伊藤君子トリオ 2024/5/11(土)
2024/5/11(土)
横浜ドルフィー
伊藤君子トリオ
伊藤君子(Vo.) w/鈴木瑶子(Pf.)、坂井紅介(B.)
中学一年生のとき、英語の” th ”の発音を僕に教えてくれたのは、いとこのパートナーのニュージーランド人だった。彼は自分の舌を上下の歯の間に挟んでみせて、無性音の” th ”を僕に教えた。何度も何度も発音させ、無声音の” th ”の発音だけを完璧にしてから、僕を帰した。たわいもないこの経験は、僕にとって、しかし、世界が置き換わるような感動を僕に残した。中学生の僕は、これで英語がわかったと思った。そして英語が大好きになった。それから数十年後に、彼の書いた吉備の歴史の本を日本語に翻訳しようとしたとき、いとこにそのことを伝えた。マイクは僕に” th ”を教えてくれたヒーローだった、と。いつも冷静ないとこが、泣くようにしてよろこんでくれたことを今も覚えている。僕が彼から直接英語を習ったのはその時だけだったのだけれど。
伊藤君子は、僕に「歌=song」を教えてくれた人だ。それは、ジャズソングに限定されない。「歌」の全身全霊というか、「歌」の存在感というか、ただそこに「歌」があることの凄みを教えてくれたのは、確かに伊藤君子だった。小曽根真とのデュオを聴きたくて、新幹線に飛び乗って、三重県の津まで出向いたこともある。岩手県の北上は泊りがけだった。そこまでしたのは、伊藤君子という存在をとおして、いつも「歌」が現前する瞬間に出会えたからだと思う。その伊藤のライブを、ひさしぶりに横浜ドルフィーで聴いた。出会ってから四半世紀、1年に何度かはライブに出かけていたが、今回ばかりは1年以上経ったのかもしれない。たぶん僕は「歌」を忘れていたのだった。
友人が、鈴木瑶子のピアノで歌う伊藤君子を絶対に聴けと言う。ベースは大ベテランの坂井紅介。ドラムレストリオである。鈴木と坂井は先日ドルフィーでデュオライブを成功させたばかり。親子ほど、いやそれ以上に歳が離れているふたりだが、相性は抜群だという。伊藤を交えたトリオもすでに何度か。
土曜日のドルフィーはほぼ満席。青森からも関西からも、そして北海道からも聴衆は集まっていた。伊藤は少し驚いていたようだった。「どうしちゃったの?」。でも、それは伊藤君子を通して「歌」を聴こうとする熱心な聴衆たちだった。
伊藤の「歌」は融通無碍。彼女が歌えばそこに「歌」が立ち上がる。だがその安定感に安住する伊藤ではない。ファーストセットのヘンリー・マンシーニ特集、セカンドセットのバーグマン夫妻特集には、今まで歌ったことのない新しい楽曲が組み入れられ、鈴木にアレンジを依頼したという拍子を複雑に変化させた楽曲にも果敢に挑戦するなど冒険の連続。出来上がった「歌」に安住することなく、つねに「歌」を試み「歌」に挑戦する伊藤の姿勢には、凄みと神々しさを感じた。背筋がスッと伸びるような、でも同時に、究極に美しくくつろげる歌を聴衆は堪能したのだった。みごととしか言いようがない。
伊藤とは長く演奏を続ける坂井紅介のベースは、変化に富むプログラムのリズムを支配し、ときに全力疾走し、ときにすすりなく。バラードもブルースもおてのものである。鈴木と親密なアイコンタクトをとりながら、伊藤の「歌」に命を吹き込み続ける。
鈴木はというと、コンポーズもアレンジもできる彼女のタレントを生かして、構築的で重層的な演奏で伊藤を支える。とても複雑な自らのアレンジを、いかにも楽しそうに歌い上げる。それでいて、伊藤の「歌」を決してじゃますることはない。天を仰ぎ見るようにしながら、上から降ってくる音を全身に浴びて演奏する姿は、師匠の小曽根真を彷彿とさせるが、歌伴をしながらそうのような豊かなインスピレーションに満たされるのは、彼女が音楽の神に選ばれた特別な存在であることの証拠でもあろう。そして彼女が伊藤や坂井から受け継いでいる音楽のレガシーはとてつもなく大きいはずだ。
終演後、伊藤に鈴木とのなれそめを聞いたら、忘れたという。それがペコさん独特の照れ隠しであることは、鈴木の言葉から理解できた。鈴木が伊藤の「歌」を聴いたのは学生時代、この横浜ドルフィーだったという。もう歌がすばらしくてあ、私は泣いてしまって…と鈴木は続ける、楽屋に行ってその感動を伝えたのだそうだ。何度も何度もライブにでかけて、小曽根真の弟子の鈴木揺子ですと名乗って…そのうちボイシングを伊藤から教えてもらうことになって、やがてライブでピアノをまかされるようになった。それから1年くらいです…と鈴木はいう。この笑顔が美しい女性のどこにそんなパワーがあるのかわからないが、その音楽への執心が、伊藤への強いリスペクトと愛へと変換されて、鈴木の音楽をますます育てているようだ。きっと鈴木も、伊藤の「歌」の存在に一度は沈黙しただ泣いたのだろう。その思いを持ち続け疾走する彼女の未来に期待できないはずはないのである。
それでも歌伴は難しい。鈴木もそう言うし、伊藤もそう言った。でも瑶子ちゃんは、作曲もアレンジもできるし、なにしろ英語ができるから…。伊藤はそう語り鈴木への深い信頼を寄せた。伊藤と共演した楽譜のすべてを保存し持参した鈴木である。ダブルアンコールのとき、フロアから「ブリッジズ」がリクエストされたが、譜面をもっていたのは鈴木だけだった。鈴木はうれしそうにその譜面を取り出しピアノで演奏をはじめる。伊藤が歌いはじめる。坂井が僕ついていくとあわせる。この一夜のライブを終えるにふさわしい「歌」であった。
わたしたち聴衆にとって幸福とはこのような稀有なライブを聴けることである。それはアクシデンタルなことではあるが、修練を重ねたすぐれた音楽家には必然なのだとも思う。新しいレガシーを鈴木たちが作ってゆく。伊藤君子に「歌」を教えられた僕たちでさえ期待せずにはいられない。