暗転 序

関係者以外立入禁止と書かれたドアをノックする。

「どうぞ~」

どこか聞き覚えがある声だなと思いつつ、重厚感のある銀色のドアノブに手をかけた。
「失礼します。本日、バイトでお世話になります”安野秀樹”と申します。宜しくお願いします」

事務所には、スタッフコートを着た白髪混じりの男性が一人、コーヒー片手にパソコンと対峙していた。向こうもこちらに気づいたようで、表情に笑顔を作りこちらへ向かってきた。

「初めまして。本日、イベント責任者を務めています”小野田”と申します。こちらこそ本日は、宜しくお願いします」と慣れた様子であいさつをしてきた。
登録している人材派遣会社経由で今回の仕事が決まった。一週間ほど前に電話で仕事内容の詳細を教えてくれた人だと特徴的なハスキーな声で瞬時にして理解した。

「先日は、お電話でお時間頂き有難うございました」
「いえいえ~、それにしても安野くん早いですね~。最近の子たちは本当に真面目なんですね」
「会場内で迷うかと思いましたが、迷わず来れてよかったです」
「そうかそうか。でも、申し訳ない…今ちょっとトラブルがあったみたいで、対応に行かないとだから事務所内でもう少し待っていてもらってもいいですか?」
「はい、分かりました」
「少し時間かかると思うので、そこの椅子使ってください」

背丈は自分より少し低いくらいのおじさんは、かなり根を詰めた様子で事務所を後にした。
小野田さんから指示をされたパイプ椅子に腰をかけ、スマホを取り出す。本来は行ってもいないカフェの朝食を投稿し、あとは動画サイトで時間をつぶすことにした。

「お待たせしました~」
ノックの音が聞こえたと思えば、小走りできたためか息の上がっている小野田さんの姿があった。
「とりあえず、控用のテントがありますのでそちらに向かいましょうか。ここには戻ってこないので、持ち物は全部持ってきてください」

分かりましたと相槌を打ち、身支度を済ませ小野寺さんの後に続く。
「安野くんは、着ぐるみバイトの経験あるのですか?」
「はい、以前の派遣先で何度か着たことがあります」
「そうでしたか。いやあ、よかったです。経験ない人だとなかなか戸惑っちゃう方もいるんですよ。なかなかきつい仕事で慣れも必要ですからね」

なんて、話をしているうちに本日のメイン会場であるドーム型の会場に到着した。目の前では、様々なブースでバタバタと作業が行われており、異様な緊張感が漂っていた。
今日のイベントは最新ゲームやハイテク機器の展示会であり、毎年多くの人が来場するそうだ。小さいころからサッカー一筋であった自分にとっては、このイベント自体知らなかった。
今回のイベントで俺は、企業のマスコットキャラクターの着ぐるみを着て販売促進を行ってほしいとのことだ。着ぐるみの仕事は、きついので気が向かなかったが多く仕事を振ってくれている事務所にNoとは言えず、泣く泣く引き受けたわけだ。

「うちのテントはこのテントにここになります。中にロッカーがありますので先に貴重品はそこに入れちゃってください」

テントには幕が垂らされており、幕をめくり中に入った。中には、数脚のパイプ椅子とロッカーが何個か置かれた殺風景な空間になっていた。
奥には、展示用のオブジェのようなものと俺でも見たことがあるような猫を擬人化したような着ぐるみが置かれていた。その着ぐるみは、かなり重そうで、熱もこもりそうな作りになっていたため、冬とはいえかなりきつい仕事になることを覚悟した。
ロッカーまでたどり着き、小野田さんの指示通りに貴重品が入ったリュックをロッカーに入れ音がならないようゆっくりと閉めた。

「安野くーん」

小野田さんに呼ばれ、振り向くと猫の着ぐるみの前に立ち、手招きをしていた。
はい、と返事をし、小走りで小野田さんのもとへ向かう。

「とりあえずイベント本番前に一回着てみましょう。着る練習をしてなかった時、時間ギリギリになったケースもありましたので」
面倒だなと思いながらも断るわけにもいかず、了承したことを伝えた。

「今回、使っていただくものはもう出してありますので」
と話すと小野田さんは、なぜか、俺に背を向けるようにして反対方向へと歩き出す。

「こちらが今回、着て会場に出ていただく弊社のマスコットキャラクターになります」
えっ……何を言っているんだこの人は…。その瞬間ドクッと心臓が動き出し、心拍数が高まるのを感じた。小野田さんが手で示し、目線を向けているものは俺が本来オブジェだと思っていたものだった。
よく見るとどこかで見たことあるような太鼓のキャラクターであり、本体部分であろう筒状のものには不気味な四つの穴が開いていた。

「えっ…これは…。あちらの猫の着ぐるみではないのですか?」
「ああ、あれは他社さんのものでね、ここはその会社との共有って形になっているんですよ」

自分でもわかるほど、体が熱くなっているのを感じ、全身から嫌な汗が噴き出してきていることが分かる。目の前にある着ぐるみには、腕、脚、頭といった本来の着ぐるみにあるパーツが存在していない。
あるのは、本体部分であろう筒状のもの、丸い球体のようなものがついた棒のようなもの、丸い靴、白く分厚いズボン、筒状のものから外れた円盤だけであった。元のキャラクターを知っていただけにこれらを見るだけでどのように着るのかは、おおよそ検討がついた。
自分がこれを着た状態を想像するだけで尋常ではない羞恥心がこみあげてきた。

(怖い)
未知のものへの恐怖と自分がいなくなってしまうような恐怖を感じた。

(本当に俺は、これを着るのか…頭の中は、逃げたいと自我が訴え続ける)

「まあ、とりあえず、これ見ても分からないと思うので私の方で指示を出すのでその通りにやってみましょう。今回は中に入る練習だけなので専用のズボンは、はかないで大丈夫です。」

そう言い残すと、着ぐるみが置いてあるスペースに歩き出し、一番大きな本体の部分を手に取り、俺の前にそっと丁寧に置いた。

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