汝落下を畏れるなかれ
十数年ぶりに絶叫マシンに乗った。
先日、家族と遊園地を訪れた時のこと。
子どもたちの望むアトラクションに付き合う中で、園の真ん中に鎮座するアトラクションがふと目に入った。
大きな船型の乗り物が左右に振り子のように揺れ、最終的には360度回転するものだ。
相当な重量を感じさせながらごうんごうんと回転するさまは壮観で、子どもたちとその重力を振り切るような動きを「すごいね」と眺めているうちに、これに乗らねばならないという使命感に近い思いが不思議と湧き起こった。
そのときは、遊園地に来たのは久しぶりだから浮かれているのだろうと単純に思っていた。
大人げなくも夫に乗りたい旨を伝え、快くひとり送り出してもらったものの、安全ベルトを締めた後は割と後悔していた。
周りはカップルや友達グループでわいわい楽しそうな中、いい大人がひとりで絶叫マシン。
このあと、なすがままに回転される恐怖が来ることがわかっているのに。なんで乗ったんだろう。
しかし、そんな気持ちも船が動き出してしまえばもう後の祭りだ。
船がおそるおそる前に進んだと思ったら、もう後ろへ。座席に押し付けられたと思ったら、次の瞬間には前に動き、ふわっと身体が浮く感覚。久しぶりに乗った絶叫マシン独特の動きに思わず奥歯を噛み締める。
わあっとざわめく他の乗客の声を聞きながら、ぐっと目を閉じる。体感だけでなく、視覚からも自分が重力に反しつつあることを知ってしまうと、もう恐怖に支配されるのみだと思ったのだ。
乗り物は勢いを増して何度か揺れると、一番上で乗客を逆さ吊りの状態にして、しばし停止した。このあと、じわりと再度回転を始めるのだ。
身体が固定されているとはいえ、逆さ吊りにされると空中に無防備に放り出される心もとなさに身体中を恐怖がかけめぐった。より安全バーを持つ手に力が入る。
そんなとき、脳裏できらめく言葉があった。
「汝落下を畏れるなかれ この美しき世界を仰ぎ見よ」
去年見た『落下の王国』という、とてつもなく美しく、印象的な映画の宣伝フレーズだ。
馬から落下したスタントマンと少女が病院で知り合い、その場その場のおとぎ話を作り紡いでいくというという映画なのだが、本当に地球上なのかと思われるくらいのロケーションの中で、鮮やかな色彩がまぶしい衣装や細かな絵作りと芸術性が高く、一部では伝説的な作品だ。
動画サービスなどでは見られないため近所のレンタルビデオ店に赴いてカードを作ってまで見た、思い入れのある作品でもある。
映画では、タイトル通り「落下」が大きなモチーフとなり、石造の塔や奇怪な崖など場所を変え、落ちる人間を変え、何度も何度も美しい「落下」のシーンが描かれていた。
その映画を象徴するのが「汝落下を畏れるなかれ」の一文であった。
私は、その映画を見るまで「落下しながら見る世界が美しい」なんて考えたこともなかった。
落下なんて普段の生活ではほとんど経験しない動きであり、ましてやそこから見える世界なんて想像もつかない。
私はそのイメージに興奮し、映画を見た夜は、眠りにつきながら高いところから落ちる自分を想像してはその目に映る美しさはどんなものなのか繰り返し思い描いた。
相変わらず、宙吊りの体勢のままではっと思い当たった。私がこのアトラクションを見て感じた使命感はこれだったのだ。
落下の際の美しさを見たいと、おそらく心のどこかでずっと思っていたのだと。
固く閉じた目をそっと開けてみる。
雲が多い灰色の空を背景に、ジェットコースターの焦茶色のレール、メリーゴーランドの柔らかなピンク色の屋根、遠くの新緑の山までもが逆さまになり、さっきまで歩きながら見ていた世界とは別物のようだ。
冷静にその景色を見つめることで、それまで感じていた恐怖は消えていった。
停止していた乗り物が少しずつ動き出し、身体が逆さまに落ちていく。
目前に広がる世界に思わず笑みがこぼれると共に、落下の開放感が身体中に満ちていた。