同じ数だけの呪文
アルというマンガサービスでライターとして活動しています。midori(みどり)です。
以前、あまりにも仕事が辛く、落ち込んでいた時にTwitterのフォロワーの方におすすめしていただいた本がある。
木皿泉さんの『昨夜のカレー、明日のパン』だ。
この本のあらすじや感想などは今回省略するが、登場人物のギフとテツコの会話の中にひときわ印象的な台詞がある。その時のわたしの心を軽くしてくれたような気がして、自分が囚われているものはないか?と今一度自分自身に問いただす余裕の必要性を思い出させてくれた。
人は沢山のものに囚われて生きているという。囚われていると書くと、なんだかマイナスなイメージが付きまとうので好きではないのだけれど。とにかく、人の思い込みは案外強いということを自覚しなければいけないのかもしれない。
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例えば、わたしはお金に関するコンプレックスが強く、その時期は長く続いた。とにかく人生で一番大事なものはお金だと思っていたし、一人で生きていくにしろ、子供を産み育てるのも、とにかくお金があってこそだという価値観は揺るがなかった。
あとは、多くの人がいま勤めている会社を辞めて転職したいという思いと、今の会社に残った方が良いのか、という永遠のサラリーマンの問いに頭を悩まされていることと思う。
いま付き合っている人や結婚している相手との関係をこの先どうするかに悩む人もきっと多いだろう。
恋愛や仕事、お金、人付き合いなど自分を取り巻くたくさんの状況の中で、今いる場所から違う場所に歩き出したいと思ってしまったら、わたしはもう動いてみる方が正解なのではないか。と『昨日のカレー、明日のパン』の一説を読んでから感じるようになった。
たいてい自分の後ろ髪を引かれる出来事にぶつかったとき、その後ろ髪を引いているのは自分自身だったりすることが多い。逃げられない呪文は自己暗示なのかもしれない。
「逃げられないようにする呪文があるなら、それを解き放つ呪文も、この世には同じ数だけあると思う」という言葉は自分を俯瞰して考えてあげなければきっと自分自身にかけることは難しい。
自分はこれで幸せだ、これで満足している、これが最善だ。と本当ではないのにそう信じ込んでいる状態では、解放の呪文は自分の耳には届かない。第三者の目で自分を見ることを努々忘れないようにしたい。
もちろん「今」が自分にとって正解の場合もあるだろう。そこが人生の難しい所だなぁと思う。でもきっといまが正解の道ならば、たとえ寄り道したとしても、アップデートした状態で同じような状況に立ち戻ってこれるのではないかと信じている。