イギリスの学校で働く
Hello, みろろんです。もうすぐ夏休み!それを目標にしてあと数週間がんばります。
子供が7か月になって仕事を見つけました。(学期中フルタイム)なぜそんな時期に?と思われた方は前回の記事を読んでみてください。
イギリスの学校のシステムをまず説明しないといけませんよね。日本と違い5歳から小学校に入るイギリス。年々(親の要望により)学齢期が早くなっていき、この結果。そしてシャー(shire: 都道府県のようなもの)によってシステムが違います。学年は9月はじまり。よって9月生まれの人が一番年配。8月生まれが日本の感覚でいう早生まれ。最年少は4歳から学校が始まります。しかし、そこはフレキシブルで親の考えによって登校させなくてもよいことになっています。その代わりホームスクーリングで親が教えないといけないのですが。
初年はReceptionとよばれ小学校準備コースのようなもの。その後1年(Year1)というふうにYear 6まで小学校です。続いて地元の中学校、secondary schoolへ。そのままY7となり、Y11が義務教育最終学年。日本でいう高1で卒業。高校(感覚としては予備校。6th Formといいます)が2年でYear12、13。その後大学になるため、日本と同じ18歳で進学です。
つまりイギリスでは中高一貫のような感じで5年間を過ごします。それをPrimary school (小学校)に対してSeconday school といいます。
私の勤務した学校はSeconday schoolと上の6th Formが併設されている学校でした。collegeという名前がついています。
その仕組みを理解せずScience Technicianとして働き始めたのですが・・。
第一印象は
「生徒数が多い」
各学年10クラスほどありました。1クラス30人なので学校全体としては多いですよね。5学年と考えると規模がすごい。(日本でも私立だとあるのかな?)
「(理科)実験が多い!」
ということ。毎時間のように簡単な実験を中学生がする、というのは現在でも日本では少ないのではないでしょうか?そのためにScience technicianがおり、フルタイム2人とパートが4人体制でした。他の学校は1人など学校によって違います。また、core subjectsといって主要科目には英語(国語)、数学、理科が入っていて日本では他教科の目が怖かったのに比べると天国!
生徒は朝の出欠をとると各教科のところに行って授業を受けます。そのためScience labは全部で7部屋くらい。毎時間人が入れ替わり、内容も変わるのでそのたびに溶液、器具などを用意します。
その学校はカトリック系で「よい」学校と言われていたのですが、
「生徒(の質)はそんなによくない!」
廊下も汚いし、授業中は静かですが、よく休み時間に先生の指導の声が響き渡っていました。私も歩いていると、どこからか消しゴムが飛んできたり、足をひっかけられたり・・・。うーん、外国人だから背が小さいから・・。
「先生の質もよくない!」
と感じたのでした。(日本の学校と比べて)理科の知識でいうと、あまりわかっていないのに教えている印象がありました・・。(えらそうですが)
実験の準備をしていると反対に
「これはどうするの?」
と聞かれたり。
イギリスでは家の値段が学校の校区で決まる、と言われているくらい、(中)学校のレベルが地域のレベルになるほどです。
同じ大きさの家の値段が地域によって全然違う(2倍とか3倍くらい)のは、地元の学校のレベルのせいと言われているくらいなのです!
私の住んだ町はレベル的にはあまりよいとは言えないところでしたが、その中で一番よいと言われている学校でした。
そこにいっても
「日本のほうが断然よい!」
と思えるレベル、と言えばわかってもらえるでしょうか?
私はとっても落ち込みました。自分の子供は将来このレベルで行くのか、と。
おこがましいようですが、私は自分自身、勤務校と最低3校は高校を見てきた中で言うと、はやりイギリスのレベルが低い、と思わざるをえませんでした。私でも知っていることは日本の優秀な先生方なら当然知っている知識。すべての人ではありませんがそういう人が「teacher]として存在していることにびっくりしました。
それでも私は学校のことはわからないので、毎日同僚に助けてもらいながら仕事をしていました。また化学以外の実験器具は見たこともないようなものが多く、とても勉強になりました。
自身の子供さんがオーストラリアに移住した、という同僚のPamはいつも
「あなたがしたい仕事はこれなの?大丈夫?」
と気遣ってくれる人でした。彼女も化学中心に仕事をしていましたが、私が入ったために化学の準備を譲ってくれていたのです。
「息子が外国で苦労しているのにあなたは言葉も違う国で頑張っているのだから苦労も多いでしょう」
と言ってくれたことはとてもありがたかったです。
Pamの息子さんは芝居の照明係としてオーストラリアで就職。オーストラリア人の彼女もいてもうイギリスには戻らない、と言っていたそうです。
彼女は私の悩みを子供の悩みとして感じてくれる唯一の人でした。
そんな同僚に恵まれ楽しんで仕事をしていたのですが私がまた妊娠し、彼女は子宮がんと宣告されてしまいます。