絵を完全独学で描いてほぼ同じ感想を複数もらった話
前回中学時代の話を書いたが、今回は高校の部活の話である。
前回も書いたように私は貧乏人で塾も習い事も通ったことがない上、美術の非常勤講師にも「俺はみどりーぬには何も言わん(勝手に描いとれ)」と見放されたので本当に独学であった。
高校で美術部に入ったので高文連の美術展に出展する絵を描くことになった。
美術に造詣があるのは前述の非常勤講師だったが非常勤なので顧問ではない。
しかしうちの高校に来た時には他の部員にはあれこれアドバイスをしていた。
勿論私にはノータッチである。
美術部には美術に造詣のない顧問はいた。
でも造詣がないのに部員の絵に手を加えて変な色にしたりしていた。
その顧問も私にはノータッチだった。
一年生の時は高額な油絵の道具を買ってもらうのは憚られ、水彩画を描いて出展したが水彩画は油絵の重厚さの前では遠く霞んで埋没していた。
勿論絵の技術がそもそも足りてないこともあるだろう。
それにしても油絵の存在感の前には水彩画はあまりにも無力だった。
それで二年生になったらかなり無理目に両親に頼み込んで油絵の道具を買ってもらった。
しかし部活は先輩後輩含めてわちゃわちゃするのが楽しくて油絵は「とりあえず描いたけど中途半端」といった代物になってしまい、箸にも棒にもかからなかった。
油絵の勝手が飲み込めてないということも大きかったのだが。
そもそもうちの高校は弱小美術部で、予算も少ない。入選者もあまり出ない。
この年は習い事で油絵をやってる先輩だけ入選した。
既出の通り顧問は絵の造詣がない。
造詣のある非常勤講師も時々しか来ない。
そういう環境だった。
ちなみに近隣の2つの高校は、ローカルでは有名な画家の先生がそれぞれ顧問をしていて、毎年二桁人数の入選者を出しつつしのぎを削っていた。
三年生になって、たくさんいた先輩がごそっと抜けて私が部長になった(同学年が少なかった)
最後の年なので気合を入れて描いた。
やはり油絵の道具さえ揃えればなんとかなる、わけではないのだということを二年生の高文連でつくづく感じた。
なのでできることは全部やることにした。
腹を括る、ということに生まれて初めて挑戦することになった。
逆にいうとそれまではチンタラやっていたのだ。
チンタラやっても上手いこと引っかからないかなー、と甘いことを考えていたのだ。
それまではモチーフを見たままに、通り一辺倒で描いて終わらせていた。
しかしその年は可能な限りできることを投入して粘ることにした。
そもそも努力とか苦手なんだけどね。
私が描いたのは静物画で、クシャクシャの布を垂らして背景にし、手前に古民具などが雑多に並べられたものがモチーフだった。
ちなみに古民具は私の実家から持ち出したものだ。
前年までは水彩画脳で描いていたが、油絵の具の特徴をよく考えて色を乗せるべく必死になった。
最初、水彩画のように滑らかなグラデーションを描くのには工夫がいるため試行錯誤した。
しかし滑らかグラデでなくてもいいのだろうかと思い直した。
私は美術愛好家にありがちなことだがモネの睡蓮が大好きである。
なので印象派のように描くのもいいのではと思い、荒いタッチでも気にしないことにした。
使い慣れていない油絵の具での試行錯誤に結構時間を取られたので締め切りが危ういと思い、さらに大胆に塗った。
前回のnoteの中学時代と同じく「見たまま」の陰影をである。
布の陰影を見たまま大掴みに塗ると…大掴みという文字通り、本当に布の皺の一部が手で掴んだかのように盛り上がって見えるようになった…気がした。
立体感が増したのは見たまま塗ったからだが、共通項としての陰影の法則の仮説を立ててみた。
そこで立てた仮説で「ほんの少しの誇張」を加えた陰影で他の部分も塗っていく。
すると異様に立体的な布が描き上がった。
描き上がったというか立ち上がったというか、手で掴んだ通りに持ち上がったというのか。
布ばかり一生懸命描いたので他が貧弱になってしまい、慌てて他の部分も描き足した。
そういえば、前回の中学時代の課題で誉めてくれた美術の先生がいつかの美術の授業(多分石膏デッサン)で
「陰影はあんまりしつこく描きすぎるなよ。あんまり濃くしすぎるとくどくなるからな」
と言っていたことが頭の隅にあって、「ほんの少しの誇張」をしたのだった。
そうして必死に塗って塗って塗りこめて、なんとか描き上げて高文連に出展した。
結果、うちの高校美術部初の複数入選で、そのうちの一人は私だった。
勿論近隣の、地域で有名な画家が顧問についている2校はいつも通りそれぞれ二桁人数の入選者だぅた。
後日、入選作が一堂に会した美術展に行けることになった。
その時美術部ではなく新聞部だった文書きの相方も行くことになった(新聞部も入選したのだったと思う)
その時にはもう文書きの相方とは友達だったので、一緒に会場を回った。
入選作を端から見て歩いた。
すると私の絵に他校の先生や生徒の感想というか寸評が書かれていたのでびっくりした。
寸評自体は片手で足りるくらいしかなかったが、共通して「布の皺が面白い」「布が立体的」「大胆な布の描写」と書かれていた。
自分自身が描いてて面白いぞ、と手応えを感じた箇所が、そのまま他人に伝わることに驚いた。
ちなみに、画家の先生が顧問をしている2校の入選作でもあまり感想は付いてはいなかったと記憶している。
というか、顧問の先生の画風に似るのだろう、その2校の絵はおしなべて同一人物が描いたかのように似通っていた。
なので私も「似てるなあ」以外は特別感想は出てこなかった。
顧問の先生のカラーが強く出るものだな、とある意味感心した。
その点うちの高校は完全に画風もレベルもバラッバラのガッチャガチャであった。
それでも複数人入選できたのだから御の字である。
何より無理を言って油絵の道具を買ってもらった手前、両親に言い訳が立ったのでホッとした(入選もできなかったらそんな高い道具なんで買わせた!ってなるから)
結果、私は布を描くのが今でも好きであるし、陰影描くのも大好きである。
そして、自分で立てた陰影の仮説によって絵の立体感がほんのり強調できたという手応えがあった。
その自己内部感覚の手応えが、絵を通して見た人にも伝わるということを初めて知ったのだった。