしても、この二つは私の中で分かち難く結びついている。
『ちびくろサンボ』は、夫とインドに滞在していたスコットランド人のヘレン・バンナーマンが、自分の子供たちのためにつくった絵本で、それがのちに公刊された。私も子供の頃に読んだ。小学校に上がる前だったと思う。
私に文字を教えてくれたのは、祖母であった。祖母と言っても血は繋がっていない。母方の祖母は母が高校生の時に乳がんを患って他界し、後添えとして祖父の元に嫁いできた人だ。祖父との結婚で血のつながりのない四人の子供の母となり、自分自身の子は持たなかった。そして、血縁のない孫である私は、母がパートタイムに出るためいっときこの祖母に預けられた。3歳頃のことである。
おもちゃ代わりに絵本が与えられた。大きな字でひらがなが書かれ、その周りに頭文字がそのひらがなであるわかりやすいもの達のイラストが描かれた、今でも売っているようなひらがな練習絵本だ。
母が仕事を終えて私を迎えにくるまで時間はたっぷりあったから、「あ」から始まり、「あひる」とか「あり」とか「あめ」とか一つずつ教えてもらったのだろう。
だろう、という推測になってしまうのは、小さすぎて記憶が曖昧だからだ。ちゃぶ台だったか、こたつだったか、茶の間にあるテーブルの上で絵本を広げている情景はなんとなく覚えている。
絵本からずれるけれど、初めてスパゲッティミートソースを作り食べさせてくれたのはこの祖母だった気がする。
3歳でひらがなを覚えた私は、与えられた絵本を片っ端から読んだ。そんなに何冊もの絵本があるわけではなかったので、同じ絵本を何度も何度も繰り返し読んだ。
そんな絵本の中の一つに『ちびくろサンボ』があった。
森の中でトラに出会って、自分が食べられる代わりに服や持ち物全部をトラにあげたサンボ。欲張りなトラはサンボからもらったものを独り占めしようと、木の周りをトラ同士がぐるぐる追いかけっこして、やがて溶けてバターになってしまう。サンボはそのバターを使ってお母さんが焼いてくれたホットケーキを山のように食べるというお話である。
トラのバターと、お皿に何十枚も積み重なったホットケーキは私の心を鷲掴みにした。これに魅了されない子供っているんだろうか。
で、いつものやつになる。
「これが食べたい!ホットケーキが食べたい!」
やっぱり、ホットケーキを食べるより、絵本を読む方が先だったかも。食べたことのないその食べ物を夢想し、祖母だったのか、母だったのか、作ってくれとねだった記憶が蘇ってきた。そのあとすぐに作ってもらえたのかどうか、初めて食べたホットケーキの味は覚えていない。
昔はホットケーキミックスはなかったので、小麦粉と卵と牛乳と砂糖で生地を作って焼いたのかな、メープルシロップもなかったろうからシロップはどうしていたんだろう?…と思って調べてみたら、私が子供の頃にすでにホットケーキミックスはあった。森永製菓が昭和32年に発売していた。パッケージは変われども、なんというロングセラー商品なのか。
トラからはバターはできない。それは絵本の中だけのお話だ。でもホットケーキミックスを使って169枚のホットケーキを焼くことはできるだろう。それを食べ切れるかどうかは別として。
昨今のパンケーキブームで、ふかふかのやつや、モチモチのやつや、分厚いやつなど、様々なパンケーキ、ホットケーキが誕生しているが、私が好きなのは昔ながらのシンプルなホットケーキだ。
珈琲館というチェーンの喫茶店のトラディショナル・ホットケーキがそれに近いと思って、時々食べに行っている。そして、ホットケーキを食べるときは『ちびくろサンボ』のトラのバターのやつを思い出す。
(珈琲館のトラディショナル・ホットケーキ ホイップクリーム添え)
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