【お絵描きのバグ技】本当はみんな真実のフォルムを知っている
自分の初期noteでよく紹介していた、
「絵を巡る考察プレビュー版」
というネット記事がある。
この中の最初の章に関して改めて書きたい。
原文の目次でいえば以下の箇所になる。
ここで書かれている内容はざっくり言えば
絵の素人でも、描かれた似顔絵がマイケル・ジャクソンに似てるかどうかを判断できる
描く技術にインプット能力は必要だがアウトプット能力はいらない(文中引用のレジェンドアニメーターの発言)
では似てない絵のおかしな点を具体的に指摘できないのはなぜか?
ということかと思われる。
上記ネット記事を初めて読んだ当初は、特に2点目の「インプット能力は必要だがアウトプット能力は不要」というのは天才故のドラスティックな物言いだな、と思っていた。
しかし、よくよく自分の絵の描き方の機序を考えてみると、上記レジェンドアニメーターの言う通りの描き方を自分もしていることに気がついた。
つまり、「何も見ないで(視覚的参考物なしで音楽から受け取るイメージだけを手掛かりにして)」描く、という描き方である。
インプットは昔からひたすらやって、自分の中に情報が集積されている。
少なくとも、人体、布、動き程度であれば。
アウトプットのための技術というものは私の経験上習得したことはない(絵は文字通り完全独学で、学校の授業以外では習ったことがない:以下参照↓)
たとえばアウトプット時(描画時)に内部に蓄積された人体や布の情報と無意識に瞬時に突き合わせしておかしければ即座にCtrl+Zする。
あるいはざっくりフォルムを描いてから細部を描き下していく際に無意識に内部蓄積情報と突合しながら描き進めていく(ある意味手探り)
その時内部感覚でOKフラグが立った線を選択して次に描き進める。
自分の内部感覚が真実のフォルムを知っているので、それによる正誤判定で描き進めるのである。
これらは内部蓄積情報だけを頼りに描いているもので、アウトプットには「技術」は用いていない。
インプット済の情報を用いてなんの捻りもなく脳内イメージ通りに見えたままアウトプットしてるだけで、そこに技術というものはないのである。
アウトプット時に活用している陰影やオブジェクトの立体感という情報も、アウトプット技術ではなくインプット済の蓄積情報から自分で抽出した帰納法的法則である。
こうやって手探りで内部蓄積情報と突合しながら、というのは描き慣れたポーズなら瞬時に描けるが、そうじゃない場合は探り探りの泥縄とも言える。
なので複雑なポージングなど描く場合時間がかかったりもする。
そんなら参考写真見れば瞬時に描けるじゃーん、というのが大半の絵師さんの言い分ではないかと思う。
とにかく「見て描け」「資料参考にしろ」という説が大半に見えるので、絵師的コモンセンスとしてはおそらくそんな感じなのだろう。
もちろん、思い込みだけの不正確な絵よりきちんとした根拠のある絵の方がいいに決まっている。
ではなぜ敢えて視覚的参考資料なしで内部蓄積情報だけで自分は描くのか。
といえばその方が描くモチーフの細部を正確に、効率よく覚えるし、既存法則の補強にもなるからである。
そして何よりその方が描いてて楽しいからである。
たとえば人体のイレギュラーなポージングを描くとする。
内部蓄積情報と突合しながら描くと、今描いている新たなポージングの情報も蓄積されていく。
次回以降描く時脳内で動かす3D素体の細部に新しい情報が追加され、ブラッシュアップされるということでもある。
昔書いたnoteで既出の「画力のメタ化」である。
関連noteは以下↓
そして内部蓄積情報と突合してOKフラグが立つという状況は、ある意味ミステリーを解いていくような楽しさがあるのだ。
手探りであるからこそ、正しいと納得できるラインを見つけるのが楽しいのである。
ある意味埋もれた宝物を探す宝探し感覚とも言える。
埋もれた地中から何が掘り出されるのか?
自分的にはワクワクの瞬間である。
そう思って考えてみると、内部感覚を用いてアウトプットしている時は、外部の情報を受け付けないアウトプットモードになっているような気がする。
アウトプットモードの時に外部からの資料をインプットするのは描く妨げになる。
集中力が途切れるし、萎えるのだ。
まあ、排泄中に食事はしたくないよね、っていう感じ。
あくまで私の場合は、だが。
そんなわけで、一般的な絵のセオリーとは異なるかもしれないが、「絵の上達に必要なのはインプットのみ(アウトプットの技術は不要)」というのは、自分にとっては真実だな、と思った。
そして、「自分の納得できるレベルの絵が描ければいい」私には向いていると言える。
ただ、締切のある世間一般の絵師さんやプロ絵師さん的には現実的ではない「バグ技」なんだろうな、という話。