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骨壷

骨壷の寝心地はどう?わたしには硬く見えるしとてもさみしい

寝室で娘と眠りし祖母の骨 引っ越しなんて、わたしなら厭

仏壇も墓も買えない貧しさのけむりが部屋をくゆるのも最後

ようやっと弔えたねって石撫でる母の手だけに意味があること


蟻たちの行列ちょっと横入りしわたしの指も食べてみと言う


「若い頃煙草吸ったから」肺がんの祖父、自嘲気味の顔父と似て

「まだ死なん、行け」と息子を見送った翌日彼は眠りについた

彼(か)の息子葬儀に合わせ帰国する 40年の反抗期終え

残された日記めくればめくるほど震える線が死神のようだ

「喉仏ご立派ですね」そうですか、高身長が脆く小さく


買おうかな私の肉で生きるもの ペットショップのドクターフィッシュ


名をニムという特別な、ただの犬 祖父(あるじ)を亡くしてワンとないてる

虹の橋、何それニムはそう言わない 土に還るとも言ってくれない

死人には口なし悔いなし櫛もなし、きみへ最期のブラッシングを

弔いは残り者たちのものだから 祖父とニムとが墓でとけあう


からす飛ぶわたしも攫えその口に咥えるねずみの死骸みたいに


鳥葬のためにお国を捨てようか 死体損壊・遺棄罪を読む

野垂れ死にうじの群がるけだものが羨ましくてたまらなく泣く

ヒトはいつ食の連鎖を抜けたのか第三宇宙速度で星となり


寒いよとわたしが言ったらあたためて 骨壷の中にぬいを入れてね

エンディング・ノート書くにはまだ早いわたしの文字はまだ震えない

「ワン」という声の意味なんてわからずに供養は進むきみを無視して


思い出がどこかで燃える毎朝におはようを告げストレッチした


蛇足

俵万智の「サラダ記念日」を今更読みました。短歌の連作はインスタレーションに似ていますね。短歌ってその性質上ひとつひとつが作品として成立していると思うのですが、連作になるとそのまとまりの中に文脈が生まれ、味わいも変わってくる。一文一文が名文・名言にはなっても作品には決してならない小説やらなんやらとの違いだなあと。そして31文字と57577のリズムによって縛られ、100を伝え切ることは決してできない、その短いことばの中に、どんな情景を見て、どんな香りがし、どんな音や味や手触りがしてくるのか、その体験ごと作品となるのだなと。展示空間やその中の体験ごと作品として解釈するインスタレーションとこの点においてかなり鑑賞する際の感覚が近いなと思いました。

よい作品というのはわかりやすすぎてもわかりにくすぎてもいけないと私は思っていて、その題材や誰に向けたものなのかによって上手くレベルを調整する必要があり、これは絵でも同じだと思っているのですが、やっぱり素人だと難しいですね。「こんなんなんにでも当てはまるやろがい」みたいなわかりやすすぎてキッチュなものになるか、「何言ってんねん意味不明だわ」みたいな中二病になるか、その塩梅を掴む短歌の脳がまだ育っていないので良質なインプットをして育てていきたいです。おすすめの歌集などあれば教えてください。ちなみにサラダ記念日を読んだ勢いのまま、Amazonのほしい物リストに放置されていた、『チョコレート革命(俵万智)』『考える短歌(俵万智)』『ひとさらい(笹井宏之)』『私の嫌いな桃源郷(初谷むい)』『はじめての短歌(穂村弘)』は買いました。買いすぎだろ。バカか

蛇足と言いつつこれらの歌について詳しく話すつもりはそんなにないんですが、普通に思想の話をしているだけなので、気になるかたは『死んでも火葬になりたくない』を読んでもらえるといいと思います。今後時々こんな感じで短歌の練習もしようかと思います。

おすすめの歌集とかある方、よかったら箱に入れてってくださ〜い!現代短歌が気になってます!古典だとしたら解説付きの方が、嬉しい……(無教養なので)

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