ロマンティックラブ・イデオロギー
私は自分の家庭に対しての感情が、かなりあやふやなんだけど、大前提として、いつだって感謝と愛情に溢れている。実家を出るまでは苦しいことも多かったが、その苦しさも、私が原因だったことがたくさんあったと思うし、今はもう、全て終わったことだから、べつにいいんだよ。
という感じでね、親も兄弟もひとりの人間だから、あくまで他人だからって思えるようになって、途端に関わりやすくなった。そのおかげなのか、拠り所みたいなものも無くなってしまって、それだけ困っている。いつからこんなに辛かったっけ、とか考えたら、やっぱり1人で暮らし始めてからだなと気づいたよ。
人はこういう感情を通して家族を作るのかな。新しい自分の居場所。育ってきた環境とはまた別の家庭を、自分+他人の手で作りあげることで、人は新たな村を開拓するのかな。
それが結婚なのだろうか。結婚したことないから、結構なんにもわかんないんだよね。
そもそも私が家庭や結婚に対しての現実味が薄いことは、確実に生育環境が影響している。両親のことが大好きでも、両親のような結婚がしたいと思ったことは一度もない。こうして身近に手本がなければ、結婚が自分ごとだとは思えないでしょう。
両親が嫌な結婚をしたとは思わないけど、前提として家庭の宗教問題(汗)が常に存在していたことが、私にとっては良くなかったような気もする。あと、なんだか母が怒っている姿が印象深い。なにか母の機嫌を損ねた時は、パパにそっくりね、と捨て台詞を言われて育った。(余談だが、私はお母さんヒス構文で笑えない。あまりにも私の母そのもので、当時の記憶が蘇ってしまうからです)
ある時、父親が「私に似ているせいで、お前が叱られてしまうことを申し訳ないと思っている」と、俯きながら話してくれた姿が、頭にこびりついて離れない。親からそんな謝罪をされてしまう不甲斐なさもあるし、あの時ほど父が小さく見えたことはなかったのだ。
私の父は発達障害だと思う。いやこれ、弟と話し合ったけど、冗談じゃないレベルで、ほぼ確実にそうだということになった。いやな話ではなく、かなり笑えるんだよな。ありえないほど人の気持ちに鈍感で、言っちゃいけないことばっかり言うし、ギャグ漫画みたいに時間が守れない。そのくせして、人に対してすんごく優しくて、おおらか。まったく憎めないし、可愛らしいと思う。
これは笑えるかどうか分かんないけど、私は父によく似ていた。父のことを理解できない母は、私のことだって、どうしても理解できなかったんだと思う。母のことを母として尊敬すると同時に、ひとりの人間であると考えている分、受け入れられないストレスを発散させる方法がなかった環境を憐れむような気持ちがある。私が母だったら苦しいと思うから。なんであんな酷い言葉を投げかけたの?って思うことも、たまにあるけど、母は一生懸命向き合ってくれたから、そんなことで母への感謝や愛情が薄まることは、ない。
成人してからは「母も彼氏の1人でも作っちゃえば?」くらいの顔をして暮らしていたけど、こんな気持ちになることが正解なのかは分からないよ。両親の仲がとんでもなく悪かったわけじゃないけど、父だけでは、母を笑顔にできないのかな、とか、女性としての幸せがもっと欲しいのかな、と考えたときに、母にも幸せに生きて欲しいと思う。子供がこんなことを言っていいのかも、本当に分からない。モラルの話じゃなくて、ひとりの人間として、母の幸せを願いたいんだ。
母とふたりで酒を飲みに行った時に、昔の恋バナをしてくれた。あんまりよくない話だった(爆笑)。母が辛かったことだけ分かったんだ。
私は母の気持ちを考えて、その場で泣いてしまった。母は困ったように笑っていた。子供にこんな話してごめんねーって言われたけど、そんなことはどうでも良くて、同じ人間として、母の選択とか感情とか、かっこよく見えたし、そんな気持ちを経験しながらも、私を育ててくれたことが、嬉しかった。
母は「結婚して子供産むなんて思ってなかった。でもあんたたちみたいに面白い人間が育ってくれて楽しかった」と言っていた。そんなノリで子供産んでもいいんだ!って衝撃を受けたし、そう言ってくれるなら生きてきてよかった😊とも思った。
私も結婚や出産をする機会があれば、こんな気持ちで、おだやかに見守る姿勢を取りたいよね。人間って面白!みたいな顔で、子供のことを大切にできたら、それが一番だし楽しいだろうなあ。
と、同時に、恐怖もある。両親と同じような教育方法しか、自分の子供にできないのだとしたら、死にたいくらいには、絶対真似したくないからな。どれだけ家族のことが好きでも、子供時代の苦しさは、一生拭えることがないし、なんならいまだに、こうやって心が弱っている時はとくに、悩まされている。ありえない虐待を受けたとかでもないのに、確実に傷になっているんだよ。
母の言葉が強かったから、私は優しい言葉を使いたいし、父の怒鳴り声が怖かったから、大きい声を出す人を見ると体が震える。こうやって、いくら自立したって、いくら物理的に距離を置いたって、親の教育によって形成された自我は確実に存在する。親を言い訳にしたくないから、絶対に何にも負けたくないし、一人でも暮らせるって思いたいし、まあ全部できてるからいいんだけど。
自分の見たものしか、人に提供できないのなら、自分の子供なんて生まれたらかわいそうだと思う。そんな不安があるから、結婚とか出産とか、酒の肴にしかならない話題なんだろうなあ。私が二日酔いで唸っている間にも、周りの人たちは結婚したり子供を産んだりしている。子どもの頃はみんな同じだったのに、大人になると分岐点がたくさんあるんだよな。人生ってマルチエンディングやね。私はどんなふうになってゆくのだろう。幸せな恋愛も結婚も出産も、すべてが夢物語のよう。夢で終わっても素敵だし、現実になってもかわいらしいなと思う反面、そんなものはないと分かってはいる。人生惑わす病気。
ここに投げられたお金を、酒代に使ってしまうような私で、申し訳ありません