記憶と過去と思い出~こころに残っているもの~
ここのところ、
【ここはどこ?わたしはだれ?】という事をアメブロの方の記事で書いてた流れから、
”記憶”というものについて考えていた。
もし、自分が記憶が無くなったとき・・・
わたしは、一体何をもって自分というのだろう?って。
過去とか記憶ってなんだろう?って。
今、わたしの祖母は
少しずつ記憶が曖昧になってきている。
世間でいうところの認知症。
孫のわたしの事は美澄里だと
分かっているのだけど
名前を間違えたりするし
わたしと叔母を間違えたりする。
だけど、どこかでは、
美澄里だと分かっているであろうことが
感覚としてわかる。
記憶について考えていると
過去と思い出という事にも
思いが飛んでいった。
祖母は酒癖が悪くて
酔っていない時は、
本当に可愛らしいおばあちゃんでもあり
ちょっとヤンチャで不良なおばぁちゃんで
わたしは、小さい頃から色んな事を教えてもらったし
本当に色んな所に連れて行ってもらった。
昔は、年末や正月
何かのイベントや月1回は
祖母と祖母の彼氏
わたしの家族などでよくご飯を食べにいっていたし
旅行もみんなでよく行っていた。
正月やお盆は
叔母たちも集まったりして
本当ににぎやかだった。
わたしもそのにぎやかな時間が
大好きだった。
ある時から、祖母の酒癖が悪い事や
祖母の彼氏と私の父との関係性や
色々なゴタゴタや
孫も大人になっていったりして
みんなで集まる事がなくなっていった。
祖母が飲んでいない時に会うという風になった。
ほんの半年前まで
ゴルフの大会で優勝するぐらい
元気だった祖母だけど
だんだん、記憶が曖昧になり
そういう歳やしなぁ〜では済ませられないほど
周りも気になるほどになってきた。
久しぶりに祖母の家へ行ったとき
今、着いたばかりのわたしと母に
祖母が・・・
「あれ、他のみんなは帰ったんか?」と
意味の分からないことをいう・・・。
すると、祖母の彼氏が言うには
「朝起きて、みぃみぃ(わたしの事)や叔母家族や
みんなで集まってたのに、急に帰ったんか?
泊まったはずやのに、なんでおらんねん?」と言い出したそう。
前の日は、誰も来ていないし
祖母はいつもと変わりない日常を送っていたのに
朝、起きた時にそんな事を言ったそうだ。
また、先日も母が祖母の家へ向かったとき
同じような事を言い出したそう。
みんな、帰ったんか?
いつ帰ったんや?と・・・
祖母は、みんなで集まってご飯を食べに行ったり
旅行に行ったり、宴会場でカラオケをしたりするのが
大好きだった。
何かあるとすぐ集まろうとする人だった。
祖母はどちらかというと成功者だ。
祖母の記憶は薄れてゆくのだけど・・・
そんな祖母が思い出している時間は
その【みんながいたあの時間】だ。
そんな話を聞いていると
記憶というのと思い出は違うだな~と感じた。
もしかすると、
記憶はある一定の情報としての記録で
思い出は【こころに残っているもの】と
わたしは感じている。
だから、大切な思い出は
消えないのかもしれない。
祖母の記憶は無くなっていく事が
これからもあるのかもしれないけれど
祖母のこころに残っている思い出は
その記憶が消えていくほど
逆に鮮明に思い出されるのかもしれない。
写真のように
いつになっても心のアルバムにあるのだろうと
思った。
祖母の心のシャッターは
みんなでいた時間を何度も何度も
残してきたんだろうなぁと。
思い出とは・・・
こころに残っているもの。
それは【忘れたくないもの】であって
大切なものなのだろうと思う。
そんな祖母を見ていて
わたしは、この人生という時間の中で
何を心に残してきただろう?
そして、何を残していきたいだろう?と考えていた。
心に残っているものは
何か心のシャッターが動いたときなんだと思う。
人生を振り返るっていうのは
自分がどんな場面に心のシャッターを押してきたかが
わかるということと。
どんなものが心に残っているのか?を知り
それを大切にしている自分に気づかせてくれる時間なんだと思った。
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