一行詩と自由律俳句??
矢口氏をそそのかして自由律俳句のいちごつみをやったわけですが、そこで新たに『一行詩でのいちごつみ』なるものもやってみては?という言葉が麦笛さんから出て、やはり矢口氏はフットワークが軽かった(笑)
ここでさかんに出てのは
「自由律俳句」と「一行詩」の違いは?
これだ。
わたしが思う範囲でちょっと。
そもそも俳句は短歌と並んで、律という韻を使う詩の一部だ。
ところが自由律は、律の制限を超えたところにある。だから迷う。一行詩との違いは何か?と。
わたしが思うに自由律であっても俳句である以上、リズムと切れを重視しているのではないか?そして一行詩はリズムも大事だが、それ以上に全体の雰囲気を重視しているように感じる。
やはりうまく説明できない。
ちょっと、わたしがいちごつみで詠んだ一行詩を自由律俳句に変えてみる。
吐息ひとつ間に合わない…… 蛍がきえた
雲の運ばれた場所は、夏
まぶしいオレンジを睨み返すそんな夕暮れ
これを自由律俳句にしてみる。
吐息のすきまで消えた蛍
夏へ運ばれた雲ひとつ
オレンジの夕暮れを睨み返して
(最後はいちごを摘んでないけれど、例えなのでごめんなさい)
あくまでもわたしの感覚で、説明になってないし、矢口氏に言わせると一行詩は「トゥルルトゥルリラ」で自由律俳句は「タンタカタン」とのこと"(-""-)"
ということで
「麦笛さんよろしくお願いします!」
是非、埋め込みリンク先のnoteをご覧くださいませ(@^^)/~~~
いいなと思ったら応援しよう!
スキもコメントもサポートも、いただけたら素直に嬉しいです♡