後世の祈り~問いに学ぶ~
親鸞聖人が京都で亡くなられましたとき、そばには娘である覚信尼さまが付き添っておられたと言われています。どのような事情があってか、妻の恵信尼さまは新潟辺に居住されていたのです。娘さんからお手紙は残っていませんが、恵信尼さまから覚信尼さまへのお手紙が残されています。
そのお手紙には「昨年の12月1日のお手紙、確かに拝見しました。親鸞さまがご往生されたことは、今更申し上げることでもありません」という言葉から始まっています。これは、「今更申上げることでもない」とありますから、恐らく、娘覚信尼さまは父・親鸞さまの死に、不審をもたれたのではないかということが伺われます。
ところが、恵信尼さまのお手紙は、一転して
と、比叡の堂僧としての生活を断念して百日の参籠(さんろう)された、親鸞聖人の初めの一歩がつづられています。今、私たちは〝死〟に、そして生きるということにどう真向かってるのでしょうか。
ところで、恵信尼さまは、往生についての答えや説明はいっさいなされずに、親鸞さまの歩み、つまり抱かれた問いを、娘覚信尼さまと共に確かめておられるのです。娘の問いを大事にされた母親の姿は、そのまま親鸞さまの姿でありました。
ことに、
聖徳太子の文をむすびて
とは、六角堂の夢告(ゆめのつげ)として伝え知られているものであります。それは御伝鈔にもありますように
という救世(くせ)菩薩の夢告であります。なかなか受け止めがたい夢告です。ここには犯し犯されるという人間の罪、生きること自体がはらむ存在の罪、それをになう救世菩薩の魂が聞き取られているように思います。いってみれば大悲心の出遇いの体験であります。法然さまを尋ねることを決意させた、親鸞さまの覚悟といって良いのでしょう。お手紙にでます「後世の祈り」でありましょう。
ここに注目させられますのは、死を縁として、母と娘が親鸞聖人の往生浄土の道を問いにしておられることであります。その求道の始まりのところに立ち帰っておられることが、私たちの生きる姿勢を問いかけていると思います。
親鸞さまの問いは、人間の心を根底に超えた問い、宗教心の問いであります。「身を粉にしても報ずべし、骨をくだきても謝すべし」とはそのような問いに生きよという、親鸞さまから私たちへの呼びかけでもあり、励ましでもあります。その呼びかけを聞く時が、報恩講の時として真宗門徒に受け伝えられてきているのだと思います。
※本内容は2022年テレフォン法話で配信された内容です。
藤井 慈等(ふじい・じとう)/松坂市・慶法寺前住職