わたしの願うこと。
人間には2種類のひとがいる。
自分より優秀と思える人たちに囲まれて、必死になって後を追いかけたい人と、自分がまわりよりも優位に立てる環境に身を置きたい人。
特に進学などで意識したことだと思う。
前者の人であれば、背伸びをしてでも自分のレベルより高いと感じるところを目指すだろうし、後者の人であれば、一歩下がって心に余裕が持てるところを目指すのだろう。
どちらが優れている・いないの話ではない。
これは不向きの問題だ。
私は圧倒的に前者の人間だった。
自分のまわりに勉強のできる子や運動神経の良い子がいることを望んだ。わからないことがあれば聞ける人や模範になる人がそばに居てほしいし、自然とやるぞ!という気持ちにもなれた。
それに、やる気のある人たちに囲まれていると、自分もなんだかできるような気がしてくる。“できる”側の人間と同じ空気を吸うことで、そういった一種の快感を味わっていたのだろう。
だが、その快楽は長くは続かない。
今日は少し休んじゃおう。明日やればいい…
たった1日のことが、2日に。2日が1週間に…その小さな積み重ねで、まわりとの差はだんだんと大きくなる。いつの日にか追いつけないほどに。
そう、
“できるフリ”では、いつかボロが出る。
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大人になって、できる人にたくさん出会った。
あからさまに、自分はすごいのだ!と名乗る人もいれば、なんともないような顔をしてすごいことをやってのける人もいた。
膨大なタスクに、ハードなノルマ。緻密なスケジュールをえいっ!とこなしてしまう。
もちろん、簡単に、ってことはない。
強い風が吹いてザワザワと木の幹や緑がさわぐことはあれど、長年積み重ねてきた土台はそう簡単には揺るがない。頑丈に根を張り巡らせて、今を支えている。
そんな彼らを目の前にして、
正直なところ私は怖気ついている。
キラキラと輝いて見えるのは見る側の幻想かもしれないし、そう見せているだけってこともある。
それに、彼らは彼らなりの悩みがあってその世界でいつだって闘っているというのに…
そうわかっていても、満ちあふれる自信にこちらはぐらぐらとしてしまう。
あのとき、もう一踏ん張りしていたら…
もっと死にものぐるいで追いかけていたら…
と思わなかったわけではない。
そう悔やんだこともあった。
けれど、月日が経って
今はただそんな自分をまるっと受け入れたいと思う。
がむしゃらに挑戦をした自分も、頑張りきれなかった自分も、理想を生きていない自分も、すべて。
そうして初めて、彼らは彼らで。
私は私なのだと見つめることができる。
人間は2種類にはわけられない。
追いたい人もいれば、追いかけたい人もいる。
追って追われてを望む人もいれば、いずれでもないこともある。
さんざん雨に降られても、傘を差したり雨宿りをしたり。たまには降られっぱなしになったり…
自分の根と向き合いながら、
私は私で、納得するようにさせてもらう。