子育てと同僚との別れと
Hello, みろろんです。イギリスに「夏」の第2弾が来たのもつかの間、また涼しい(寒い)気温に戻ってしまいました。雨ばかりでないので文句は言えません。
イギリスは徐々に日常に戻ろうとしていますが、相変わらず買い物以外は外出を控えています。仕事もオンライン。子供たちも家にずっといる生活で何とか外に出させてあげたいと思いつつ、日々不完全燃焼です。
前回他の話題を書いたのでまた回想に戻ろうと思います。イギリスで2つ目の仕事(フルタイム)を始めた私。
私は働くために子供を保育園(nursary)に入れます。イギリスでも子供を保育園に入れるのは大変ですが、日本と違いすべて「私立」なので料金が高いです。その分待機も日本に比べると少ないです。私の収入の90%は保育園代になりましたが、それでもなぜ働いたのか?と言われると、理由は2つあります。
1つ目は
「私が私自身になれる時間がほしい」
2つ目は
「自分も子供も英語環境にしたい」
です。
うつ病になった(とされる)私は焦りと不安しかなかったのです。出産前なんとか仕事をしていてイギリスの社会とつながっていた私ですが家にいると全く英語を使わなくてよいのです。ハズは日本人だし、苦手といえばセールスや大家さんとのやりとりもすべてやってくれる。私は英語を使わなくても生活できるのです。イギリスに住んでいるのにそれでいいのか?」と自問自答する日々。そして誰からも相手にされない日々。家にいると誰とも会わずに一日を過ごせてしまいます。そのころはまだSNSがなかった時代ですが、それでもビデオなどで日本のものを観れば英語なし!の生活。
でもそれでは何のために日本の生活を捨ててここにいるのか?
それを考えると自分で自分の首を絞めてしまう。そこから抜け出すにはイギリス人と接点を持ち、自分の名前で呼ばれなくてはいけない!誰誰の奥さんではいけない!と思ったのです。子供がいると誰誰のお母さんになってしまうのも同じです。
また、私は家で赤ちゃんに英語で話しかけていなかったのでとても不安でした。外でイギリス人と会ってもこの子は意味がわかっているんだろうか?と不安でした。それを解消するにはネイティブの人が赤ちゃんに話しかけることが大事だと思っていました。
これらを言い訳に私は働きます。そして一番の同僚がガンになり。彼女は人一倍健康に気を使う人で、11時と3時にあるお茶タイムでは他の人はビスケットとかを食べているのに彼女だけはリンゴやブドウ、と決してお菓子を食べなかったのです。その彼女が病気!
びっくりしたのは、彼女の放射線治療の時(出産にもありましたが、住んでいる町には病院がありません)交代で職場の同僚が車をだし、送り迎えをしていたことです。私も・・と言いましたが、赤ちゃんは放射線を浴びた人の近くには行けない、ということで私は当番から除外。その後自宅療養しているときも会いにいきましたが、子供とは触れられず。腹水がたまってパンパンになったお腹を私に見せて、「妊娠してるわけじゃないのよ」と笑っていたのを私は忘れることができません。
その後治療のかいなく、彼女はこの世を去りました。この時初めてイギリスのお葬式(funeral)に参列しました。服装など何も知らないことばかり。昔はイギリスも黒い服装だったそうですが、現在は故人のテーマによって変わります。その時はPamがお花が好きだった、ということで花柄の服装。こういうイギリスの文化はとても新鮮で、心地よく、私の今後の人生に大きな影響を与えたと思います。
私たちTechnicianは彼女の想い出に学校の中庭にそっと木を植えました。今はその木も大きくなっていることでしょう。