最後の一時退院
【AYA世代息子のALL闘病日記.76】
血球がようやく許容範囲内に戻り、一時退院となった息子。
うまく行けばこれが最後の一時退院になるハズ。
退院のお迎え時に、リケジョDrから次回が入院治療最後の予定である旨の病状説明がありました。
内容はざっくりとこんな感じ。
・B2療法では多少の副作用はあったけれど、大きなダメージはなかったこと。(白血球数がしばらくゼロのままだったことや、お尻の痛みやメンタルの落ち込みは「多少の」に含まれてる^^;)
・遺伝子学的には微小残像病変(MRD)は陰性で今のところ「寛解」と言えるところまで来たこと。
・次回のC2療法が息子にとっては難関であること。
前回のC1療法で急性腎不全になったことを踏まえると、次回同じ抗がん剤を使うのは得策ではないため、C1とは異なる方法で治療を進めていくこと。
CVからのメソトレキセートの血中投与ではなく、髄注の回数を規定より増やして対応してみる等々が検討されていること。
・C2療法が無事に終われば入院による治療は終了し、通院しながらの抗がん剤治療にシフトしていくこと、
・夏頃には少しずつ内勤などでの職場復帰も可能になると思われること
・通院治療中も副作用や免疫力の低下による体調不良はよく起こりうること、特に腸炎などは比較的多いので注意すること
等々、説明されました。
はぁ、ようやくここまで来たんだな~。
昨年11月の初めにリケジョDrに病名を告知された時は、なんて、遠い遠い道のりなんだと思ったけれど、
なんだ、かんだといろんなことが起こりながらも、確実に時は過ぎていくんだなと。
全体の治療計画からするとまだまだ途中経過なので油断は出来ませんが、
少しずつ今後の長期的な通院治療に向けて日常生活をどのように過ごしていくかを考えていかないといけないところに来たんだなと感じました。
病院を出ていつも通りに産土の神様にご挨拶。
次回の退院時は、病気平癒祈願の御礼参りに来ますので、と神様に宣言して。
病院から自宅までの帰り道は毎回息子とドライブがてら昼食からデザートまであちらこちらで食べ歩きをしながら帰っていたのですが、
今回はステロイド剤の治療がなかったせいか、食欲がほとんどないそうで。
「娑婆に出たら何を食べたい?」と聞いてもほとんど食べたいものが思い浮かばないと。
結果、息子が入院中にインスタで見つけた塩たこ焼きが美味しいと評判になっている「博多ソルたこ」さんに向かい、お店のおススメのたこ焼きを堪能しながら自宅へと向かいました。
ここは。めっちゃおススメ。ほんとに塩とネギが超絶美味いです。
結果、お昼ごはんはたこ焼きで終了。
びっくりするくらい少食になってるけど、まぁ、今は仕方ないかな。。。
息子が病気になってから大きく変わったこと。
それは、息子との会話が増えたこと。
就職してから一人暮らしを始めた息子は、仕事の休み中も釣りに行ったり、車やバイクで走りに行ったりと、実家に寄り付くことはそう多くなかったため、大人になってから一緒に過ごす時間はほとんどなかったように思います。
子どもの頃も、思春期になってもあんまり私たち親を困らせるようなことはしなかったので、実はものすごく息子との関わりは少なかったかもしれません。
お陰様で今、自分のペースで仕事ができ、ゆっくりと息子と話しながら食事をしたり、同じ時間を過ごすことができている。
どこかのタイミングで、小さい頃には出来ていなかった息子との時間を取り戻す必要があったんだろうなーと思いながら、一時退院の時間を過ごしています。
息子は病気になったことで、自分の持てる時間は無限ではなく有限であること、
自分が何を大事に、何に注力して自分の時間を過ごすか、
誰といるか、
をすごく考えるようになったと。
B2療法の最後はメンタルをなんとか持ち堪えるのが大変だったから、
この一時退院中はあんまりあれこれ考えたりせず、カラダを動かす時間を増やして気分転換したい、と息子。
だから、今回の一時退院中はカラダを動かして、こんなこともあんなことも出来なくなってる自分に打ちひしがれることより、
ここまで落ちた筋力、体力、自分のメンタルをどう戻していくか、その過程を楽しめるように。
同じ明日に悩むなら
「どうしよう((ToT)」より 「どうしよう(^o^)」
って感じですかね。
病気から学ぶことってほんとに大きいですね。
「この一時退院中は動く!」と決めた息子は、結果、ほとんど家でゴロゴロと過ごすことなく、ほんとに動き回っておりました。
さすがに動き回り過ぎなんじゃね?と心配になりつつも、
いつの間にか有言実行ができるようになった息子をみて成長を感じた一時退院でした。
次回に続く。