自分の絵が好き嫌いで語れない話
私にとって私の絵は好き嫌いではない。
ああ自分の絵だなあとだけ思う。
好きとか嫌いとかの感情論ではなくて、自分自身だなあと思う。
自分の身体の延長みたいな感じかな。
そうだなあ、家族のことをスキスキ言える人もいるかもしれないけど、それより家族はいること自体が当たり前、好きとか嫌いとかわざわざ家族に言わない、という感覚の人も多いと思う。
私にとって自分の絵とはそういうもので、好き嫌いという感情論での判断軸ではなく自分の絵=自分である。という事実がただゴロンと無骨に転がっているだけだ。
単に自分が自分であることを知っていればそれで充分なのである。
自分の絵に自分でないものを無理矢理入れると免疫反応が起きて拒否するし、
自分の絵に感情論を入れるとメンタルヘルス的に具合が悪くなる。
仮に私が過剰に自分の絵をスキスキ思ったとしたらその自己愛強すぎ加減に辟易して自分で自分に反吐を吐きたくなることだろう。
自分で自分の絵を見ながらうっとりする図とか想像しただけでキモいしとても絵面的に見れたものではない。
逆に自分の絵が嫌いになったらそれは文字通りメンタルヘルス的な病気である。
どうせ自分の絵なんて…とイジイジするのも「そんなことないよ」と言ってほしくて卑下するメンヘラかまちょみたいでこれまたキモい。
要は自分を過大評価するのも過小評価するのもベクトルは違えどメンヘラに足を突っ込むことになるということだ。
なので過大評価もせず過小評価もせずただ等身大の自分であることだけ押さえておけばそれでいいやと自分は思ってるという話である。
とどのつまりは私にとっての私の絵とは嗜好品ではなく、「私は私であり、世界をこう見ている」という宣言でしかないのであった。
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