(現時点での)AI生成画像のウィークポイントのFAが一言で出てた件
それがこちらのnoteでした。
「ナラティブがない」。
全く至言であります。
手描きもAI生成もガッツリ取り組んだからこそ出た言葉でしょう。
↑こちらはもちろん私も激しく同意するところですが、AI生成師に限らないかなとも。
アナログでのお絵描きノウハウ(基礎画力)に欠けた、デジタルお絵描きツール依存技術しか使えない(ように見える)一部デジタル絵師にも共通してるかもしれないと私は思いますね。
というかこちらのnote、読んでみたら感動巨編でした。
特に『 「創作」とは』の章は必見です。
私が特に感動した箇所はぜひ原文で読んでいただきたいので引用しません。
そしてその部分は私も絵を描いてて共感するところです。
あと私も過去noteで似た趣旨のことに書いたことがあるような。
まるっきり同じことを書いてるわけではないけど、隣接した場所を掠めて書いたことがあるなあ。
逆に一箇所だけこの方と私の感覚が全く違うなと感じたのはここ。
私の場合は以下である。
この辺も隣接してるかな。
いずれにせよ、かのnoteの方の「ナラティブがない」が非常なる卓見で感心しましたね。
このナラティブの有無を私なりに解釈すると、素人写真とプロの写真の違いにも例えられるかなあと思う。
素人でもカメラ使えばとりあえず見た通りの写真は撮れる。
プロはそこに被写体に対して感じたそれこそ「ナラティブ」を表現するために、構図、画角、カメラ本体の選択、レンズ(本体やレンズ選びも技術、それらを揃える財力は情熱という名の沼)、シャッター速度、被写界深度、照明や天気、撮る時間帯…などの様々な技術や要素をコントロールする。
最大限の「ナラティブ」の表現のためにプロが駆使する技術や根気は素人には想像がつかないレベルだと思う。
例えば桜を撮るために高価で壊れ物の重い機材を抱えて日本全国を桜前線と共に北上し、人のいない早朝に起きて現場に向かう気力が湧く素人はそうそういないと思うのだ。
でも、素人写真にもナラティブがあるものももちろんある。
何気なく日常を撮ったスナップが、その日常が失われた時には何物にも変え難いものになるだろう。
なので、ここで言う素人写真とプロ写真の違いは一般論としての話である。
しかし写真に例えなくともお絵描きでもやはり同じことだろう。
AI生成画像は直接描画や着色に人の手による筆(ペン)でのタッチがない。
例えデジタル画であろうと手に持った筆(ペン)を介する描画のタッチは、その一筆一筆が描いた絵師の念(イメージ)から生まれる。
人の手で一筆ずつ描くのはAIに比べればそりゃ効率は悪い。
けれども、その代わりどこを強調しどこに力点をおくか、自分の意思で決められる。
その過程自体がナラティブになるのではないか。
何を表現したくて、何を選択し、何を省略するか。
何をどの程度強調するのか。
一筆一筆描くからどこを強め、弱め、引き立たせ、ぼかすのかをイメージ通りにできる(もちろん技量によって必ずしも目標の完成度で完遂できるわけではないが)
AIもざっくりならパーツ指定である程度イメージ通りに試行錯誤できるかもだけど,
でも生成された画像に重ねてほんの少しの強調とか陰影をもう一段深めるとか塗り重ねとかはできないように見える(Bing copilotを片手で足りるくらいしか試したことないけど)
というわけで現時点ではいきなり完成度高そう(に見える)な絵を吐き出すAI生成画ではある。
しかし任意の強調や減衰でイメージ通りにコントロールするのはやっぱり難しいと思う。
一気呵成に「大体ツボ周辺」は狙えるけど、ピンポイントの「ツボそのもの」は押せない、と前にも書いたことがある。
そんなわけで、私が無駄な長文でダラダラ書いちゃったnoteより、核心突いた「ナラティブがない」というFAの威力がすごいよね、って話。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?