今も違う場所を走っているんだよ
オリンピックが終わった。選手はそれぞれの「何か」と向き合っているだろう。
時を同じくして東京マラソンが行われ、新しい記録も生まれた。
アスリート達の闘いは言葉に尽くせずとも、わたし達は二年後の東京に思いをはせる。
我が家の三人の子供達は、上ふたりが駅伝。末っ子がハードルをやってきた。オリンピックと重ねるのはおこがましいが、それぞれにやはり言葉に尽くせないものがある。そんな中で今日は長男。
周囲からは箱根を目指せと言われつつ、高校でやり抜き、そしてやりきり終えたいとの強い想いがあった。
二年でレギュラーになるも、全国にあと一歩及ばず。千葉は当時強豪高校が六校乱立していた。そして迎えた三年。息子は県大会の一週間前に怪我をして、襷を握ることができなかった。
チームはまたも全国を逃した。
ジンクスのように毎年必ず一週間前に走れなくなる選手が出る。その年はそれが息子だった。
それでも『やりきった』とそう言ったが、悔しい気持ちとチームメイトへの申し訳ない気持ちは半端なかったと思う。
あれから10年以上の月日が流れた。
チームメイトや先輩後輩の中には、箱根を走った子達もいたし、ライバルだった他校の選手の中には実業団に入った人もいる。
息子と同じように高校で引退した子もいる。
みんなそれぞれ。
それぞれの現実の中での精一杯を、ひたむきにやっていると思っている。
今でも息子はテレビを見ながら笑う。
足を見ると、痛ッ!
この時間帯、マジで苦しい!こっちが苦しくなってくる!
noteを始めてしばらくした頃、このことを思った詩を投稿した。
ちょっと再投稿してみようかな 笑
表紙画像は悠凜さん作の、コラボ作品集《雪》の画像をお借りした。
この時の140字小説。書きながら息子のことが頭をよぎったのも、やっぱり事実。
詩 『 応援者』
その夢が砕けた時
かける言葉が彷徨ったのは
その夢が砕けた時
先に泣いてしまったのは
応援していた
ただそれだけじゃなくて
君の肩越しに
おんなじ目線で夢を見ていたから
不器用だね
本当はただ
抱きしめてあげればよかったのに
とっくに背丈を追い越されたからと
ごまかした
20センチの嘘
君はその後も
雷管の響きを胸に残し
別の場所を走っている
君に
もうずっと前に思い出に変わった
その夢に拍手を送るよ
ただの応援者として
通り過ぎていくその沿道から
今
拍手を送ろう
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やってきたこと。経験したこと。生きてきたこと。
小さなことも大きなことも、辛いことも嬉しいこともそれが糧になって今からまた生きていくんだ。そこに優劣をつけたがるのは自分とあと、自分自身を投影した「何か」だけかも知れないよ。