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原罪

※男女差別についての話をしてるしあらゆる方面に酷いことを言うし極端だし言葉強めだし注意してください。先に以前私が書いた『世界の半分を占める人たち』を読んでる人に読んでほしいかも……です


最近の自分の鍵垢のツイートで、面白いものを見つけました。

「殺してやる……世界の半分(※男性のことです)を殺してやる……って気持ちに時々なるよ」
「だめだめ 人を愛さなければ 隣人愛隣人愛」
「罪を憎んで人を憎まずの精神を思い出せ(でも男を全員殺すっていうのもある意味それで、個人を憎んでいなくて社会構造を恨んでいるから男という社会の構成員を残らず殺すことで解決しようとしてるだけなんだよね)

(文脈補足:性被害のPTSDが出てきて、男を殺してやる……いやそんなことを思ってはいけない……となっている時の私のツイートです)

私の身内用鍵垢より

この太字部分の考え方、いわゆる「主語でか」に対する新たな切り口って感じで、面白くないですか?

以前『世界の半分を占める人たち』というnoteで書いたように、私は男性に対してひどい偏見と差別意識がある。それは私の個人的な性被害等の体験に基づく認知の歪みなんだけど、その割に、私は加害者ひとりひとりを恨んではいない。

罪を憎んで人を憎まず、自認では、私はそれをやっている方だと思っている。もちろん、誰に嫌なことされたとか、思い出して少し愚痴を言うことぐらいはあるけれど、その程度でしかない。

なんならさー、加害者個人に対しては、彼らももしかすると過去に性被害を受けて加害の連鎖が生まれたのかもしれないし、性教育をしていない社会が悪いのかもしれないし……とか考えてしまう。なんにせよ、例えば死刑なんかよりは、性依存等に対する治療がまずは与えられることが望ましいと感じる。責任を個人に帰すということがそもそも好きじゃない。

これだけ見ると優しい人のように見えるかもしれないが、前述のとおり私は「世界の半分を殺してやる……」とか言ってる差別主義者だ、どうしようもなく。この前、トラウマが刺激されることがあって、1時間以上も声出して泣いて瞼が埋没DT1日目みたいになったんだけど、そうやって泣きじゃくって怒りで頭がいっぱいになると、こう思う。男なんかみんな死ねばいい!って。でも妹に「一発芸やります、埋没DT」ってやったらウケ取れたので、泣いてよかったです(芸人魂)

その時には加害者一人一人の顔も、愛している人の顔も、家族や友人の顔も浮かんでいない。そうじゃない。例えばこれをもしわたしと親しい男性が読んでいたら、あなたが死んだらわたしは泣いてしまうと思ってください。そういう個人ではなく、男という概念、世界のだいたい半分、それを破壊したい、そういった衝動。

私は親しい男性のことを、「男」だと思っていなくて、「〇〇さん」だと思っている気がする。そりゃ、すべての人は男とか女とかの代表じゃなくて〇〇さんだけど、でもやっぱり男とか女とかのひとりではあるのだから、男とか女とかも少しは考えるべきなのかもしれない。

『世界の半分を占める人たち』より

「罪を憎んで人を憎まず」の一形態として、「罪を憎んだ結果、個人ではなく男と女という構造を恨み、男の消失を望む差別主義者となった」「しかし、個人としての男性らを攻撃したくないので、彼らを男性とは思わずに〇〇さんだと思うようになった」が正確なところなのだろう。加害者だけ恨んどけよ、俺ら巻き込むなよ。そう言われたらそうだよねとしか返せないから、わたしは自分が差別主義者であると言っている。でもこうなるしかなかったと言い訳させろ、という気持ちもある。いちいちひとりひとり顔を覚えて恨んでいられるほど、そして加害者個人だけの問題だと思えるほど、少ない被害ではなかったよ。

私の大好きな漫画、『ニセモノの錬金術師』にノルン・アーレンビックという魅力的なキャラクターがいるのだが、彼女には共感できるものがあるので、少しだけ引用する。

「許せない 許せない こんな『おもちゃ』をつくってるじじいも 使うやつらも 人をおもちゃにするやつらも それを許してる世界中のやつらも!」

「何度後悔して反省しても『理由』を貰えるとダメなんです 壊しても良い理由があれば私は世界を滅茶苦茶にしたくなってしまう!」

『ニセモノの錬金術師』第一部 後編

彼女は過去の経験から、心の奥底に世界への怒りを抱えている。常に。人も世界もめちゃくちゃにしたくなるような、今にも溢れそうなぐらいの怒りを持っているが、必死に押さえ込んでいる。しかし、「理由」が与えられてしまうと、その怒り、加害欲求が解放され、誰かを傷つける。そのことに苦しみ、罰を求めるという描写がある。

ああ、同じだ。何度も読んだのに、いまのいままで気が付かなかった。でも、私も彼女も、同じだ。

ときどき、わっと脳内が憎悪でいっぱいになる。わたしだって世界をめちゃくちゃにしてやりたい。わたしとノルンの違いは、わたしは力を持たず、世界や男というあまりにも大きなものに対して、ひどく小さくて弱いこと。わたしが恨んでいるのはヒトではないから個人を殺すことはないけれど、まあ仮に男性を殺そうとしたところで、わたしはボコボコに負けるだろう。

これから極端なことを言う。今日の文章はずっとそうだ。でも、そのすべてが、わたしの人生でずっと体感してきたことでもある。

すべての男は、男というだけで、女に対する加害者だ。

組体操のように、あるいは強制収容所でゴミとして扱われた遺体のように、女は地べたの上に放り投げられて積み重なっている。その地べたも、もう死んだ女たちでできている。男は男に生まれた時点でその上を歩いている。そういった意味で、男は男に生まれた時点で、加害者であることを免れない。それは個人に責任があるという意味でなく、この……このどうしようもない世界では、そういう仕組みになっているということ。わたしはずっとそれを感じて生きてきた……男が下駄を履かされている? いや違う、世界によって女の脚が切られているのだ!

そして私の怒りは、本質的には男というヒトの集団ではなく、世界に向いている。女の脚を切るのは、その実行者としての個人は、女の場合もある。女子割礼や纒足で、自らの体を破壊して世界の望むように作り変えられる、その恐怖から逃げ出そうとする娘を必死に押さえつけるのは、母親であるように……。

もう誰もそのうねりを止められない、その世界が、社会が、くるしい。それを主導してきたのはどうしようもなく男という属性の人たちだし、それで得しているのは男ばかりだし、わたしはそれを恨まずにいられなくて、なんで主語を大きくするって、何度も言うようにそのうねりに飲み込まれてしまってたまたまあちら側にいるだけの個人を攻撃したくないから。たまたま男性に生まれてしまっただけの、誰にも害をなしていない人を恨みたくないから。自分を害した人でさえ恨めないのに。だからここでいう「加害者である」というのは、概念としては原罪に近い。

ああ、私はサザンオールスターズが好きなのですが、『闘う戦士(もの)たちに愛を込めて』という曲があります。

この曲はもちろん音楽も鳥肌が立つほどに良いのですが、PVが素晴らしいんです。少し見てください。

──戦場で夢を見たかい?
さあ、おいで タフな野郎は
根性ねえ奴ぁ オサラバ
闘う戦士(もの)たちへ 愛を込めて──

ここでいう「戦士」は「企業戦士」であり、また、描かれているのはすべて男性。女性は夜の蝶、戦士を惑わすもの、もしくは絵の中の子供のような、戦士でないものとしか注目して描かれていない。

魔力を持ったオンナ達
それに魂を売るオトコ達

『闘う戦士たちへ愛を込めて』サザンオールスターズ

「魂を売る」、金品や地位を得るために悪事を働く、という使われ方が一般的ってGoogle先生が言ってます。このオトコたちは人を踏みつけ、蹴り飛ばし、子供を抱く手で誰かの首根っこ掴んで会社における給料と地位を得ているわけですから、オンナよりも先に会社に魂を売ってると言えるでしょう。そして、同時に魂を売って得た金銭は、魂と同価値のものであり、それをオンナに使うことは魂を売ることになるでしょう。じゃあオンナは魔力で魂を買って、オトコを搾取している?

ここで現実の話にいきなり戻りますが、答えはいいえです。性産業に従事する女性は「買われる」側です。性産業は企業戦士の魂とやらで頬を叩かれてオトコに媚びなくてはいけない仕事です。でもわたしは歌詞が差別的とかそういうこと言いたいんじゃなくて(好きな曲だし)、それでもなお、ここにいる、搾取している側であるはずの登場人物でさえも、すべて精神をすり減らしているということが言いたい。

このオトコたちは、金で抱かれたり、この戦場を目指していたのに脚を切り落とされて歩いてゆけなかったりした、そういうオンナたちの体でできた道を登ってやっとここに辿り着いた。それは彼らが自覚的であれ無自覚であれ事実でしょう。じゃあそんな彼らは幸せに見える? わたしには見えない。この曲は、彼らの苦しみと悲壮感と、何か大きな光……夢……それを追い求めて、そして何もない……救いのない世界を描いている。それは、そこに描かれていないわたしたちのことも絶望させる。わたしたちを踏んだその足でたどり着くそこに、なんの価値も、ないなんて。

女は生まれた瞬間から、この絵のサラリーマンのように折り重なった山の一員であり、男がその上を駆け上がり、その上でさらに生存競争がなされていく。その中のてっぺんもてっぺんで、この戦士達の小さな屍の山ができる。地獄のようなピラミッドの一番上澄み。

個人としては何の罪もない赤ん坊も、私を大切にしてくれたあの人だって、加害者なわけがないのに、でもやっぱり男であるだけで、女を踏みつける加害者だ。そして女である私たちも、たとえば先進国に生まれているから、私たちの消費する衣服や消耗品、それらが作られるどこかで人権侵害が行われていて、私たちもまた、生まれただけで加害者であって、そしてその下でも……。

でも、人は踏みしめている足の裏の感触よりも、踏みつけられている痛みをより強く感じる。どこにいようとも。

目をそらしたらいいんだろうか。いいや、それで今まで苦しんできた。超人(世界ってそういうもんだよねーでもがんばろーみたいなやつ(クソ雑解説))にでもなればいいんだろうか。いいや、わたしはそこまでの強さがもてなかった。それじゃあ、誰かに赦してもらえたらいいんだろうか。

自分の罪を公に言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、罪を赦し、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます。

ヨハネの手紙一 1:9 新共同訳

ああそうだったね、そうだった。わたしは少し前に、神であればわたしを赦すことができる──逆に言えば、神以外のものがなにかを赦そうだなんてひどく傲慢なことである──それを知ったばかりだった。

(気になる人は『ゆるすということ』を読んでください。信仰生活、まだできてないんですけど、あの時だいぶ心が救われて、聖書とキリスト教に感謝の気持ちがあるので、勉強したいですね〜)

なんでいつも忘れちゃうんだろう。考えたことを、苦しんだことを、忘れたくないからいつもこうやって文章にしているんだけど。でも、読んで思い出すことはできるから、やっぱり書き続けるしかない。それは「自分の罪を公に言い表す」ためでもある。わたしは常に自己理解を深め、罪を悔い改めることで、前に進む努力をしていたいのだ。

だからここで悔い改めよう。

わたしは、前に知りたいと言いました。世界の半分の人たちのことを。男という人たちが、わたしたち女と同じ人間であることを。だというのにそれを忘れ、また憎悪に脳を支配されてしまいました。

神よ、わたしを憐れんでください
御慈しみをもって。
深い御憐れみをもって
背きの罪をぬぐってください。
わたしの咎をことごとく洗い
罪から清めてください。

‭‭詩編‬ ‭51‬:‭3‬ 新共同訳‬

けれど、やっぱりほんの少しだけ、なんで酷い目にあったはずのわたしばっかがんばんなきゃいけないんだろって、思う。

※補足です。わたしはわたしばっか頑張んなきゃいけない世界に納得してませんが、「個人としての最適解」は「被害者である私がPTSD治療を頑張り自己理解を深め世界への恨みを鎮めていい人に囲まれて元気に生きること」だと思っています。でも全ての女がそれをやれば笑 って言ってくる男がいたら自分が殴り返されて死んでもグーで殴ります。以上


ちなみにニセモノの錬金術師は本当に面白いよ。

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