サマーナイト・ジャズ~小曽根真×ライジングスター From Ozone till Dawn
フェスタ サマーミューザ KAWASAKI 2024
《サマーナイト・ジャズ~小曽根真×ライジングスター From Ozone till Dawn》
第二部だけのライブレポート
20分の休憩ののち、第二部がはじまった。「ただいま」と客席からの声。聴衆がざわめくなか、小曽根真・小川晋平・きたいくにとのトリオがステージにあがる。第一部の熱狂が冷めやらぬ聴衆からは大歓声が沸きおこるのは当然のことだ。「第一部、長かったですね」と小曽根。聴衆は爆笑。確かに約70分に及ぶ熱いセッションだった。「あとで時計を見て、こんなにやっていたのかと驚きました。というわけで第二部は15分くらいで終わります」。聴衆はまたどっと笑った。
小曽根はここで客席にいた壺阪健登をステージ上に呼び上げる。前日、この日のプレコンサートに出演した石川紅奈と組むユニットSorayaでフジロックに出演した壺阪が、客席一階に座っていたのである。フジロックで使ったキーボードが、そのままステージ上に置かれていた。
小曽根が語る。「健登とはじめて出会ったのは、まさにここにいる晋平とくにととのトリオで演奏しているのを、僕が聴きにいったときでした。六本木のライブハウスAlfieです。そこで出会ってしまった。出会わされてしまった(笑)。そのときに、トリオでの演奏を聴きながら、彼がソロで演奏しているイメージがわいてきたんです。それで後にソロアルバムを出してもらうことになるのですが…。ともかくその時おともだちになった。今日はその時の三人がそろったので、まずトリオで演奏してほしいと思います」そういって、小曽根は空いている客席に座った。ピアノの前でマイクをもった壺阪は「では、そのライブでもやった『こどもの樹』という僕の曲を演奏します。これは青山にある岡本太郎さんの『こどもの樹』と名付けられたオブジェからインスピレーションを得て書いた曲ですが、岡本さんの作品は、こどもの顔が枝の先についた果実になっているすばらしい作品です」。天才岡本太郎のインスピレーションを得た壺阪の楽曲は豊かな表情を持ち、こどもが聴いてもわかるメロディアスな側面を保ちながら、複雑な構造を内包している。気心の知れたトリオできわめてタイトに演奏された。こうして"From Ozone till Dawn"のはじまりが、音楽によって思い出され、新たに物語られたのである。
小曽根は客席からステージに上がる。
「晋平は、サンフランシスコでジャズを学び、ニューヨークへ移って、さあこれから…というときに、コロナのパンデミックがはじまって、日本に帰国してきたんです。さきほどのトリオもそうですが、日本でさまざまなミュージシャンとセッションを重ねるうちに、僕に見つけられてしまった(笑)。」
「くにとは、神保彰さんにあこがれて、国立音大に入学してきたので、最初は学生として出会ったんですが、在学中からめきめきと頭角をあらわして、さまざまなミュージシャンに請われるドラマーになりました。在学中からクルーズ船に乗ったりして、セッションは重ねてきましたが、すばらしいドラマーになりました。ドラムって、ほんとうに難しい楽器で、ドラム自体はメロディは演奏できないんですけど、リズムやグルーブを作ることで、メロディを弾く僕たちを支えてくれる。よいドラムがないとよいメロディは生まれてこないんです。そういう大切な役割を担ってくれています。」小曽根のこの言葉どおり、第一部で演奏されたきたいのオリジナル楽曲(ノータイトル)は、とてもメロディアスで美しいラテンフレーバーの楽曲あった。演奏と作曲が相互補完的に音楽的人格を形成する。それを目の当たりにできたのは幸福の極みである。
小曽根の丁寧なメンバー紹介は、愛情に満ちており、彼らの音楽性へのまっすぐなリスペクトが聴衆にも深く理解された。若いミュージシャンたちが、小曽根ほどの天才と「おともだち」になるためには、技術的にも精神的にもタフでなければならないし、生まれ変わるような自己変革をしなければならなかっただろう。そして、そしてそれぞれがその修羅を通り抜けてきたからこその相互信頼、リスペクトなのだろう。朝は訪れた。しかし、これはただのはじまりにすぎない。
小曽根がピアノの前に座り、壺阪は自身のキーボードに移動して、デュオで壺阪の"With Time"が演奏された。先日東京芸術劇場で大林武司とともに三台の鍵盤楽器で演奏されたこの曲は、今回みごとに二台用にアレンジされ、壮大さと繊細さとをみごとに交錯させながら、小曽根との対話の中で、壺阪の豊饒な世界観を彫琢していったのだった。小川ときたいは、階段状のステージの上段に腰かけてふたりの演奏に耳を傾けていた。
客席から、トランペットを吹きながら松井秀太郎がステージにのぼってくる。演奏されたのは松井の書いた新曲”If”。トランぺッターの書いた曲らしい華やかさを持つが、同時にクラシック音楽からインスピレーションを得たとおもわれる沈潜する構造を持つ。決して単純な楽曲ではない。この曲は、秋にリリースする松井の二枚目のアルバムに収録されることになっているそうだ。
小曽根は言う。「秀太郎は、最初国立音大の学生として出会ったんですが、吹奏楽部出身で、クラシックはやっていたけれど、入学当時、ジャズはほとんど弾いたことはなかった。自分の枠を広げるために、ジャズ専修に入ってきたんですが、むしろ最初は弾けなかったといいかもしれない。今年とても美しく演奏するトランぺッターが入学してきた。でも苦労するだろうな…とも。でも、彼は一年一年、驚くように変わっていったんです。頭角を現すというより、どんどんどんどん変わっていく。僕は大学の四年間でこんなに変わった学生を見たことがありません。彼の卒業試験の演奏を、僕はニューヨークから帰国したばかりの自宅待機期間で、しかたなくiPadで聴いてたんですが、彼が何をしようとしているか、何を目指しているかが、演奏からはっきりわかった。僕は心から感動したんです。その彼が今こんなに活躍している。ほんとうにすばらしいことだと思います。」小曽根からこんな言葉をもらったら、もう十分だろう。だが松井にとっても、今、すべてがはじまったばかりなのである。世界は目の前にある。そして未来も…。
第二部の最終曲は、小曽根の"Deviation” ”TRiFiNity”からの楽曲をトランペットカルテットで(アルバムはテナーサックス)。4人のミュージシャンの熱い思いがつまった、この日のコンサートにふさわしいブルージーでタイトない演奏であった。メンバーの自由な対話によるジャズミュージックの極北を経験することができたと思う。
アンコールは、今日唯一のスタンダード”No More Blues"(アントニオ・カルロス・ジョビン)。プレコンサートで演奏した石川紅奈がボーカルを担当、エレクトリックギターのTaka Nawashiroさらにキーボードの壺阪健登も加わって、リラックスした、しかしとりわけブルージーなラテン音楽の世界が開示された。
もちろん第二部が15分で終わったはずはない。聴衆は十分に心満たされて川崎の灼熱の夜に放たれたのである。
今回のレポートでも第一部を割愛することをお許しいただきたい。小川晋平の"Blues in the Library"、さきほど紹介したきたいくにとのノータイトルの新曲など刮目すべき楽曲もあった。松井を加えたチャイコフスキーの”Nspolitan Dance"やプロコフィエフのソナタなどの狂おしいまでの名演奏もあった。しかし、これらは、私の言語力ではとうてい表現できないものであり、コンサートホールやジャズクラブに足を運んでいただくほかはないと思う。そして、彼らは日々命がけで真剣勝負を聴衆に挑んでいるのだと確信する。
自作の楽曲と演奏で音楽を表現すること。小曽根が生涯をかけて貫いてきた道が今確実に若い世代の音楽家たちに受け継がれようとしている。創作と演奏への渇望がせめぎあう音楽的人格のなかで葛藤し表現すること。そしてそうした自律した自由な音楽家たちが集まり、みごとなアンサンブルをかたちづくることでジャズミュージックが成立し、未来へ伝えられてゆくこと。どうやらその第一歩を踏み出したようだ。
”TRiFiNity”は実に自由だ。メンバーの書く楽曲を聴いていると、メンバーのことを心から信頼するゆえに、今自分たちのできる究極の境地を妥協なく目指していることが私たちにもわかる。小川の新曲に小曽根が「こんな曲を書くやつは性格が悪い」と言ったいうのは最高の賛辞であろう。濃密なアイコンタクトのなかで、相手を信頼し、リスペクトし、愛し合い、その一回一回新しい曲を創造してゆくジャズミュージックの魅力。小曽根がThe Trioのクラレンス・ペンとジェームズ・ジーナスを信頼して、あてがきをするようにして疾走する名曲の数々を書いてきたことを思えば、”TRiFiNity”のふたりもすでに彼らに比肩しているのではないかとも思う。これはすごいことだ。すばらしいことだと思う。
小川晋平もきたいくにとも松井秀太郎も壺阪健登も石川紅奈もTaka Nawashiroも、この日のコンサートを経たことでまたひとまわりもふたまわりも大きくなる気がして胸の高鳴りが収まらない。
私たちにできることは彼らを聴き続けることでしかない。しかしファンにとってこんな幸福なことはないと思うのである。(了)