見出し画像

救いの言葉を求めてるのかもしれない

学校を休んだ次女と蔦屋書店にいる。
2階の窓際の席に並んで座って、次女は黙々と次々に読んでるけど、私はぼーっとしたい気分だったのでぼーっとしている。
ふと、坂口恭平さんのことが気になった。
今年は坂口さんの言葉に助けられてきた。
9月に坂口さんがいのっちの電話をやめると言ってTwitterで自分で発信するのもやめた頃、私はフォローとは関係ないツイートが表示されることやそれをついつい見てしまうことにも疲れていたので、勢いでTwitterアプリを消した。

それから一切Twitterを開かなかった。
坂口さんの言葉は、ブログで読めたのだけど、それも最初の数回読んでから開かなくなっていた。

そして今日。
ひさしぶりに”坂口恭平”の文字を打った。

あれ?
検索のトップには、Twitterが表示されたが、これは坂口さんに代わってツイートをしていたスタッフじゃなくて坂口さんの言葉っぽい。
あれ?と思いながら見てみる。
坂口さんの心の中の言葉が、日常の風景が、前みたいに、出てくる。
読んでるうちに涙が出てきた。なんでだなんで涙が出るんだわけがわからない、嬉しいのかな、坂口さんのことばづかいとかに、ほっとしてんのかな。目は吸い付くように文字を追いながらそんなことを思った。

今日は10月18日。ツイートを遡ると、Twitterといのっちの電話を復活しますと10月15日にツイートされていた。
つい最近なんだ。そういえばいつから休止したのかと遡れば、9月11日だった。

私はいつだっけと、夫に「Twitterアプリ消した」とLINEした日を調べると、9月18日。ちょうど一ヶ月前だった。なんだそっかー。なんか意味あるんだろうなー。と窓の外の青空を見上げながらまた涙をこらえている。


この一ヶ月、何があったっけ?
長かったのか速かったのかもわからない。とにかく必死だった。
今となりにいる次女は、9月からほぼ登校していない。
家族と向き合うことが今は最重要な気がしている。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?