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ゆっくり生きることにした。

頑張ってる人が好きだ。

やる気に満ち溢れている人を見ると、頑張って!と応援したくなるし、こちらもメラメラと活力が湧いてくる。

きっと、多くの人にとってそうなんじゃないかと思う。


誰かと比べることもあれば、
自分の年齢と向き合って、そろそろかな、と動き出す。

人生100年時代なんていうけれど、
勢いがあって体力が続くのはあと何年だろうと冷静になる。

今は仕事を頑張って、定年したら夫婦で海外旅行に行こうねと話していたのに、いざその時期になれば、お金はあるのに気力がない。なんならパートナーから「ふたりは嫌よ」と言われる始末。

もしかしたら、こんな未来もあるのかもしれない。


じゃあやっぱり、できるときに挑戦しないとね、と思っていた。



最近、仕事に退屈していた。

つらつらと前置きを並べたけれど、ほんとうに書きたかったのはこのことだ。

数週間前は慌ただしく過ごしていたのに、今はすっかり状況が変わってしまった。一難去って、ずいぶんと落ち着きを取り戻している。いや、取り戻しすぎている、と言った方が正しい。


めっきり仕事がなくなってしまったのだ。

プレイヤーとして仕事をしていない私は、メインで働いている人たちの負担をいかに減らしサポートできるか、が求められて。
そのこぼれ落ちる仕事を拾いあつめ、たんたんとこなすことが、どうにも自分には窮屈で、ああ私もそちら側に行けたらいいのに、と時折り身を乗り出してしまいたくなっていた。


もっと、もっと…

「何か仕事はないですか?」
「これやっときますね!」
「こんなのはどうでしょう?」

鼻息あらく、何かできることはないかと動き回る。


そんな日々が続くと、ちょっとネガティブな気持ちになる。
明日は仕事があるかな。もっと長期でできる仕事に関われたらいいのに、などと。

次第に、このまま続けていていいのかな。
時間がもったいない。この間にできることがあるんじゃないか、と思えてくる。

”ゆっくりやったら良いんだよ。
お給料は変わらないんだから。“

と言う人いる。

その考えもひとつなのだろう。だが、私はそんな風には考えられないし、考えたくない。

今できることを、もっと、やりたい。



”頑張りすぎない方が上手くいく人っているでしょう。それきっとあなたのこと。“

昔、何もかもがうまくいかなかったときのこと。当時働いていた会社の、ふたまわりほど歳上の女性にかけてもらった言葉。

なんて無責任なの、
と若かれし日には思ったけれど

いま振り返って思う。

そういうこともあるのだろう、と。


がむしゃらに頑張り通すことは輝かしくて立派で、賞賛に値する。けれど、それがすべての人に当てはまるとは限らない。

ちょっと肩の力を抜いて、世間話なんかをして、場を和ませる。空気を循環させる、とも言えるような存在。

そんな人もコミュニティにはきっと必要だ。



金曜日、仕事帰りの一杯。

今日はこれができた。
来週はあれをさせてもらえる。

もっともっと、と高鳴る気持ちは変わらないし、変えようとも思わない。
ただ、いま目の前にある、“ひとつできた”と向き合うことも忘れないようにしたい。


この一杯でほっとしている自分がいるように、
他のだれかにひと息ついてもらえる。


そんな働き方も、
そんな生き方もいいじゃない、と思えた。


金木犀ラテ☕️
香りも見た目も、贅沢な秋の一杯でした( ´ ▽ ` )🍂



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