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昨年の大晦日、ミケが現世とさよならした。いつかはお別れの時間がくると、わかってはいたはずなのに、本当に来てしまうのか、と、動揺した。あせってしまった心は、いったん、体の外の空気を求めて、散歩に出た。早歩きでそのへんを一周してから「こんなことしてる場合かよ」と気づいて、あわてて体に帰ってきた。直後、深い悲しみの波が、私たちを襲ったのだった。

あまりにも現実味がない出来事だった。ミケは21歳だった。21年も生きた猫が、普通に暮らしているほうがおかしな話だが、ミケはとにかく健康な猫だったのだ。体調を崩したのは、この2ヶ月くらいなもんで、通院・投薬中も、症状は地道に改善されていた。改善のスピードよりも、体力の消耗がはげしい年齢だっただけだ。
ミケはうちで生まれて、うちで死んだ。最初はミケの母猫・兄弟猫と3匹でなかよく暮らしていたけど、すこしずつ、猫は減ってゆき、ついに全員いなくなった。21年間、うちにはずっと、猫がいたのに、2025年からは、1匹も猫がいない。強烈な違和感に、家族一同そわそわしている。

ミケは母のベッドで寝るのが好きだった。暇なとき、なんとなく冷蔵庫を開けるような頻度で、母のベッドを覗くのが、わたしの習慣になっていた。いつも通り、そっと見に行くと、なにもいないことに気づく。これを何度か繰り返し、そのたびに心がもぞもぞした。ちいさい猫1匹いないだけで、部屋が寂しそうだった。とてもひろかった。このひろさは、私の喪失感を表しているのだと思った。猫はこの家にとって、ほんとうに大切な家族なのだ。どの猫がいなくなっても、胸が引き裂かれそうなほど苦しい。うちの猫は全員、人間になついていなかったけど、そんなことはどうでもよくて、ただ生きていてくれないことが信じられない。

「ミケはなんでこんなにかわいいのだろう。」死体をみて、改めて感じたことだった。いのちの灯火がなくなったミケ。どれだけ苦しい顔をしていたって、相変わらずかわいかった。でも、あまりにも抜け殻だった。あんなにやわらかかった体は、かちかちになっていて、あんなにピンクだった肉球や歯肉も、かぎりなく彩度が下がっていて、血が通っていないことがいやでもわかるのだ。ミケの体なのに、全然ミケじゃなかった。もう本当にここにはいないんだなって、すぐにわからせられちゃった。ああ、こんなことしてもしょうがないのに、と思いながら、それでも、ミケじゃなくなったミケの体を、黙って撫でる。
死体ってばい菌が繁殖していて、汚いんだろうな、と思ったけど、そんなことに、構っていられなかった。しずかに泣きながら、ミケのこめかみとか、首の付け根とか、しっぽとかを触っていた。母が「しっぽはふにゃふにゃだね」とか「ここ触られるの好きだったよね」とか声をかけながら、わたしの隣にいてくれて、抜け殻と母と、最後の時間を過ごした。

ミケは火葬されることになっていたので、家族みんなで遺体を運んだ。年末年始、ペット用の火葬場はたいていお休みのようで、出張火葬屋しか見つならなかった。私はまったく聞いたことのないサービスだったのだが、出張火葬屋は、後方が焼き場になっているような形の車で我が家までやってきて、駐車場でそのまま焼いてくれるようだった。
火葬屋は約束の時間よりもすこし遅れてきて、なにやら結構いそがしいのだと話していた。一言目に「今日で9件目です」と言っていたから。正直ちょっと笑ってしまった。わたしは繊細だとよく言われるので、きっと必要以上に、いやな気持ちになりやすいのかもしれないけど、なんとなく「21年暮らしていた家族の死を"9件目"という、事務的な言葉で形容したな?!」と思った。失礼な人とまでは、まったく思わなかったけど、これだけ淡々と仕事をするのか、ペット葬儀の人は、なんかもうすこしこまやかな気遣いをしてきそうな、気がしていた。利用機会がないから、よくわからないもんだな。

忙しさアピールを結構されたので「どえー元旦なのに9件もー」とか適当な声で返事をしていたら「日本で飼われている犬猫は小学生の3倍くらいいますからね」とかえってきた。聞いてない豆知識を、よく振ってくる人だった。つい「どえー日本の未来は暗いですねー」とか言いそうになったけど、あまりにも脳みそを通していない言葉だし、まったく関係ないから、全然言わないほうがいいなと思って、黙って話を聞いた。
焼き場にミケの遺体がそっと運び込まれる。8体も焼いたあとだから、焼き場はあったかかった。体温がなくなったミケの体が、ちょっとだけ、ぽかぽかになる。ここで、ミケを燃やすのかと思うと、頭がおかしくなりそうだった。こんなに熱いところにいたら怪我をしちゃうのに。ミケ、危ないよ!って、本当は心の中で叫んでいた。でも、生きていないから、もう怪我をすることもなくて、この暑さにも、ぴくりとも動かなくて、このときはじめて、ミケは死んだのだと実感した。

この火葬屋がもっといやなことをいってきたら、お金を払った上で、なにもしないで帰ってもらいたいな、という覚悟を持っていたが、もちろんそんなことにはならずにすんだ。ちなみに、火葬後に弟と「あいつノンデリジジイだったね」と話していたら、まったく同じことを言っていた。私と弟は、家族の死を前にして、かなり神経質になっていたようだった。母親は「火葬場の人なんだから。いちいち悲しんでいたら仕事にならないわよ。あの人はとても立派な社会人だったじゃない。」と、嫌味なしに、真剣な顔で言っていた。だれよりも悲しいだろうに、こういうことを言えるのが母の強さだ。

今日はお通夜だね、と言いながら、おせちを食べる時間になった。家族の中で、唯一猫のことを全然好きじゃない祖母が、開口一番に「明けましておめでとうございます」と挨拶したけれど、祖母以外は喪中気分だったので、なんか笑ってしまった。父親は「乾杯じゃなくて献杯だな!」と日本酒を飲み始めた。ノンデリ老人だらけだった。こんなふうに笑える方が救われるよな、と思った。

私はミケのしっぽの骨を、ちいさい入れ物に分けてもらった。ミケはしっぽがとっても長くてかわいかったから、たまに入れ物の蓋を開けて、骨をじっと眺めたり、においを嗅いでみている。私はよく物をなくすけど、これだけは私が死ぬまで無くしたくないと思う。
生き物が死んだあと、なんで火葬するんだろう、と思っていたけど、ミケを燃やした後に突然「死体は燃やすのがベスト」だと思った。遺体を見ていると、もうその生き物じゃなくなったのに、外身だけ残っているせいで、まだそこにいるような気がしてしまうから、ないほうがいい。骨ってちょうどいいんだ。
ミケがいなくなって以降、ずっと怖かった"死"が、なぜだかあんまり怖くなくなった。ただ命がなくなるだけで、そこに私はもう存在しないから。私が死んだときは笑って欲しい。弟に「EDMを流せ」とだけ伝えてある。

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月詠 みこと
ここに投げられたお金を、酒代に使ってしまうような私で、申し訳ありません