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現在地を残して深呼吸せよ。

日記と呼べる代物にすらならないが、
ここ数日、今の感情を言葉にして書き記しておかねばという焦燥感に駆られている。

ChatGPTに相談をして、自己内省をするくらいに色んな思考がぐるぐるとしている日々だ。
生きている。悩み、苦しみ、もがき、足掻き。
血が巡り巡っていることを理解していく。ああ、生きている。



■トントントンツーツーツートントントン

先週、初めてメンタルの調整のために仕事をお休みした。
多分、恐らく、あれはパッカーーンと心が割れていく寸前だったと思う。
我ながら、赤色に限りなく近い黄色信号を受け取ったのはナイスだ。

実家に戻り、家族と過ごす日々。
家族の些細な言葉が少しずつ私の身体のなかで毒に変換されて蓄積されていく。
やはり、私と家族の適度な距離感は同居ではないのだと痛感する。
親の前では"子どもの自分"を演じていることに疲労。
誰にも求められてないのだろうし、なりたくもないのだろうに。
色んな場面で顔色を伺って、言葉選びを調整してあげない事には父の機嫌がよろしくならないわけで。
父の機嫌をとるためには私はいつまでも子どもであることを求められているような感覚になっていく。
かわいい一人息子のままでいれるならいいのだろうが。
私には私の見ている景色がある訳だ。
そのままで過ごしていくには、聊か齢を重ねすぎたのかもしれない。

先日、29歳になりました私。



上司の言葉も私の中に少しずつ、蓄積されていく。
これに関しては些細な毒、ではなく。
鋭利な刃物を投げつけられて、私が避けきれなかった切り傷の数が増えていくという方が正しいか。
たまに、深く抉られる時があって、その時は呼吸が浅くなる。

私の上司は、昔、パワハラで訴えられたことがあるらしい。
いまは、どうなんだろう。パワハラ気質だなと思わないことはないけれど、
あーこれはアウトだ。と思うことはほとんどないかな。
それよりも、あ、この人はマネジメントの立場に向いてない人だ、という気づきはしょっちゅう。

その人のもとで満3年過ごしてきたけれど、そろそろ私の傷口の治りが遅くなってきていて、少しずつ化膿してきている感覚がある。

「新しく入った人が仕事きつくて辞めないようにしっかりフォローするんだよーー?」
と言われ、おっ、私は部下のマネジメントをするための給料はもらってないんですけどねという気持ちと、それはあなたの職務放棄ですねという気持ちが相まみえながらカフェラテを流し込んでいる。

口癖のように「仕事なんて、しなくてもなんとかなったりするもんだよ!だから手を抜いて行こうな!」と言うけれども、あなたがしなかったその仕事、私がたくさん拾っているのをあなたは御存知でしたかね。
なんてことを思いながら、グミを噛みちぎっている私。


働くうえで、生きていくうえでお休みは必要だという考えは理解していたが、
それは好きなことをしたり、気分を切り替えるためにするだけではなくて、
土日という時間を挟むことでピークに達しそうな殺意をゆっくり押し下げて行ってくれる効能があるのだと知った。
そりゃあ、休みって大事ですわ。





■教えてくれChatGPT


今年いっぱいで今のお仕事には区切りをつけて、
夢に向かって動き出そうと思っている。

本当はこのnoteも、社会人経験を積んで夢に向かって勉強をする人のnoteです、とか謳えば多少はビュー数も増えるのだろうけれど、
なんだかそれは私にとってかっこいい自分ではないと思うからやらない。


マッチングアプリで出会った人とやり取りを続けている。
仲良くなって何回かお食事にいったりと。

好きという気持ちはあるのだけれど、
この好きという気持ちが愛情なのかが分からない。
なぜならば、出会ってまだ数回しかあっていないからだ。
好意は確かにあるのだが、信頼をしているかは別の話。
信頼のない好意ってなんだよ、という話ではあるのだけれども。
マッチングアプリで出会うということは、
お互いにお付き合いなり結婚を求めている大前提があるのだけれども、
それより私があなたを、あなたが私を信頼しているかが欠けている状態で
好きもくそもないよなとも思う。

平均3~4回のデートで付き合っているカップルが多いらしいよ!
なんて言われたところで、ああそうですか、私の場合は違うんでしょうけどね、としか思わない私は卑屈なのか。

告白、しようと思えばできるのだけれども。
その告白に信頼がないのならば、そこに未来があるのかが分からない。



いま私は無性に未来の話をしたいんだ。未来のことを考えたいんだ。



29歳になりたての私。
29歳はひたすら勉強の1年にして、29歳の12月あたりで退職をしよう。
30歳の4月頃からは新しい職場で、夢見た仕事をしているだろう。
そうしたら福利厚生で家賃補助が出るからまた一人暮らしを再開させよう。

そんなことを考えていると、自分の未来に対して欲が出てくる。
欲にまみれていく私だ。



マッチングアプリをしていると、自分をよく見せようとする。
なるべく規則正しい生活をしようと心がけています!とか。
そんなこと思ってないというのに。私はド深夜が大好きなんだ。
朝が近づき、黒い空が少しずつ淡い青に変わり、物静かな街中に彩度がついていく瞬間がどの時間よりも大好きなんだ。
こんな真夜中に、イヤホンを耳に詰め込んで、大好きな音楽を身体に流し込んで言葉を書き溜めていくこの時間が宝物なんだ。

家族の前にいると、子どもの自分としての役割を演じ切ろうとする。
父と母の仲がぎくしゃくしないように、私がおちょけて馬鹿な子どものふりをする。父との会話を面倒に思っている母と父の電文役をやって、意志疎通が問題なく図れているような空間を演出していく。

上司の前にいると、聞き分けの良い部下になり切ろうとする。
無茶ぶりしてきても、そうですよね大変ですもんね、とか笑っちゃったりする。
上司の方を持って、いやいやあの人の考え方が幼稚なんだと思いますよ、なんて情けない一言を加えたりしている。


あれあれあれ。本当の自分がどこに行った。
ひとり暮らしをしていた時は、自分の家では自分がいた。
でも今は自分がいなくなってしまった。
あれ、どこにいるんだ。
そんなことを考えていたら心がパッカーンといきそうになっていった。


もし私が職場で、理不尽なことに対して怒りの声で荒げたらみんなはどう思うのだろう。
もし私が家で、父に言葉に対して許せないと立ち上がったら、家族はどうなるのだろう。
私がパソコンを投げつけ、唾を吐き捨て、いい加減にしろと暴れたら、私はどうなるのだろう。
そんなことを考えていると、私はもう少し自分の感情を出しても良いんじゃないかと思えてくる。

聞き分けの良い自分に価値を感じていた10代があって、
自分で自分にかけた呪いに気がついて解こうとしている20代があって。
じゃあ30代はどう過ごしてみる?とか考えている。



いまの夢を叶えたらやりたいことがある。
もう一度、一人暮らしをしようということと、
一度でいいから、自分をかっこつけさせてみようということ。

一度くらいさ、「あれ、今の自分かっこよくね」って錯覚する時期があったっていいだろう。
30代でイケてて、やりたい仕事に挑戦している独身ちょいおじ。
そんな未来になってたって面白いんじゃない?なんて思う訳だ。

未来のことを考えているとわくわくする。
今は一人の時間を取るべきで、
一人で思考を巡らせ、勉学に勤しめと。
そういう時期なんだ、私に必要な時間に出会えたのだろう。


だけど、一つだけ、私には理解できない部分がある。
理解できないという憤りなのではなく、
好奇心多めの理解できないこと。

それは、未来のことを考えていくと、別れた女性のことを思い出すのだ。
なぜなのだろう。
未来のことを考えていると、過去のことが頭に浮かんでくる。
どうして私の頭は、未来と過去が混同しているのだろう。
いくら考えても分からない。

よっぽど未練があるのか。
別れて時間が経ち、記憶が美化されてきたのか。
なぜ思い出す必要があるのだろうか。


いくら考えたって病むだけだからChatGPTに尋ねてみよう。

Q.なぜ?


なるほど。
未来に向かって歩き出した私は、過去の自分から変わろうとしているからこそ、過去を思い出しているらしい。

別に未練が残っていたわけでもなければ、
いま近くにいる女性とを比較しようとしていたわけでもないらしい。

たしかに、私の価値観を大きく変えてくれた存在であったことには間違いがなく、私の大切な"過去"ではある。
"過去"いい言葉だななんてことすら思えてきた。
ちゃんと、"過去"として扱えていたんだな私、という安心感。


私の30代はおもしろい人生になる気しかしていないんだ。
20代はたくさん傷をもらったよ。
たくさん苦しんだ。たくさんもがいてきた。
全ては報われるために呼吸をしてきた。
何がどうなれば報われるのかなんて、定義づけしないまま生きてきてしまったけれども。


今夜も私はこうやって、今の自分をセーブする。保存する。

死にたいと口にした夜も、言葉が溢れてきたこの夜も。
私の糧になっているよ、大丈夫だ。
明日も明後日も、全てを引き連れて生きていくだけだ。それだけなのに。



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