絵の師匠の一人が今はもう亡き音楽アーティストである話
貧乏底辺層育ち故幼い頃から脳内イメージ焼き付け(所謂メモリースケッチ)という底辺仕様能力を用いて絵を描いている。
元々そういう描き方だったわけだけど、のちに出会ったあるアーティストがさらに私に「脳内ブラックボックスの存在を自覚し、自由に使う」方法を教えてくれた。
そのアーティストは知る人ぞ知るといった感じの、メジャー路線から少し離れた音楽を作る人である。
しかし、アニオタには知名度はそれなりにあると思う。
私は見てないから知らないけれど、ややしばらく前のアニメの主題歌にそのアーティストの幻の新作が採用されたという。
幻なのは、そのアーティストが数年前にお亡くなりになってしまったからである。
だから、そのアーティストの新譜を聴くことはもう叶わない。
そのアーティストの曲の特徴は、映像がよく見えることである。
アニメ主題歌等に何度か採用されたのもそのためだと思う。
ファンの間でもそういう評価は高い(と思う)
私は以前のnoteでも音楽について「描ける曲」と「描けない曲」のふたつしか分類がない旨を書いたのだが、このアーティストの曲は全自分の中ではダントツで「描ける曲」が多い。
言い換えると「描ける曲の歩留まりが極めて高い」。
そこまで「描ける曲」の割合が高いアーティストは現在のところ国内ではこのアーティストのみ、国外も含めるとあともう一組だけである(あくまで当社比)
たまたまそのアーティストとの出会い後に実家を出た私は、誰に咎められることもなく、誰に見せる当てもなくひたすら毎日お絵描きを大量にしていた。
もちろんこのアーティストのアルバムを高頻度で聴きながら大量に落書きをしていたのだった。
そしていつも首を捻っていた。
「なんでこのアーティストの曲は映像がくっきり浮かぶのか?こんなにイメージ喚起力があるのか?一体どうやったらそんな作品をここまでコンスタントに作れるのか?」
なぜなら、他の如何に著名なアーティストであってすら、ここまでコンスタントに強いイメージ喚起力を持つ曲を生み出し続けてはいなかったからだ。
私は首を捻りながらもそのアーティストの曲で見えたイメージをできるだけ曲に忠実に再現しようと毎日毎日描き続けた。
それは別の言い方をすると、曲で喚起された脳内ブラックボックスのイメージを、自覚的に凝らしてはっきりさせていく作業であった。
その曲のくっきりしたイメージをゴールに目指して、毎日「まだ足りない、まだ届かない」と試行錯誤しながら脳内ブラックボックスイメージを鍛えていくことに結果的になった。
結果そのアーティストの曲によって、それまではなんとなく認知していた脳内ブラックボックスイメージの存在を確信できるようになった。
さらにその脳内イメージをはっきり描ける濃度まで凝らしていく訓練ができた。
それによって自分は脳内ブラックボックスという、形のない自己の脳内にしかないものを自覚的に扱えるようになったとも言える。
つまり、このアーティストの存在がなかったら私は「よくあるテンプレに従ってなんとなく」でしか絵を描くことができなかったと思う。
今の私は「自覚的に脳内ブラックボックスイメージを凝らして絵として表出させる」描き方である。
以上のように脳内ブラックボックスイメージの存在を確信し、意識的に用いることができるようになったのは、このアーティストのおかげということになる。
結果、
「なんでこのアーティストの曲は映像がくっきり浮かぶのか?こんなにイメージ喚起力があるのか?一体どうやったらそんな作品をここまでコンスタントに作れるのか?」
という疑問への答えはある程度出たように思う。
それは、このアーティストが「脳内ブラックボックスイメージ」を意識的に自由自在に駆使して、そのイメージ通りの曲を作っていたからではないか。
「脳内ブラックボックスイメージ」で確信的に作曲していたのではないか。
そのように私は結論づけている。
このアーティストは音楽で、私は絵の人間である。
だけど、「脳内ブラックボックスイメージ」の存在を自覚し、意識的に作品にそのイメージを投入する方法は、たとえジャンルが違おうとこのアーティストが教えてくれたことである。
そんなわけで、このアーティストは私の絵の師匠の一人であるのだった。