抜け出せない、ねむくなる、あったかい。
デジタルな写真は色褪せない。いつまでも、その日見た、鮮明な景色のまま。タップしたら何年という月日も一瞬で遡ることができる。でも、記憶はどんどん色褪せてぼやけていく。写真を見返したとき、これは自分の撮った写真ではない、と、錯覚することがある。アルバムの中には、知っていたはずの、知らない写真がたくさんある。その一瞬を記録することができる写真は素敵だけれど、その反面、もう思い出すことができない、もう触れることはできない思い出が、今日のことみたいに振り返ることができるのは、痛く切ない
毎日予定が立て込んでいるだけならまだしも、日々のつまずきや小さなもやが脳みそをぐるっと囲んでしまって、すりへっている、と感じる。視界がクリアじゃなくて、すりガラスを通しているみたい。一発で心折られるほどの衝撃はなくて、ただちょっとずつ、足元がすりへって、バランスが取れなくなっている。すりへる。
日記に飽き、折り紙を、はじめる
9/16 特別な日も同じように時間は進んでいくし、いいこともわるいことも、ちゃんと起きる。バランスが取れている。その中でひとりだけ傾いている自分が目についていやになる。スポットライトに照らされていながら、ふらふらしていて、滑稽だ。そういうときほど、一挙手一投足に振り回されて、すべてに敏感になる。そしてまた、わたしだけ傾きを増して、恥ずかしくなる。後悔するのをわかっていて、すべて投げ出して、平行に戻ろうとする。でも、どれだけ頑張っても、いつもちょっとだけ、傾いている。 【祝
9/9 先週、水曜日くらいまで何も書くモチベーションがあがらず、中途半端に完璧主義者が出てしまって、そのまま一週間サボってしまいました。久しぶりにキーボードを打っている気が、しますね~。 どうしても自分の見た目が(特に顔のつくりなど)きらいで、いまだに胸がきゅっと、なる。小学生のとき、クラスメイトの男の子に言われた言葉や、中学生のときに感じた、美人な友達との扱いの差などを思い出す。「ま、たいしたことじゃないしな~」と常日頃は思えるけど、急にぎらぎらひかって突き刺さって
8/26 今日はこの後21時から予定があるだけの、本当に何もしない1日だった。(何もしないと言いつつ洗濯をしたり、あさってからの合宿のための買い物に行ったりしたから、えらい。)お昼ご飯も夜ご飯もアイスで、わたしはこういう日をサンリオデイと呼んでいる。かわいいから。おとといの夜に切りすぎた前髪は今でも違和感しかなくて、ライブ本番の金曜までにはどうにか伸びてくださいよ、と、おもう。今週の日記を始めてみたはいいものの、合宿で忙しなすぎてろくに書いたり考えたりする時間はないんだろう
ぎゅっとしたい、空っぽの空
8/19 夏休みが、始まった。 アプリでつけていた日記も3か月ほどしか続かず、もちろん誰にも見られないものだから、何日も空けるわ、文章はぐちゃぐちゃだわ、でした。それはそれでよかったのかもしれないけれど、せっかく夏休みに入ったことだし、ちょっと時間をかけて日記をつけよう、とおもいました。 ふと疑問に思ったんですけど、週の始まりって、結局日曜日なのか月曜日なのか、どっちなんですかね。法律とかでは日曜日を1日目とするらしいです。でも、たとえば木曜日に「来週の日曜あいてる?」
こんばんは。 県内の大学軽音部の合同イベントに、行きました。 ライブを見るたび、聴くたび、音楽が好きだなあと感じます。(月並みでは、ございますが。)わたしはどうしてもボーカルをメインに曲を聴いてしまうけれど、一年以上軽音部に所属して、少しづつ楽器にも耳を傾けられるようになった、気が、します。 ドラムの音は、響いて ベースの音は、揺らして ギターの音は、躍らせて (わたしのからだや、こころを) もちろんそれらが混ざり合って、もっともっと大きな衝撃になって、からだの中から
わたしは おもった以上に よわい
だいじなひとに、だいじなことを、伝えるときの、緊張感たるや。 ちゃんと伝わるのか、自分はしっかりと伝えきれるのか、いや、わたしのだいじなあなたなら受け取ってくれるだろう、信じているけど、信じているからこそ伝えようとするけど、いつだって緊張をする。 言葉を発した側にどんな意図があったとしても、受け取り手の捉え方で全て決まってしまうと思う。だから、いま、わたしが書いているこの文章も、読んでくれている人の数、解釈が存在する。これはひとつの記事だけど、読み手がいる時点で、もはやひ
おんがくがすきで、(これはあの、当社比にはなりますが、世界レベルでも、かなりすきです。) よいものは皆と共有したくて、Instagramのストーリーなどで発表しています。あと、初めて聴いてビビッときたものや、改めて いいなあ と感じた曲を月ごとにまとめてプレイリストにしています。これは1年ちょっと続いていて、聴き返しながら、ちょっと懐かしい思いをできるようになりました。 結構おんがくを、自分の生活や他人の生活に根ざしたものだと、思っている節があって、「わ、この曲、○○さんぽ
文章をかくことを、日常にしたいと思い、アプリをクラウドから引っ張り出してきたら、2年前の自分の記事があり、なんだか小っ恥ずかしくて全部読めませんでした。(ちなみに1つ前の記事は、すきだったアイドルが演劇に挑むテレビ番組の考察です。…イテテテ。) あらためて、おにゅーな気持ちで、始めてみたいと思いましたので、始めます。
いつもつらつらついった〜の下書きに溜め込んでは削除してきたグレショー考察と感想をここで消化します。 第4回! 「これはまだ本番ではない」 どの会話を切り取っても気まずさ満載なのがとにかく気持ち悪かった。最初の榊マウントシーンは、バレンタインのチョコ大量に貰ってた発言をラジオでしてた末澤誠也さんが蘇りましたね。あのときもあんな顔してたのかな。(してないですよ)ナットの納得いってないような頷きと、公野のテンションの空振り方がぞわぞわしました。あーこれこれ、なんか見たことあるわ
友達ってなんだってずっと考えてた。ちなみに、親友、もなんだ。友達やら親友やら、定義がよくわかんない。何をもって友達?何をもって親友?恋人、ってなると、告白(一種の契約みたいな)をするわけで。 学校で築く人間関係が友達、なの、ずっと疑問だった。ただの同級生で、クラスメイトなだけやん、って。学校って社会のひとつで、オフィシャルな場なはずなのに、プライベートとひっついてる。適当に集められたクラスで、作らされたグループで、旅行させられること、この先あるんかいな。それはそれでいつか思