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【自分】学校の先生がある日不登校に。IT企業のスタートアップへ転職した人間のお話。

はじめまして、御堂筋と申します。
IT企業でキャリアアドバイザーをしています。

今日は折角なので自己紹介をしたいと思います。

簡単な経歴


  • 20代後半です

  • 二児の父です

  • 趣味は読書やブログ執筆です

  • 教員(4年)⇨ITスタートアップ(1.5年)⇨ITスタートアップ(現在)です

教員を志したきっかけ

きっかけは中学生の頃でした。
勉強を同級生に教えたことで、その同級生が「おお!分かりやすい!」と言ってくれて、感謝されたことが原体験になっています。

大きなことは考えていませんでしたが、 「自分の持っている知識が、誰かの役に立つ」 ということが嬉しかったことを今でも覚えています。

個別塾のアルバイト/教育実習/教員採用試験

そんな気持ちを抱き、高校へ上がり英語の教員を目指し受験に合格し大学は英文学科に進学しました。

そこで個別塾のアルバイトを始めました。理由は至極単純で、 「今後教員になるために今のうちから経験を積んでみたかったから」 です。

ここでは初めて 「お金をもらって誰かに勉強を教える」 という貴重な経験を積むことが出来ました。

受験勉強を一緒に頑張り、合格の瞬間を味わえたことは今でも大切な思い出です。

大学4年次の教育実習では母校に戻って集団の授業やホームルーム活動を経験しました。

塾とは違った形式のため、悪戦苦闘しながらも何とか3週間やりきることが出来ました。
拙い授業ながら一生懸命聞いてくれた当時の生徒には感謝しかありません。

教育実習後は教員採用試験が待っていたので、1日10時間以上勉強をしていました。

ひたすらに大学の図書館に閉じこもって何冊もの参考書・問題集をやっていました、もしかしたら大学受験よりも勉強したかもしれません。笑

あの時辛抱強く論文添削や面接対策をしてくださった教職センターの先生にも感謝したいです。

運も相まって何とか学生時代に教員採用試験をパスすることが出来て、晴れて「学校の先生になる」という夢を叶えることが出来ました。

教員生活はプレッシャーの毎日

積み上げた努力の末になれた教員、とはいえ経験は乏しかったため、毎日プレッシャーを感じながら授業準備などを行っていました。

毎日生徒の反応を気にしては、

  • 授業は分かりやすく出来ているだろうか

  • 部活動のメニューは皆が納得しているものになっているか

  • ホームルームでは自分の伝えたいことが伝わっているだろうか

のようなことを考え、悩んでいました。

  • 英語の授業

  • 部活動の指導

  • 生徒会の運営

  • ホームルームの運営

  • その他裏側の業務

  • 事務処理

など、非常に多岐に渡る業務だったため、ゆっくり考える暇もなくひたすらに仕事に向き合っていました。

「とにかく一生懸命やるしかない」

その一心で生活していました。

「上手ではないかもしれないけど、ここまで一生懸命やってくれているなら…」

と話してくれる生徒もいて、本当に有り難かったです。

度重なる業務、気づけば1ヶ月の残業時間は130時間・年間の休日は26日に

ただ、こうした業務を続けている内に休みはほぼ無い状態になりました。

  • 5月のGWはインターハイ予選前で部活の毎日

  • 夏休みは部活動の基礎堅めの毎日

  • 春休みは次年度の準備と部活動の毎日

など、ほぼ部活動に時間を取られる日々でした。

もちろん、部活動は非常に大切な教育活動の一環であることは理解しています。
ただ、自分自身は「英語の教員」を選択してなったので、そこは若干ギャップがあったなと自分の責任を感じています。

ここまで部活が毎日あるとは…という気持ちでした。

「本当に自分がやりたかったことは、これだったのか?」

そう思いながら毎日過ごしていました。

だんだんと気持ちが暗くなり、

「行きたくない」

そう思うようになりました。

ある日、心がポッキリと折れて不登校に

そんなある日、お昼時にある出来事があり、

「もう耐えられない」

そう思って気付いたら有休を取って帰宅していました。

帰り道あまり覚えてはいないのですが、iPhoneのChromeアプリのタブに「退職代行」関連の記事が沢山並んでいたことは覚えています。笑

それくらい限界が来ていました。

次の日から学校には行かなくなりました。

管理職との話し合いの末、退職へ

何度か管理職にご足労いただき、面談をしていきました。

まずは「休職」という形でお休みを頂きながら「今後どうしていくか」を考えていました。

-「あれだけ長く目指していた先生を辞めて良いのか」
- 「別の学校でリセットすれば新しい気持ちで続けられるのでは無いか」
- 「でもまた同じ環境になったら?」

そんなことを自問していましたが、やはりこのまま続けていても難しいと感じ管理職には退職したい旨をお伝えしました。

管理職のお二人にも了承していただき、退職が決定しました。

よく、退職については色々とネチネチ言われるという話を聞いたことがありますが、私の場合は一切なく次のキャリアを応援してくれました。

何度もご足労いただきながら、お話を聴いていただいた管理職にも感謝です。

公務員から民間への転職活動、現実はそんなに甘くない

こうして次のキャリアを探すべく転職活動を始めることになりました。
年齢的には20代ではあったので、どこかしら拾ってくれるだろうと高を括っていましたが、そんなに甘いわけがありませんでした。

- 何故退職するのか、勿体ない
- 私立や塾の教室長には行かないのか
- 今後は何がしたいのか

元来お話することは好きだったので、話自体は盛り上がるのですが本質的な問いに答えられず、お見送りをいただく毎日でした。

毎週毎週自己分析をして、「これからの自分はどうしたいのか」を少しずつクリアにしていきました。

1社だけ自分を肯定してくれる会社と出会う。ITスタートアップキャリアの始まり

お見送りをいただきながらも1社、自分のありのままの考えを肯定してくれたのが前職の会社でした。

その会社は 「自分が幸せである、という前提があってこそ人を幸せにすることが出来る」 という価値観を持っているITスタートアップの会社でした。

正に自分が教員時代悩んでいたことと合致する会社でした。

自分の正直な考えや転職理由を話したところ、

「とっても素敵ですね!」

と一言いただいたことを今でも覚えています。

「この会社に入りたい」

そう思い猛対策の末、内定を獲得、即承諾しました。

「初めて自分のキャリアが肯定された」

という気持ちになり、嬉しかったです。

そして入社後キャリアアドバイザーとして勤務し、多くの方々と出会い、キャリアに伴走しました。

2社目ではある程度やりきったと感じ転職しました。
この辺りのお話は、またどこかでしようと思います。

現在から未来:「人生に向き合う」は昔から変わらず。多くの人のキャリアに伴走し、「幸せのきっかけ」を一緒に見つけたい

転職しても自分自身の「何故仕事をするのか?」という考えは変わっていません。それは、

「仕事と家庭それぞれバランス良く貢献しながらお互いに幸せの連鎖を生み出していきたい」

です。

仕事では候補者からの「ありがとう」が原動力になっています。

これからも候補者と同じ目線で悩んで、喜んで、大切なキャリアの分岐点に関わっていきたいと思っています。

以上です、長文・駄文ですがお読み頂いた方がいらっしゃいましたらありがとうございました。

少しでも良いなと思いましたら「スキ」をしていただきますと幸いです。
もし万が一「面白かったな」と思って頂けましたらお心ばかりいただけると執筆の励みになります。

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