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今週の脳みそラリーまとめ

・自分の部屋のことを独房と呼んでいる。暮らす環境を整えるのがめんどくさいなと思ったまま、もう1年が経とうとしていた。収納はない。炊飯器もない。ケトルもない。(しかし卓上フライヤーはある。みたいなアンバランス感もまずい) 人が来ると申し訳ない気持ちになるのが、我ながら切ないので、一回だけやる気を出して、カラーボックスとか購入しようかな。

・実は、圧倒的ハンガー不足で、部屋が服だらけになっていたのです。この一年。ずっと。私は服を畳むのが苦手だから、なかなか箪笥にしまえなくて。でも、それも今日で終わった。楽天で購入したから。ハンガー50本。一生分のハンガーだわ。もう服を畳まなくて済む。部屋が服だらけにならなくて済む。無心でハンガーにかけまくったら、部屋が鬼のように片付いた。本当に、心の底からうれしいな。

・じゃあ、なんで今までやらなかったの、と、自分が心配になる

・ハンガーが足りないなら買えば良い、とか、そういう当たり前の問題解決すらも、暮らしに興味がないから出来なかったんです。人と話してる時は、頭が元気になるので、そのときに「買えば良いのかも」と気付けて、勢いで購入した。ワンタップで購入できるのにね。

・人生において、もっとも不便だなと思うのは、自分のこういうちいかわ的側面だな。わりと真剣に悩んでいる。みんな、当たり前のように不便さを解消するための工程を考え、実行できるのは、なんでだろう。こういうのができない自分は、めっちゃ馬鹿なのかもしれないな、と、よくぞっとする。

・暮らしへの興味を抜きにしても、こう、当たり前の問題解決が本当に苦手だなと感じる。社会生活を送るにあたって、これくらいは自分で考えて行動できるようになりたい、ということがめちゃくちゃ多い。足りないから買う、わからないから聞く、汚いから片付ける、風邪をひいたら病院に行く、もうなんでも、こういう当たり前の行動、全て、気を抜いていると、なにひとつできない。こういうこと書くと、アホすぎて人様に不快な思いをさせるかな、と思い、あまり口に出してこなかったが、小さい頃から本当に苦手だった。病院に行けるようになったのも、この数年。周りの人がそうしているな、という型を覚えて、自分も実行している。周りの人が、こういう時にはこうするよね!と言い合って、実行する姿を見て「そうなんや」と学んでいる。こんなんでも、だいぶマシになった。パターン学習もね、積み重ね続ければ、その上で新しいパターンを見つけることができるから、まあそうやっていくしかない。苦手なんだもの。

・おれはアホ助だが、人の真似は上手いから、そこだけは本当に良かったと思う。周りの方々を見て学び、平均値を読み取り、なんとなく真似させていただいている日々。私と関わってくださる方、いつもありがとうございます。

・私は本質的に、ちいかわとなんら変わらん。本当に自分のことを一番信用していない。パターン学習で、なんとか生きてきたけど、自分みたいな人間をあまり見かけないから、自分のことが一番よくわからなくて、不安なので、こうして自分のことをたくさん知るために、たくさんの人と関わる仕事を選択しているのかもしれない。人をたくさん見れば、自分のことがわかるかもしれないと。

・自分の気持ちに理由づけが欲しくて、心理学を専攻したかったんだけど、それは叶わなかったので、メイド喫茶でアルバイトした時「これだ」と感動した。私の勉強したいことは、なんとななここにたくさんあるような気がした。初日でぴんときた。それから8年経った。すごいことだな。

・先日は脳の多動がひどく、あまりにも寝付けなかったんで、プレイリストを適当に作った。音楽を幅広く聞けないこと、ひそかに悩んでいるので、こうしてたまに適当〜なプレイリストを作り、1ヶ月間聴き続けたりする。Spotifyがオススメしてくる音楽を、片っ端から30秒ずつ視聴し、耳に馴染みそうなものを全部リストに放り込む。なんで、よく知らない曲ばかり。普段聞かないものも、好きじゃないものも、これくらい感覚だけで選べば、なんか楽しめるや。前から好きな曲は、ほんの少しだけ入っている。突然Lick-gとか入っている。そういうのもいいよね。

・プレイリストをみんなで共有するのが憧れだったので、だれでも編集できるようにしたんだ。みんなの耳が喜ぶ曲も、たくさん知りたいのです。おすすめを聞いて、後で調べたりするのは、すこしだけ手間なので、とにかくオススメしたいものは、全部ここに入れて欲しい。

・音楽そのものを理解できないし、楽器の上手い下手も一切わからん。もちろん、美しいなと思うものも、ちゃんとあるが。ケルティックウーマンとか、子供の頃だいすきだったもんね。しかし、私がいちばん気になるのは、作った人の頭の中なんで、音はただの出力だよな、と思ってしまい、音自体への理解はあんまりない。そういう意味では、音楽そのものに興味はないなと思う。が、プレイリストというものは好きだな。あらゆる事象の構成そのものに。ときめきやすい変態なので、単品で聞いても良くない曲とか、あえて放り込んでみると、耳に馴染んだりして、そういうところに趣を感じます。

・かわいい動物の写真や動画を見たときに、最初に出てくるコメントが「生きてる…」率高し。小さくて可愛いものが、生きている姿に感動する。可愛いだけでもすごいのに、魂入ってるのヤバいだろ。この子たちも必死に生きているんだ、と思うと、感慨深いのだ。

・昔、産まれて2ヶ月のふくろうを、友達と一緒に撫でたとき、友達が「ウチらは20年以上生きてるけど、こいつはまだ2ヶ月しか世界を見てないんよ…」と感動していたの、めっちゃオモロかった。が、たしかに、本当に凄いことだとも思った。2ヶ月って(笑)ウチらが酒飲んで寝て起きてポテチ食べてYouTube見て、こんなふうに、惰性で日常を過ごしてしまいがちな2ヶ月の間に、こいつは生を受けて「初めて」をたくさん経験しているのかと思うと…………

・生きていることは素晴らしいから、なるべく、生きていることに、喜びをたくさん感じたい。ので、生きる理由とかは、逆に考えない。なぜ生きているか、なぜ生まれたのか、考え始めたら、人生がつらく、難しいものになっちゃいそう。答えはないからね。おれはそんなに頭が良くない。

・↑とはいえ、ちょっと考えてみたい気持ちもあるけど、そんなでかいテーマを考えるほど、脳みそ動かせるのかな。未知数。

・私の興味は、主に私自身に強く向いていて、自身の気持ちの仕組みを知りたい一心で、たくさん考えている。そのついでに、人の気持ちの仕組みも、分かんなくて困るから、そっちも考えている。これは最近の気づきなんだけど、自分への興味が強いおかげで、人にまで興味がむいてないような気がしている。このせいで、人の気持ちを考えることが、ちょっとだけ苦手なのかもしれない。

・そもそも、自分がされて嬉しいこととか、嫌なこととか、そういう基準で考えれば、他人の気持ちも、ある程度わかるだろ、という風潮があるが、自分と他人の心の仕組みが同じである保証など、どこにもなくて、なんなら違うことの方が多かった。これまでの人生、そのギャップに、苦しんできたような気がする。なぜ、他人が怒ったり喜んだりしてるのか、けっこう不思議で、心からの共感は、あまりできないんだよ。

・以前、こういうことばっかり言ってたら、友人に「そういうのは中学生までにしておけよ」と怒られた。私が食い下がったら、人の気持ちの変化と、適切な言動について、わかりやすい表を作って解説してくれたので、理解することができた。友人はいいやつすぎるし、私はガキすぎるし、普通に、少し反省した。

・メイドのお給仕をするときに、お客さんの気持ちを考えられるのは、自分がお客さんとして、いろんなお店に行くからだろうな。オタクに生まれてよかった。この人は今楽しんでいるかな、とか、お客さんの気持ちを「人」として想像することに加えて、限られた空間の中での立ち位置について、も、プラスして考えた場合、適切な答えに辿り着く難易度がぐっとさがる。コンカフェ的空間にくる時点で、ある程度、ジャンルが絞られるので、わかりやすくて良い。誰かと会話することを楽しみたいとか、この空間にいたいとか、絞られる。そういう情報をたくさん知っていた方が、当たり前に有利だね、という話。

・コンカフェ的空間での立ち振る舞いばかり、学んでしまっていて、普段の友達付き合いとか、友人未満の知人との関わり方は、あまり、わからん。

・おれは本当にパターンで学習してばかりだな。大体の出来事を、それなりに受け入れられてしまうから(考える力がよわいとも言える)、これは良いとか悪いとか、世間とチューニングするために、あらゆるパターンを自分に仕込まねばならん。

・↑クリティカルシンキングとか勉強した方が良いのかな。と、書きながら思った。勉強にがてだな。

・もっと普段の自分を、大切にしなきゃいけないと思いつつ、プライベートを切り売りしながらメイドであり続けること、やめられない。それなりにたのしんでいる。なぜ?

・人間は依存先を増やすことで自立をすると思うから、私もコンカフェ空間以外の依存先を作らねばならんな。単推しよりDDの方が病まないのは、そういう仕組みだと思う。一筋ってかっこいいけど、そのひとつがなくなったとき、心の置き場所がなくなってしまうから。それって、すこし不健全な状態かもしれない。

・精神的支柱、いくつか欲しいよな。家族、友人に加えて、コンカフェ以外の趣味を作る、とか、まったく違う分野の友人を作る、とか、そういうことをしてみたい。

・普段何気なく行っている、もはやルーティーンのひとつになってしまった「クイズノック、オモコロ、RABのYouTubeチャンネルを交互に視聴する」というやつ、かなり大切な柱かもしれない。今気づいたんですけどね。
私は真剣にクイズノックに癒されるし、オモコロに元気をもらうし、RABに立体的な表現の面白さを教えてもらっている。

・考えない人が苦手なので、クイズノックを見ていると、そういうストレスが一切なく、本当に癒される。私は勉強が苦手だからか、人が学問に向き合っている姿勢とかが見えると、かなりぐっとくる。胸熱というやつ。そして、真摯に取り組み、考えた人が持っている「こだわり」、それらが見える人たち、鑑賞していると、すごく心が穏やかになる。

・私はオタクという生き物が結構好きなんだ。オタクは、かっこいいと思う。突き詰める人のこと、どんなにめんどくさくても、なんか嫌いになれないのだ。

・眼鏡そのものも、眼鏡をかけている人も、全部好きだという話をしながら、眼鏡をかけるという選択も、ある意味こだわりのひとつで、そこにも良さを感じているのかな、と、気付いたりした。コンタクトレンズの方が多数派で、日常の邪魔にならないはずなのに、それでも眼鏡をかける選択に、すこしだけ浪漫を感じる。

・とりあえず、自分でかけるのも好きなんで、おしゃれな眼鏡を新調したいです。ツーポイント、小さめの銀縁ラウンド、など。欲しい眼鏡がたくさんあるのだ。つるの模様が凝ってるやつがいい。ああ。夢が広がりんぐだね……。

・眼鏡、好きだな……。体につくパーツみたいなもんなのに、体じゃないところ、かなり良い。なんでこんなに、眼鏡のこと好きなんだろう。いつからだっけ?

・昔、めちゃくちゃ好きだったキャラクター、サーモンピンク色のフレームの眼鏡かけていて、すごく良かったことを思い出した。

・それだけだよ。きりがないや。ばいばい。

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月詠 みこと
ここに投げられたお金を、酒代に使ってしまうような私で、申し訳ありません