本当に好きなこと
20代前半の頃
雲を見て、「ねぇねぇあれは○○に見えるね」とか言ってた。なんであの子の前ではあんなに素直でいられたんだろう。
二人で雲を見てあれこれ言って、涙が出るほど笑ったり、しんみりしたりした。
こんなことを、しょっちゅうやっていた。
真夏に野外でのライブに出かけるときのバスの中。原っぱ。広い公園にぽつんとある小さい山。夕暮れに泣くほど笑った、そのあとにはその子の作った曲を二人でイヤホンで聴いて泣いた。
10年以上たった今でも、雲を見ると思い出す。その子からも、たしか昨年の誕生日にそうやってメッセージがきた。
いま、雲を見て、「○○に見えるね!あれが頭で、こう手があってさ〜」とかなんて、心に浮かんだことをそのまんまその瞬間に言葉にできることってあるだろうか。
ぼーっと、青い空に浮かぶ雲を、ぼーっと眺めてたら、あの子に教えたい雲があったので一人でこんなことを思い出している。
いま、私がそうやって言えるときがあるだろうか。あ、ある。子どもといるとき。
子どもに、「見て〜」って言う。
子どもたちは、「ほんとだ!(と自分も雲を探す)」とか
「ほんとだ(それより漫画見たい)」とかだけど。それでいいのだ。
そういえば私の母もそうだ。私に同じように「見て〜」と空を見させていた。
同じか。
この、空を見て、雲を眺めて、ただそれだけの時間が、大好きだ。
とても好きなんだ。
なぜだか今わたしはめちゃくちゃ泣いている。全然わかんない、なんで泣くのかがわかんなくて、知りたい。笑
好きなこと、やりたいこと、なりたい自分、そんなことをついさっき、手帳に書いていた。
そしてふと空を見てから今に至る。
そうか。
こんなにもこれが好きなんだと気付いて泣いてるのか。
あれこれ考えて書き出した、なりたい自分ややりたいこと。それも本心なんだけど、
でもそうじゃなくて、心は、ふと見た空の雲に奪われて、こうして書いているように完全に虜になっている。
この空を眺めてぼーっとすることが、心から幸せを感じることなんだと。
いつでもできそうだけど、ふとした瞬間に好きなだけぼーっと眺めるっていつでもできるわけじゃない。
こんな単純なことが好きな自分なんだから、頭で考えすぎなくていい、直感で、心が喜ぶことに素直に踊れと思った。
最後にひとつ思い出した。
オーストラリアに一年間いた頃。2ヶ月いた町を出て、次の町への電車に乗るとき、見送りに来てくれた友達との会話。
友「今日はどこに行くの?」
私「んー、どっかできれいな夕日が見れたらいいかな」
宿も予定も決めてなかった。あとから思い出して、なんかのセリフみたいじゃんと恥ずかしくなった思い出がある。けど本心だった。
名前も知らない地元民しかいないような町で降りた。
まっすぐの線路にはいろとりどりの花が咲いていて、その町ので海を眺めてきれいな夕日を見た。
空が好きだ。
あの子もきっと同じだ。だから一緒にいると素直でいられた。
直感で、心が喜ぶことに素直に踊ろう。