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麻痺

心と身体が麻痺している。
それとも、元から不感症なだけだったのか。


満員電車に揺られながら過ごしている。
肩がぶつかる、足を踏む。
揺れてぶつかる、足を踏む。
押されてぶつかる、足を踏む。
東京の山手線・埼京線・湘南新宿ラインで過ごす日々の中で足を踏むことも踏まれることも日常。
同乗者たちもそれを理解して満員電車に身体を預けている。
気遣う言葉は何一つ交わされることが無い。
押されることも、ぶつかることも、踏まれることも日常。
謝ることなんて誰もしない。
だって、踏まれることは日常なんだから。


駅のホーム、改札口、エスカレータ―。
すれ違いざまに腕がぶつかる、肩がぶつかる。
もはや舌打ちなんて誰もしない。
振り返って睨むことなんて誰もしない。
誰に怒りも覚えない。
それが日常なんだから。



うちの会社いつ辞める?
同僚からのぶつけられたその問い。
素直に私の気持ちや考えを伝えるべきなのか。
目の前にあるチーズカツカレーを流し込んで動揺をごまかす。
味なんて覚えちゃいない。食べすぎだなっていう自覚はある。
私はこの人を信じていいのか。
どうせ信じたところで未来の自分が後悔する姿が頭に浮かぶ。
他人を無責任に一方的に信じて、傷ついたことが何回あったか。
嘘をつきたいわけじゃない。騙したいわけじゃないんだ。
ただ、素直でいることに疲れてしまった。
人間を信じられなくなったとかそういうことじゃない。
私が私の人生の話をしたところであなたには関係がないでしょう。
それは諦めではない。分離だ。
私の人生の責任をとるのは私。
私の人生の尻拭いをするのも私。
私の人生に華丸をつけてあげるのも私。
私の人生に価値があったかどうかを決めるのも私。
その主導権は誰にも渡さない。

社会人と呼ばれる立場になってから、本音で話したことが何回あるだろう。
他人を信じていない?
それとも他人が怖い?
いつもどうでもいい笑顔を作って、誠実な人という評価を受けて、真面目だと言ってもらえて。
その言葉をもらえばもらうほど、文字がひらりと宙に浮かんでいく。
実感がないのだもの。受取り手が誰もいない言葉たちだ。

私は素直になっていないのに、なぜそう思うのか不思議だ。
私の外見だけを見てそう言っているのだとしたら、本当つまらない世界だ。


きっと私は自分から麻痺をする道を選んでいた気がする。
将来の夢がある。
やりたい仕事がある。
だからといって、今の仕事の手を抜くことはしたくなかった。
いつだって夢のことは忘れて、骨を埋める覚悟で仕事に没頭してきた。
だが、人を信じてこなかったのはなぜだ。
繋がりが切れる未来を恐れていたのか。
本音を知られることを恐れていたのか。

私の心を麻痺させていると、自覚していた心が麻痺していっている。


日に日に他人の目を見ることが怖くなっている自分がいる。
それは風が吹くと割れる前髪が嫌いだからで、とれかけたパーマが嫌だからで。
徐々に自信がなくなっている自分がいる。
それは心を麻痺させて、自分が何をやりたいのか目を瞑りすぎていたからで。



自分の進みたい未来のために選んだ遠回りが、自分に呪いをかけることもあるらしい。
10代の自分が自分にかけた呪いを解くために過ごした20代。
20代の自分が自分にかけた呪いを解くために30代を過ごしていくか。



項垂れたいよ 隠す意味ないほど
誰でもいいよ 壊す勇気も知らないで
明らめたくて 名前を呼んでみたけど
わかってる わかってる まだ成れていない それだけ


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