【小曽根真&塩谷哲】スペシャルデュオコンサート 2003/03/20 18:30-21:15 札幌コンサートホールKitara その1
小曽根真&塩谷哲 スペシャルデュオ コンサート
2003/03/20 18:30-21:15 札幌コンサートホールKitara
プログラム
第一部
01 Bienvenidos al Monde (by Makoto Ozone)
02 Do You Still Care? (by Satoru Shionoya)
03 Something’s Happening (by Makoto Ozone)
04 あこがれのリオデジャネイロ (by Satoru Shionoya)
05 Pray (by Satoru Shionoya) * solo piano by Makoto Ozone
06 Piano Concerto in F, Movement Ⅲ (by George Gershwin) * solo piano by Makoto Ozone
第二部
01 Passage (by Satoru Shionoya) * solo piano by Satoru Shionoya
02 Un Dernier Miracle (by Makoto Ozone) * solo piano by Satoru Shionoya
03 Cat Dance 〜 88+∞ (by Satoru Shionoya)
04 Tango (新曲・題名未定) (by Makoto Ozone)
05 Spanish Waltz(新曲・題名未定)(by Satoru Shionoya)
アンコール
01 Mambo Inn (by Mario Beuze)
02 自由への讃歌 Hymn To Freedom (by Oscar Peterson)
Kitaraは、札幌市の都心、中島公園の中に建つ美しいコンサートホールである。レナード・バーンスタインが創始したPMF(Pacific Music Festival)のメイン会場のひとつであり、また、札幌交響楽団の本拠地でもある。2003年3月20日、そのKitaraの大ホールで、小曽根真と塩谷哲、ふたりのピアニストによるスペシャルデュオコンサートが開かれる。札幌は、戻り寒波のために、前日は市街地でも吹雪いた。当日も朝から夕方まで雪との天気予報であったが、それはよい方に裏切られ、朝から快晴。しかし、そのぶん、夕方になると、かつんと冷え込んでいた。芝生の上には数十センチの積雪があるが、地下鉄の駅からホールへの歩道はきちんと除雪され、その上をたくさんのオーディエンスが集まってくる。札幌市内から、広い北海道の各地から、岩手から、東京から、そして、神戸から…。期待に胸を躍らせて、全国からこの北の大地のホールに集まってくる。
そのKitaraの大ホールは、木を全面に使ったとても暖かい空間。正面のフランス製パイプオルガンが美しい。客席は、いわゆるアリーナ型ワインヤード形式で、ステージを客席がぐるりと四方から取り囲んでいる。ワインヤードとはぶどう畑のことだが、つまりは、ステージからは客席が段々畑のように見えるということだ。ここで、芳醇なワインが生まれる。今夜もまた…。
フォーラムのメンバーたちは、ここに来る決断をした時期がひとりひとり異なっているために、一階席から三階席までばらばらに別れていて、それがかえっておもしろい。目が慣れて来たところでお互いを確認し、手を振って合図をする。みんな元気だ。
ステージの上には、上蓋(大屋根)をはずした二台のグランドピアノが互い違いに組まれて置かれている。向かって右側にスタインウェイ、左側にヤマハ。つまりは、右側に塩谷さん、左側に小曽根さんが座ることになる。ふたりは、愛用のピアノで競演することになったのである。
定刻となり、ステージの上のシャンデリアの光量が落とされると、左袖から小曽根さんが静かに登場。オーディエンスの拍手の中、立ったままマイクを持った。「こんばんは。一年ぶりにまた札幌の、この素晴らしいホールに来ることが出来ました。2003年3月20日は、もう皆さんご存知だと思いますが、とんでもない日になってしまいました。非常に残念でならないし、一生懸命僕も含めていろんな方が世界中で反対をしたのにも拘わらずこういうことになったというのは非常に自分の無力さというか、切なさを感じています。このことで、世界的に傷ついた人が非常に多いと思うんです。僕も含めまして…。そういう時に、こういうコンサートが開ける。今回僕は、塩谷くんと一緒にピアノを演奏出来ることが、非常に幸せなんですけれども、人間にとって何が幸せか、一番大事なことは何かと考えると、本当の意味で気持ちの通じ合えるコミュニケーションだと思うんです。小曽根真という魂と、塩谷哲という魂が、今日ここで本気で二人で向かい合って、どれだけお互いを認め合って、どれだけお互いを愛し合えるかという、それを皆さんに見て頂いて、そのエネルギーを少しでも傷ついた心を癒すために使っていただいたらうれしいです。そしてまた、もう始まってしまいましたから、これから歴史は少し逆戻りすることになりますけれど、それに負けずに、僕たちはやっぱりみんなで新しい世界をちゃんと作っていって、本当の自由と愛情と平和を取り返すために少しずつの努力をする、そのためのエネルギーと愛情というのを皆さんに少しでも伝える事が出来たらと思って、今日は二人で一生懸命演奏したいと思います。よろしくお願いします。(拍手)」
この日の朝、イラクで戦争が始まった。予想されていたこととはいえ、とても悲しいニュースであった。飛行機で札幌入りしたメンバーは、空港でのセキュリティーチェックの厳しさと、それゆえの遅延について口々に語ったし、街ゆく人々の話題もそれ一色だった。そして、誰にもまして、NYに住む小曽根さんは、開戦のニュースに衝撃を受けたに違いなかった。戦争は、決して遠くで起きているのではない。今ここで起きているのである。そういう切迫感があった。
小曽根さんの言葉に注目していただきたい。ここでは、会場にいた何人かの友人の手を借りて、ほぼ正確に小曽根さんのメッセージを再現してある。すぐに気がつくのは、このメッセージの中で、小曽根さんはついに一度も「戦争」とか、「攻撃」という言葉を口にしなかったことである。「こういう」とか「そういう」言葉でほのめかしはするが、決して「戦争が始まりました」とは言っていない。おそらく、意図的なものではないと思う。小曽根さんは、言えなかったのである。どれほど衝撃を受け、落ち込んでいたかわかるというものだ。小曽根真は「戦争」を沈黙し、「愛」と「コミュニケーション」について語った。すばらしい、忘れられないメッセージとなった。
そして、小曽根さんはこう続けた。
「ですからもう、ここから先は思いきり楽しんで下さい。」
小曽根さんがヤマハのピアノの前に座った。塩谷さんの姿はまだない。
「ほんとはこうやってここで紹介して出てきてもらうんですけど、そういうの、あまりにも型にはまっていやなんで、わたくしが勝手にはじめますから、好きなところでSALT、出てくると思います。」このあたりはもう完全に小曽根節である。オーディエンスたちは大声で笑い、そのことでもう会場はひとつになった。このあたりはまさに小曽根マジック。ステージの上には、いつものやんちゃな小曽根さんがいる。
「始めます。」こうして演奏がはじまった。
01 Bienvenidos al Monde (by Makoto Ozone)
スペイン語で”Welcome To The World”という意味のこの曲は、アルバム”So Many Colors”リリース以来、オープニングの定番となっている。僕たちは何度も聴いているこの曲だが、だからこそこの曲を聴くと、その日の小曽根さんの体温というか、心と体の構えが直に伝わってくるのである。あるときはリリカルであり、あるときはポップ、そして時におどろおどろしくさえあった。この曲は、オーディエンスに対して小曽根ワールドを開示する意味があると同時に、小曽根さん自身が、音楽の神ときり結ぶパスポートともなっている。だからこそ僕たちは、ファーストノートを、息を殺して待つのである。今夜のイントロダクションを、小曽根さんはもの悲しいテクスチャの和音で始めた。必ずしも素直に「Welcome To The World」と言えない現実に直面した小曽根さんの悲しみと現実に対する違和を、軽やかなリズムにのせて語り始めたのである。コンサート冒頭でのすばらしいメッセージを、今度はピアノで変奏する。しかし、小曽根さん自身が足を踏みならし刻まれるリズムは、音楽をある種のセンチメントに留めておくわけがない。躍動する魂が指先にエネルギーを与え、音楽の神がピアニストに憑依してゆく。
二回目に主題が提示されたとき、小曽根さんがアラート音を奏ではじめた。その音の中、右袖のドアを開けて塩谷さんが登場、オーディエンスから大きな拍手で迎えられる。スタインウェイの前に座った塩谷さんは小曽根さんに目で挨拶。すさまじいアイコンタクトと応酬と二台のピアノの競演が始まった。若干の助走のあと、まずは塩谷さんが主旋律を、小曽根さんがバッキングを担う。すさまじい音が洪水のようにワーッとホール全体に流れ出てゆく。この曲では、小曽根さんも塩谷さんもペダルを用いない。両足を大きく開いて片足でリズムをとりながら、踊るように上体をスイングさせながら、鍵盤をたたくのである。塩谷さんの主旋律にからみつく小曽根さんのバッキングは不協和音を用いて常に挑発的で、塩谷さんがまた見事にその挑発に乗って全力で弾いてくるから、曲は加速度的に高みに導かれてゆくのだ。小曽根さんは塩谷さんに「もっと来い!もっと来い!」と語りかけるし、塩谷さんも自らの音楽的ボキャブラリーを縦横に用いて「これでどうだ!」と応じる。高いテクニックを持ち、信頼しあうふたりだからできる見事なコラボレーションである。
途中で攻守ところをかえて、小曽根さんが主旋律、塩谷さんがバッキング。小曽根さんは、全く遠慮せずフルスロットルである。鍵盤の端から端までを用いて、高音から低音まで全域を限界まで執拗に攻め続ける。僕の席からは、塩谷さんの顔がよく見えるのだが、必死の形相でピアノに向かいながらも常に笑顔がこぼれていて、実にキュート。演奏を心から楽しんでいるのだろう。
中程でバロック風に転調してからは、ふたりのピアノの音がDNAの螺旋のようにからみつき、天井に向かって一旦上昇してから、ホール全体にきらきらと降ってくる。無数の音符が散乱して、現代音楽としての表情もかいま見せるのである。バッハがこの演奏を聴いたら、なんて言うだろうと僕は思った。きっと、鍵盤楽器が、フルオーケストラ以上の働きをしていることに、驚嘆するのではなかろうか?
聴いている僕たちは、感動とため息の中でスイングしていた。このホールに来ることができたことの幸福を、一曲目から確信しかみしめていたのだ。一曲目から、地鳴りのような拍手がわき上がったのも当然だった。
今度は塩谷さんがマイクを持つ。
「もうね、ほんとうにすみません。やってる僕自身が楽しすぎちゃって、どうしようっていう…。僕がこのkitaraホールの大ホールで演奏するのは、今日がはじめてなんですけれど、その第一回目がこういうスペシャルなコンサートになりました。僕にとっては今日の今の一曲とリハーサル、そして前に東京で一日リハーサルをやったんですが、そのわずかな数時間の経験が、僕が音楽をやって来た何年もに匹敵するくらい濃いもので、僕の音楽を新しい世界にめざめさせてさせていただきました。僕にとって大きい経験で、よかったです。小曽根さんありがとうございました。」塩谷さん自身が、本当に感動していたのだった。そして、その感動が、強く僕たちの胸をうった。
「今日はお互いの曲を演奏しようということになっているですけれども、ただのセッションではなく、ほんとうにスペシャルなコンサートにしたいと思っています。まず最初に、『ベニン…』?あれっ?『ベニ…』。あっ『ビエンヴェニドス・アル・ムンド』を聴いていただきました」。塩谷さんのとちりに、客席が笑いの渦になった。
02 Do You Still Care? (by Satoru Shionoya)
2曲目は、塩谷さんの最新アルバム『トリオっ!』から「 Do You Still Care?」。メロウでスタイリッシュな曲である。ブルージーな導入部は、塩谷さんが低音でモチーフを提示し、ほぼ一小節ごとに小曽根さんが高音の不協和音を使った合いの手を入れるという、スローな対話からはじまる。塩谷さんは自らが書いた動機部の音符とひとつになって身構え、息を殺し、耳を澄ます。そこへ小曽根さんの不協和音が不思議な魔法の粉をかける。すると、塩谷さんの指は誘われるままにリズムに乗って鍵盤をたたきはじめるのだ。音楽を奏でたくてたまらない二十本の指が、一度鍵盤の上で舞い始めると、音が新たな音を呼び込んで、旋律が奔流のように渦巻いて流れ始まる。無理にリズムに乗ることはない。メロディと和音が自然にリズムを生んでゆく。まず、最初に主旋律を担うのは小曽根さん。導入部の最後に一瞬奔放に走り始めた指をなだめて、この曲なロマンチックな主題を静かに端正に歌い上げる。塩谷さんもそれにあわせてバッキング。とても美しい曲である。ワンコーラスを弾いたところで、攻守交代。今度は塩谷さんが主旋律を担い、小曽根さんがバッキングに回るという趣向。しかし、これがとても自然なのだ。単純な言葉で表現するなら、二台のピアノが一台の楽器のように聞こえる。あるいは、ひとつのオーケストラのような深みのある統一感を感じるのである。小曽根真と塩谷哲というふたりのアーティストに、感性や奏法の微妙な違いがあるのはもちろんのこと、小曽根さんの弾くヤマハのピアノと、塩野さんの弾くスタインウエイでは、もちろん音色も異なる。小曽根さん愛用のヤマハCF-㈽はとても力強く歌うピアノだし、スタインウェイはそれに比べると柔らかい音色を出す。にもかかわらず、僕たちオーディエンスにひとつの楽器のように聞こえてくるのは、二人のピアニストが実に繊細なキータッチのコントロールをしているからに他ならない。今夜の音楽が自由で奔放であるためには、このふたりのピアニストの長い経験に裏打ちされた高度なテクニックと、その上でなお、全身全霊でぶつかりあう豊かなリハーサルが要求されるはずだ。もちろんそんな努力の片鱗は、ステージ上で見せることのないふたりだが、それは彼らがほんもののプロフェッショナルだからであり、僕たちが彼らを心から信頼し、愛してやまない所以でもある。こうして、僕たちは、リズムを伴ってうねり始めた二台のピアノの音に、心と身体をゆだねていった。この曲の魅力を一言で言い表すことは難しいが、あえて言うなら音の圧力のすばらしさを堪能したということだろう。刻まれるリズムはほぼ一定、塩谷さんの作った美しいメロディラインも不変。しかし、曲が進行してゆくにつれて、一小節の中で弾かれる音符の数が、おそらく二倍・三倍と加速度的に増加してゆくのである。ひとつひとつつぶだって聞こえてくる音が、体感的には、二乗・三乗となってゆくように感じられて、ふとそれを聞き分けて感動している自分にさえ驚く。音が密集して圧力の高くなった一小節一小節はかえって重さを感じさせず、目の前で宙に舞い上がってゆく。ピアノの音は、たとえ圧力が高くても壁をつくらない。あくまでも、ホール全体に広がる…広がってフルオーケストラの音となったのである。いつしか、小曽根さんと塩谷さんは、主旋律とバッキングというパートを乗り越えて全速力でからみあい、壮大な音像空間を作り出した。ときに再現される主題にはっと覚醒しつつ、またメロディアスでありながらも構築的なインプロヴィゼーションの世界に、僕たちは耽溺したのである。
03 Something’s Happening (by Makoto Ozone)
前曲への拍手が終わらないうちに、間髪を入れず、小曽根さんが右手だけを使って、ブルージーでかつファンキー、クラシカルで実はモダンという、実に不思議なメロディを奏ではじめた。実際、僕が最初に感受した音は、確かにブルーノートだったが、次の瞬間ピアノコンチェルトのようにきらきらと音が舞い上がり、加速するにつれてラグタイムとなってこのままアクセルを踏み込むのかと思うと、不協和音で一度音程とリズムを下降させて、哲学的な十二音階となる。リズムは自在にコントロールされるが、いくつもの対立するモチーフをコラージュにして、この曲の呼吸を作り上げてゆく。一旦息を殺したところで、低音がリズミカルに刻まれ始める。足で床を踏みならしながら、再度急加速してゆくふたり。ピアノは打楽器だ。小曽根さんが主旋律を弾き始めた。”So Many Colors”から” Something’s Happening ”。実に、実に楽しい曲である。20本の指が全速力で動き始める。高音域から低音域までを使い切る小曽根さんの音の厚さは定評があるが、今夜はこれに塩谷さんのリリカルで理性的な音が重なる。まさにフルオーケストラ。二台のピアノがステージで踊る。ふたりは、頻繁にアイコンタクトをとりながら、笑顔で相手の音を聞きつつ、自らの鍵盤の両端を攻める。2コーラス目も、小曽根さんが主旋律を担うが、このインプロヴィゼーションがすばらしいのである。コード進行は丁寧にふまえながらも、音がすべて鋭角に逆方向から切り込んでくる。無数の音がうねる。音色だけを聴くと、さっきともう全く違う曲なのだ。これが今夜の、今夜だけの” Something’s Happening ”だと、オーディエンスを説得し魅了してしまう小曽根さんの確かな表現力は、なめらかに塩谷さんに手渡された。ステージ上の塩谷さんは、小曽根さんの演奏に全身を激しく貫かれ、舞い降りて来る音のひとつひとつを天恵のように感じて、ピアニストとしての想像力をかきたてられていたに違いない。だが、この理知的なピアニストは、はやる心と、あたりがついて飛ぶように動く指をなだめて、低音域からミディアムテンポで入る。そして、リズムに乗り、スイングしつつ、高音域まで一気に駆け上がるっては下降し再び上昇する。奔放だが、ひとりよがりではない。生み出される音像は、確かに塩谷さん独自のものなのだが、よく聴くと、直前の小曽根さんの演奏をディティールに至るまで実に正確にふまえていることがわかる。ふまえていながら、塩谷さんは一瞬のうちにそれを咀嚼し、自分のものとして再構築して演奏するから自然に聞こえてくるが、実はこのふたり、ものすごく高いレベルで対話を楽しんでいるのである。小曽根さんはバッキングをしながら、こう言っていたに違いない。「SALT、僕のそんな小さな装飾音まで聴いてたんや。おお、そう返してきたんかいな。よっしゃ、ほな次はこれいってみよか?」。この天才的なピアニストたちは、チャットをロングタームで行う。これが楽しいわけがない。しかし、最もすばらしいことは、アーティストたちの感動を音楽的知識のずっと乏しい僕たちオーディエンスにあますところなく伝えてゆく表現力を、このふたりが持っていることである。小曽根さんは立ち上がって「ダッダッダッ、ダッダダ」とリズムを刻み始める。二台のピアノと二本の足が刻むリズムはものすごい迫力である。高音は、なぜかアコーディオンかハモンドオルガンのような音がする。音と音が、不思議なケミストリーを生み出してゆく。今まで入ったことのない音場に、僕たちは息を飲む。フォルテシモからピアニッシモに一気にシフトダウンして主題が演奏され、再度上昇して壮麗なフィニッシュ。音が消えた瞬間、会場にブラボーの声がこだました。
小曽根さんがマイクを持つ。塩谷さんに向かって「リハと全然違うよね。ときどき、お互いに、なんすんねん!というところがありましたが…(笑)。ああ、楽しいね!」たまらない、この言葉。「世の中にはすばらしいミュージシャンがいっぱいいますし、上手なピアニストはいっぱいいるんですが、コンポーザーでかつすばらしいピアニストというと、けっこう数が限られてきちゃうんですね。僕は彼の音楽をはじめて聴いたのはSALT BANDでした。僕のやっているラジオの番組で、塩谷哲というピアニストの演奏を聴いて、『わっ、すごいやつがいる!』とすごく感動したんです。その後に、宮崎のフェニックス・ジャズインで、その日はどしゃぶりの雨だったんですが、僕は渡辺香津美さんというギタリストと行ってて、彼はSALT & SUGERで来ていて、そこで僕は生の演奏を聴きまして、『あっ、この人と一緒にやりたい』と思ったのが、もう五・六年前ですね。それからずっとラブコールをおくり続けていたんですが、やっと今日実現して、ほんとうに幸せなんです。DJをやっていたときに、一番ピーンときた曲が「あこがれのリオデジャネイロ」という曲で、これを一回弾いてみたくて…。僕はラテンが好きなので、是非この曲を弾かせてくださいということでお願いしました。ひとりで弾くと大変なので、ふたりでやりたいと思います。」
04 あこがれのリオデジャネイロ (by Satoru Shionoya)
塩谷さんのアルバム『88+∞』からの軽快なラテンリズム。SALTさんのファンにはおなじみの名曲である。小曽根さんの、あの熱いラテンの血をたぎらせたというこの曲の主旋律のコードを、まず塩谷さん自身が軽やかに弾いてゆくと、小曽根さんが高い音でちゃちゃをいたずらっぽく入れる。静かな、しかし次の展開を予感させる導入部である。チャーミングなリリカルな主題部には、和音でふくらませたロマンチックなファーストノートで入る。大人っぽく都会的な印象である。1コーラスが終了すると、あとはインプロヴィゼーションの応酬となった。濃密なアイコンタクトでパートチェンジをしながら、ふたりは全速力で高みを目指すのである。小曽根さんは、立ったまま鍵盤を叩く。もちろん、腕は両サイドに最大限に開き、足はリズムを刻み続けているのである。なぜあの不安定な態勢で、繊細なキーコントロールができるのか僕にはわからないが、天才の指は、フォルテシモからピアニシモまで自在無碍に表情を刻み込む。塩谷さんも負けてはいない。自分の作曲した曲が、小曽根さんに見事に料理されてゆく姿を心から楽しみながらも、その超絶技巧で小曽根さんの音を追いかけ、ぱっと前に出て高く低く飛んでみせる。ときには宙返りもする。小曽根さんは、そんな塩谷さんに敬意をこめて挨拶するがはやいか、急ブレーキをかけて、メロウでセンチメンタルなフレーズを弾き始める。リズムを変化させて第二主題に入り、曲に独特の深みをもたせるのだ。一度ピアニッシモになった音とスローになったリズムは、しかしもう一度天空に駆け上がるための身構えで、あっというまに二台のピアノがフルオーケストラとなって、大音場をつくりだす。一台のピアノが第一主題の最後の一小節をリフレインするたびに、もう一台がリズミカルに低音から高音まで鍵盤上を追いかけてゆく。これが楽しくて、楽しくて…。リフレインが数回続いて、華やかなフィニッシュ。オーディエンスから大きな拍手がわき上がる。ところがステージ上では…小曽根さんがクラッピングを始める。フラメンコの作法で右の耳の間近で手のひらをあわせる。続いてピアノのボディを叩く。内部に手を入れて弦をはじく。オーディエンスの驚き声が、小曽根さんがピアノの脇に置かれていたボルビックのボディをたたき始めたとき笑い声に変わって、二台のピアノも再起動。オーディエンスの三拍子のクラッピングの中、踊るように音を奏で始めるのである。やがて、ふたりは僕たちのクラッピングを置き去りにして急加速、無限の音符が駆け上がり駆け下りる豊穣のステージで、このふたりにしかできない掛け合いとなる。まさにF1の世界。直線コースではない。高速コーナーをフルスロットルで駆け抜けながら、要所要所でブレーキを踏み、繊細なクラッチワークで姿勢を制御している。塩谷さんは、巧みに不協和音で小曽根さんのピアノにからみ、挑発し、魂のバイブレーションを小曽根さんに伝える。その誘いに乗るかのように、小曽根さんの弾く主旋律の音は再び極小となって、ふたりは主題を不協和音だけを使って変奏、そして再びフルスロットルで再加速して、この曲二度目の華麗なフィニッシュ。オーディエンスからうなるような拍手がおくられたのは、あまりにも当然のことだった。聴いている僕たちの息がとまるほど凄まじい演奏であった。ピアノの脇に立つ塩谷さんの顔も、小曽根さんの顔も、明らかに赤みがさしている。このホールにいる誰もが、ここに今いられることを幸せだと感じる、そういう瞬間だった。
塩谷さんがマイクを持つ。「(小曽根さんは)手がどうなってるんでしょうねえ!」明らかに幸せな高揚感のなかにある者の愛に満ちた言葉である。塩谷さん自身が本気で驚いているのだ。「今日はスペシャルなイベントですから、実は僕の曲を小曽根さんがソロで弾いてくれるということです。僕にとってこんなにうれしいことはないんですけれどもね。」「僕は、あっちのほうで聴いています」。塩谷さんはそう小曽根さんに言い残して、静かに袖にさがった。
05 Pray (by Satoru Shionoya) * solo piano by Makoto Ozone
小曽根さんのソロの一曲目は、塩谷さんのバラードアルバム”Wishig Well”から” Pray”である。ソロの楽曲の選定についてふたりの相談はなく、小曽根さんがひとりで選んだということだ。第二部では、塩谷さんが小曽根さんの曲をソロで弾くことになるのだが、つまりはピアニストが最も気に入った弾きたい楽曲を、コンポーザーにデディケイトするという趣向なのである。あらかじめ予定楽曲としてリストアップされていたにせよ、「祈りPray」と名付けられたこの曲は、あまりにもこの夜にもふさわしいものである。Kitaraホールに集まったすべての人が想いをひとつにするようにして、小曽根さんのファーストノートを待った。水紋が広がるようにゆっくりと音のかたまりが開いてゆく…いくつも、いくつも。そして、第一の主題が静かに語られ始めるのだ。哀切なメロディは実に思慮深く構築されたものだが、それはクラシック出身の塩谷さんがコンポーザーとしての才能をいかんなく発揮したもの…。その一音一音を、丁寧にリリカルに歌い上げてゆく。小曽根さんは天井を振り仰ぎ、自ら演奏するピアノの音に自己を再投影しながらゆっくりと曲を進行させる。第二主題では曲相が変化し和音が多用される。暗い雲の切れ目から陽光が一瞬差し、この世に希望が存在することをかいま見せてくれる。祈りが簡単に受け入れられるわけでなない。しかし、私たちが生きることには確かな意味があるのだ。そんな風に聞こえてくるドラマツルギーを、この曲は持っている。しかし、再び展開する第一主題を、小曽根さんは不協和音をベースにしてより不安と悲哀に満ちたメロディにアレンジし、テンポと音量を巧みにコントロールして、ピアニストの絶望の深さを語る。きわめて抑制されているものの、人間の根元的な業の深さに静かに憤っているかのようであった。小曽根さんは最後にもう一度、第一主題を美しく力強く歌い上げる。緊張感をもって切々と…。絶望し傷ついた者だけが命の再生に参加できる、その大いなる癒しを音楽の力でなすために…。小曽根真は、一台のピアノで壮大なピアノコンチェルトにまさる音楽空間をつくりあげたのである。僕たちは身体の芯から揺すぶられ、深く感動していた。客席のどこかに座っているコンポーザーも、自曲の見事な解釈と演奏のすばらしさに、感動し酔いしれていたことだろう。
06 Piano Concerto in F, Movement ㈽ (by George Gershwin) * solo
「もう一曲、ソロで何を弾こうかと思っていたんですけれど、せっかくのチャレンジングなステージなので、めったに弾かない曲を弾いてみようと思います。自分の話なので照れくさいんですが、でもうれしい話なんで皆さんに言っちゃいますと、今年私、はじめてグラミー賞のノミネーションをいただきまして(拍手)、これはジャズではなくてクラシカルクロスオーバーという全然畑違いのところでノミネーションをいただいたんですけれど、ゲイリー・バートンという僕の師匠で、今はパートナーと彼は呼んでくれているんですが、彼と”VIRTUOSI”というアルバムを出しました。このアルバムはクラシックの曲を持ってきまして、原曲のモチーフをある程度弾いて、そこにコードをつけたしてインプロヴィゼーション・即興を入れてやった作品なんです。その中で、ラヴェル、ラフマニノフ、ブラームス、サミュエル・バーバーなどさまざまなクラシックのコンポーザーの小曲集をやったんです。ジャズとクラシックのクロスオーバーというと、絶対この人は切り離せないという人がジョージ・ガーシュインです。彼が「ラブソディ・イン・ブルー」を書いたのは26歳だと聞いているんですが、その翌年に「ピアノコンチェルト」というのを書きました。クラシックに詳しい方に聞くと、ピアノコンチェルトで三楽章がすばらしいという作品はあまりないそうなんです。この曲も楽譜を見ますと、一楽章が40ページもあって、二楽章はゆっくりですから15ページ、そして三楽章も早いテンポなのにわずか15ページぐらいしかなくて、ダダダダッと再現部だけで終わりという感じなんです。せっかくだから、この三楽章をむちゃくちゃにしてやってみようと思います。ふつうはヴィヴラフォンと一緒にやるんですけれど、今日はごらんのようにステージが狭くてヴィヴラフォンが置けませんから(あの、もっと笑ってもいいんですよ)、ひとりでどこまでできるかやってみたいと思います。」小曽根さんお得意の軽口に笑みが広がる。
実は、終演後にロビーに張り出されたソングリストには、この第一部の最終曲だけが「未定」となっていた。つまり今、ステージの上で、小曽根さんがこの曲を選んだのである。今この瞬間にしか存在しない小曽根真、入魂の演奏がはじまる。
前曲がスローなバラードだったせいか、とりわけ速く感じられる音の連打からこの曲は始まる。ホール全体が一瞬のうちに、渦を巻いて立ち上る無数の音符で満たされた。前にも書いたように、小曽根さん愛用のYAMAHA CF-㈽Sは非常によく鳴るコンサートホール用グランドピアノだが、上蓋をはずしているとはいえ、PAも通さず、この一台で、キャパシティ二千ほどのこの大ホールを見事な音場に変えてゆく。もちろんkitaraの音響設計が優れていることは言うまでもないのだが、この木をふんだんに使った美しい北国のコンサートホールは、冬場の湿気のために、以前より反響がややデッドになってきているらしい。ホールやピアノのコンディション、オーディエンスの数、それらの条件をすべて計算し、開場直前までのリハーサルを経て、今オーディエンスが聞く音は最高のものである。僕は、一瞬、アーティストとスタッフの方々の見事なコラボレーションに思いをはせた。
小曽根さんが生み出す音は、まさにコンチェルトのそれである。ピアノのパートのことを言っているのではない。フルオーケストラの音が、前から後ろから、そして天井から降ってくる。小曽根さんはガーシュインの書き残した音符を、敬意をこめながら再現しつつ指先に魂を乗せてゆく。インプロヴィゼーションの領域に突入すると、自由になった指先が饒舌におしゃべりをはじめた。テンポも音程も曲相も自由にコントロールしながら、音楽の限界域を試そうとする。しかしそれはいかにも楽しそうに行われるのだ。ある時は、フランス音楽の憂愁をおび、ある時はタンゴのフレーバーが顔を出す。ワルツで踊ってみたり、ブルースで泣き顔を見せたり…。世界の音楽がシームレスに小曽根真の世界に収斂してゆくというダイナミックな演奏なのである。コンポーザーのジョージ・ガーシュインは、都市の人間の生活をテーマにこの曲を書いた。頭にあったのは自らの住んだニューヨークの街角だ。しかし小曽根真は、そのモチーフを生かしながら、グローバルな、普遍的な人間というものをイメージし、楽曲をリデザインする。私たちの生きる21世紀は、世界中の誰もがかつてニューヨーカーの専売特許だった孤独と苦悩、時間に追い立てられる生活、それゆえの美へのあくなき欲求を持つのだと…。グローバルラングウェッジとしての音楽の可能性を追求する小曽根さんには、もはや壁などない。ツーンと突き抜けた自由な発想が、神懸かりともいえるテクニックと一体となって、この曲に結晶してゆくようだった。エンディングは心躍るラグタイム。その時、音楽の神は小曽根真とともにステージの上にいた。
こうして午後7時50分、第一部が終了したのだった。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?