ひとりより、ふたり反省会。
お家に帰ってきて、ひとりの時間。
今日の出来事を振り返る。
あんなこと、こんなことあったなあ。
…
あのとき、話し過ぎたよね、、。
ぜったい話し過ぎた。あああ、どうしよううう。
みんなが笑ってくれるから調子乗って。どんどんエンジン掛かっちゃって。言わなくてもいいようなことまでベラベラと、、。
あああ、恥ずかしいいいい。
と、ひとり頭の中を駆けめぐり、羞恥心に苛まれることが多々あった。10代の若かれし頃。
お調子者だった私は、よく話すし、よく笑う。いわゆる”ゲラ”と呼ばれる奴だった。似たような友人に囲まれて、お腹が捩れるまで笑いころげて。
生徒指導の先生に、
「朝の職員会議が、⚪︎⚪︎(私の旧姓)の笑い声で聞こえんのやわ。やかましい。」
と注意を受けるほど。
職員室まで届く笑い声。恐怖でしかない。
寝ても覚めても笑って、転げて。さぞかしおバカさんだったのだろうな、と自分でも思う。
自宅に帰って、反省するのに繰り返してしまう。
場の空気というか、役割というか、誰も強制したわけじゃないのに、全力で笑いをとりにいってしまう。そんな自分を誇りに思う反面、振り返る度に、行き場のない不甲斐なさを感じていた。
・
大学生になり、変化があった。
住む場所も、関わる友人も。そして自分も。
そんなに笑わなくなった。大人になったからともいえるが、現実的になったという方が近い。
友人と話す時間はもちろん楽しい。
けれど、お腹を抱えて笑うまで、しなくなった。
冷静に、淡々と、人生と向き合った。
それでも、たまに「やっちまった!」ということはあったが、
周りが冷やかしてはこないので、”急所をつく”までは至らなかった。
いつしか、ひとり反省会は行われなくなった。
・
「ねえ、今この本読んでるの。」
お布団に入った後、夫とたわいもない話をする。
今読んでいるのは、イタリアに関する本。かつて卒業旅行でイタリアに出向いたことがある夫は、きっと興味があるだろうと思い伝えてみた。
妻の予想通り、夫は楽しそうに思い出話を始めた。
…
「あ、、」
夫の過去に重ねるように、数年前の私の恥ずかしいエピソードを思い出してしまった。当時は何くわぬ顔でやってのけたこと。何年か越しに、脳が沸騰することもあるようだ。
「あああ、恥ずかしいいい。」
ぼーっと熱くなった。顔を隠し、頭を抱えた。
「どうしたどうした」
急にふつふつする妻。夫は訳がわからない。
例の事件を思い出して頭から離れないこと、反省会のループに入るとなかなか抜け出せないこと、ためらいはあったが夫に伝えた。
「ワハハハハ!」
なんだなんだ、人が苦しんでるのに、大笑いしているではないか。
「だって、おもしろいから。」
そうか、これは面白い話なのか。ではなぜ恥じる必要があるのだろう。はて。
いや、やはり冷静になれば、セキララすぎることこの上ない。穴があったら入りたいし、川があるなら流されたい。
けれど、こうして、一緒に笑ってくれる人がいるなら、その出来事も無駄じゃないのかもしれない、と思った。
これからの人生、顔を覆いたくなるような出来事をまた引き起こす、かもしれない。予防線を張って、細心の注意を払ったとしても、防げないことはどうしても出てくる。
そんなとき、私は昔のように反省会をひらくであろう。ひとりでこっそり、と。
けれどたまには、隣の相方に打ち明ける。
そして、一緒に笑ってもらう、ことにする。
*あとがき*
恥ずかしいこと、ついついやってしまうことはありませんか?
テンション上がっちゃって、つい。
お天気が良過ぎて、どうしてもね。のような。
仲間を探しております。
恥ずかしさとの向き合い方、独自のルールなどお持ちでしたらぜひ情報求ム。です~
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