種まき
小学校時代通っていた塾の先生は、田舎では珍しい人でした。本当かどうかは知らないのですが、先生は麻布高校の出身だそうです。勉強はもちろん、戦争の話をしたり時々洋画を観せてくれたりいろんな話をしてくれました。望遠鏡で星も見せてくれました。
高校受験で不合格となり、先生に合わせる顔がないと思った私は恩知らずにも程があるのですが、それ以降お会いしていません。
高校に入学して、私の希望する進路はむりなんだと悲しかったです。
ところがその高校は田舎あるあるの公立進学校の滑り止めも兼ねていて、成績順に進学コースがありました。先生たちはきっと毎年私のように不合格となってしょんぼりしている生徒を見ていらっしゃったのでしょう。入学して初めての進路希望票にやけくそで書いた元々の希望進路を見て、諦める必要はないとおっしゃってくださいました。
その後もいろいろな先生に出会いました。若い頃にアメリカ縦断をした話をした先生、ドイツ語を学んだ先生、猫が好きな先生、英語の例文ででたアンネの日記に涙した先生。勉強よりも雑談が好きでした。先生たちの生きている話が楽しかったのです。
それらは私の心に種を蒔きました。
それらは私の考え方を支える何かになっています。
こういう種まきは、学校や塾の先生だけでなく周りの大人たちにも感じます。
私も今はすっかり大人になっているので、誰かの種まき人になっているかもしれません。
子どもに話す時は自分の考えは全て言わずに、いつか自ら考えるためのエッセンスみたいなところまででやめてみたりします。返答も求めません。
いつか何かしらの芽が出らかもしれないしでないかもしれない。
それはなんと言うかペイフォワードみたいな感じなのです。