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みどりの薔薇🌹 自己紹介
理念・思い
女性は
愛されている
大切にされている
守られている
と思ったときに幸せを感じる
そして
女性の心が満たされると
優しくなれる
素直になれる
人に幸せをお裾分けをできる
子供を包み込む愛情が生まれる
この連鎖を幸女連鎖と私は呼ぶ。
女性が幸せを感じると善の連鎖が生まれる
その善の連鎖をパートナー、子供、家族、友人・知人、身近な方、全国、世界へと幸福感を届けたい。
そのためにはまず女性が美への意識を高める。
そうすると心とからだ両方から健康的なエネルギーが涌いてくる。
まずはその1歩をお手伝いするのが私たちの仕事であると考えます。
歴史
1985年9月10日生まれ
広島市中区の平和公園の前にある産婦人科で産声をあげ誕生しました。
1人っ子で常に『妹が欲しい。』
といいながら遊び相手がいないことに寂しいと思っていたことを覚えています。
熊野筆が有名な熊野町の団地へ引っ越し、近所に友だちもでき、5歳の時に念願の妹もでき、その2年後には弟もでき、3人兄弟になりました。
気がつけば寂しいと感じる日はなく過ごしていた幼少期でした。
小学5年生の頃、私を若くして産んだ母が、昔からの夢である看護師を目指して看護学校へ入学しました。
母は学費を稼ぐため、学校と3つの仕事を掛け持ちしていて大変そうでした。
働きすぎて入院し、ドクターストップがかかったくらいです。
父も仕事で忙しいので私が、兄弟の面倒をみたりして母のような役割をしてました。
この時、私は母の姿をみて女性が豊かな気持ちで過ごしていると子供にも良い連鎖が生まれ、女性がいっぱいいっぱいになっていると悪い連鎖が生まれてしまうのだなと思いました。
子供への影響は父ではなく母の影響が大きいように思います。
この経験が理念のうちの一つとなりました。
私は中学生になり、部活はテニス部へ。
当時はガングロが流行っていた時代だったため日焼けをすることに対して抵抗がありませんでした。
紫外線による、肌へのダメージへの知識がなかったので、何も塗らずに日焼けし、顔は真っ黒で、もはや火傷の域まで日焼けをしました。
海に行った時なんて翌日は上半身水疱だらけになったことは今でも鮮明に覚えています。
今でも目の下のシミはしっかりと残っています!!
目の下のシミに対して『これはまずい!!』と思ったことをきっかけにスキンケアに興味をもちはじめたのはこの頃です。
それから月日がたち、受験の時期に突入します。
私は、自由でないとストレスがたまるタイプで受験勉強をしなさいという母の拘束がすごい空間で、拘束感がいや!!というストレスから体重が10kg増えた経験もあります。
それから体型についての知識を深めていたことも美容に目覚めた大きな転換期です。
そして高校3年生になり進路を決めないといけないとなったとき、美容関係の仕事をやりたいと思っていたのですが母の強い勧めで看護学校へ行くことになりました。
無事、看護学校へ進学し学んでいるときに、ふと私は思ったのです。
やりたいと思って看護学校へ行ったわけではないけれども、せっかく資格をとったからにはフルに活かしたい!!でもやっぱり美容の仕事がしたいな〜!!
そうなると選択肢は美容外科しかないな(*^^*)
と思った私は卒業後のプランは美容外科に就職することを決めました♪
目指すことが決まったらあとは行動のみ!!
いざ就職!!
と思いきや美容外科全ての求人票には、備考欄に実務経験2年以上と書いてあり、新卒の受け入れがない時代でした。
今は美容クリニックで簡易的な手術も増えたので実務経験を求める美容クリニックも減っていると思いますが当時は外科的な要素が強いので、まず看護師としての経験が必要でした。
そこで私は子供が好きだったこともあり産婦人科への就職を決意!!
産婦人科で働いてはじめて知ったこと
望まない妊娠をして麻酔がかかっているのに泣いている女性
幸福感で満ち溢れる女性
寂しい気持ちが溢れる女性
環境が恵まれているのに不安いっぱいの女性
命がけの出産をされた女性
女性特有の病気で通院している女性
女性のライフステージ、悩み、課題、人生の色は本当に様々でした。
産婦人科での看護師としての役割は、ほぼ授乳介助なのですが、女性の様々なバストを見たのも人生でこの時が1番多かったです。
病院で唯一『おめでとうございます』といえる産婦人科はものすごく楽しかったのですが、やっぱり美容のお仕事をしたかったので実務経験2年で退職します。
その後、本命だった美容外科へ就職することができました!
めでたしめでたし。だったのですが
就職して3ヶ月後に『半年後に広島院は閉院します。』と告げられました。
なんと、、、
まあでもその時に辞めなくても良かったんですよ。県外に行くことを選択していれば。
しかし、そのタイミングで妊娠が発覚!!
20代前半はなかなか美容のお仕事ができなかったです。
無事、母子ともに健康で子供が産まれました。
子育ては思った以上に大変で本当にまわりの協力がないと女性の心はボロボロになるなと本当に、この時感じました。この時感じたことも理念につながります。
産後1年が経過した頃、美容クリニックのアルバイトをしないかと声がかかります。
今まで美容クリニックの求人は正社員しか見たことがなかったので数年でアルバイトも募集するようになったのかと変化を感じたのを覚えています。
その後、離婚も経験しました。
一馬力で子供を育てるには体力とお金と心細さをサポートしてくれる人が必要だと本当に痛感しました。
現実は待ってくれないので弱音をはいている暇もなくこの先1人で育てるにはスキルアップが必要と感じた私は総合病院で働きはじめました。
しかし、子供が小さく夜勤ができないので正社員になれず、生活が苦しかったので昼間に働ける美容外科へ転職したりしましたが手術で綺麗になるのではなくケアをすることで綺麗になることが本当の綺麗だと思うようになり、そこで私は、エステを学びながら介護施設で働きはじめました。
20代後半は、美容と医療を行ったり来たり。身体について深く勉強するという時期でした。
知識も増えた頃いろんなサロンへ行っていたのですが、これだ!!というサロンに出会えても数年後にはサロンがなくなったりしてなかなかこれだ!!と思うサロンには出会えなかったのでもう自分でエステ&リラクゼーションサロンを開業することにしました。
自宅の一室がスタートで開業することができたのですが、お客さまのお手入れをしていると効果の持続性に個人差がありすぎて私は不満を感じるようになりました。
この差はなぜなのかを、追求していくと骨格が美と健康の核となることがわかりました。
それからお客様の声を取り入れながら骨格の歪みを整える新メニューを続々とつくっていたらバストケアがなんと1番人気メニューとなっていました。
バストケアをしていると私も不思議と感じるほど腰痛改善や肩こり、首コリなどその他の不調も緩和するのでバストケアをもっと深く追求し続け育乳プロに目覚めました!!
私が施術をしていて分かったバストケアのメリットをご紹介します。
〇バストケアすることで胸まわりの癒着がとれ呼吸が深くなることで自律神経の乱れが整い、姿勢もよくなることです。そのため肩こりや首コリも改善し見た目の印象を変えます。
〇バストをケアすると女性ホルモンが整う作用があり女性ホルモンにはバストアップ、美肌、髪の毛のツヤなどの美容面だけではなく、メンタルやコレステロール、血圧、骨粗鬆症など心を含む健康にも大きく関わり、女性ホルモンの大切さを知りました。
育乳するには女性ホルモンを活性させなければ育乳できないことも分かりました。
そこで、女性ホルモンを整えるのに最適なものを探すとローズが1番と分かりました!!
ローズの力はすごくてローズを取り入れたバストケアをはじめました。
私はこの経験と知識を活かしローズ+バストケアを1人でも多くの女性に取り入れて欲しいと思い今の仕事を続けています。