絵師としてもう一段階上がる方法
…について言及するnoteを拝読した。
こちら↓
ゲームにはとんと疎いので(というか漫画もアニメも疎いのですべてに疎いウスノロである)↑で紹介されてるプロゲーマーさんももちろん存じ上げない私である。
…が、そんなウスノロ素人でもなるほどなーと頷ける内容だった。
そしてこちらのnoteの主さんも「Cool as a cucumber」な切れ者の予感。
というかどうやらプロフェッショナルの覆面アカウントのようです。
ウスノロ素人では言いにくいこともズバリと指摘されておられる模様。
ある意味手厳しいとも言える。
けどこれが現実なのよね…。
という指摘も大いに頷ける。
こちらのnoteの内容は、辛口とは言えますがプロクリエイターになりたい方には得難いアドバイスかと思います。
で、表題の「絵師としてもう一段階上がる方法」とはつまり上記noteで指摘されてる「暗記型」一辺倒ではなく「法則型」の行動様式を取り入れること、になりますね。
実はこの内容、拙noteでも既に指摘済。
つまり、「暗記型」はバラバラのtipsの破片をたくさん暗記することになる。
しかしそれらの個々の技法の共通「法則」を見つけ出す方が応用が効いてより深く描ける。
ということである。
言い換えると個々の事例から帰納的に見い出した法則を、新たな絵を描く時に演繹的に敷衍させるということである。
そもそも私自身が昔から法則型と言える。
高校時代に弱小美術同好会所属でかつ完全独学ながら「法則」を用いて入選した経験のnote↓を書いたことがある。
他にも画力向上のために他人の絵から何を学ぶのが一番かと言えば「法則という根っこ」ではないかという自説のnote↓とか
(ちなみにこのnote内には目次小見出し含めて12回「法則」という単語が出現する)
既出の拙noteの繰り返しになるけどテーマは「たくさんに見えるお絵描きtipsも実は『素直な観察で3D把握』と『リアル陰影の法則』のふたつの普遍的法則に収斂される」だったり↓とか
要するに法則に関しては過去noteでも複数回言及していたりするのだった。
つまり木っ端絵師のくせに昔から法則を把握してはそれを敷衍させて描くのが楽しかったわけである。
一番最初に「法則」について開眼したのは多分原子の構造と惑星というか太陽系の構造が似ていてフラクタルだ、と認識した小学生の時だと思う。
超ミクロと超マクロの世界の構造が類似した相似形である。
という発見のそのダイナミックレンジの大きさに気が遠くなった記憶がある。
その後「フラクタル」という構造がそれを言い表す言葉だと知り、「そうか、世界はフラクタルなのだ」と解釈するに至った。
以降、記憶力の弱い自分には「全く違うのに相似形」「関連がないのにフラクタル」という構造は、記憶のための助力になった。
それは絵を描くに当たっても同じことだった。
とはいえ私自身はなんとも冴えない素人木っ端絵師にすぎない(その代わりちょっと活発的に活動するとすぐ絵のストーキングに遭う)
なので、前述のプロフェッショナルの方の言葉のように信じてもらえるとは思ってはいない。
ただ、自分で見つけた法則は真の意味で自分のものなので、記憶力の弱い私でも忘れることはない。
という事実は覆らない。
そして自分の絵を自分の絵だ、と確実に言い切れる根拠もこの「自分で見つけた法則」を用いて絵を描いているからである。
なので私は過去noteでこう書いた。
これを今回のこのnoteの趣旨に従って言い換えると、
「私は私の発見したフラクタル構造で世界を観察、解釈しており、その法則を用いて絵を描いている。私が私自身で発見した法則なので、その絵は私の世界観そのものであり、好き嫌いとは別軸である」
となる。
なお、これを受けてさらに私のnoteで散々書いている内容が以下になる。
「(承前)故に私の絵の要素の真似で我が物顔されるのは迷惑である。それらは私が発見した法則であり、真似した奴らは自分で発見したわけでもない法則を理解もできないのに上っ面を掬っただけの劣化コピーである。私の絵の劣化物を私の眼前で描いておいて自力で発見したかのようなドヤ顔されるのは不快だし、事実に反する」
なお、私は絵師として「法則」を用いて一段上がったのかと問われると再三書いているようにただの木っ端絵師である。
人から見たら一段上がったどころか地下に埋没してめり込んだ雑魚絵師と言えよう。
ただ、「ダメ脳内補正」の呪縛から逃れ、自ら発見した「法則」で描くことが楽しいので、自分なりの一定の満足感を持って描いている、とは言える。
少なくとも過剰な承認欲求の業火に焼き尽くされてはいないかもね、という程度の、ささやかな満足感でしかないけれども。
ダメ脳内補正についての拙noteはこちら
↑のヒントとなった原典
絵を巡る考察プレビュー版
…というわけで、今回ご紹介したプロフェッショナルの方のnoteのおかげで、我が愚考もあながち的外れではないお墨付きをいただけたように感じて大変にありがたかったというお話。