映画「花腐し」を観て Cry me a riverを想う(ネタバレ)
荒井晴彦監督作品「花腐し」を鑑賞しました。
以下、内容にしっかり触れますのでご注意ください。
作品鑑賞後から、ずっと花腐しの事ばかりを考えていて頭の中では延々と「さよならの向こう側」が流れ続けている。
頭の中でぐるぐる考察しているとふと
Julie London の Cry me a river(1995)が頭の中に流れてきた。
祥子はどんな気持ちで死んでいったのだろう…
作品鑑賞後はしばらく気持ちが落ち込んでいたが、この曲が祥子にフィットする気がして、彼女の感情がこの曲の歌詞のようなものだったらいいなと思えるようになり少し救われた。
祥子のターンが来たのかなと。
作品終盤、白いワンピースを纏って現れた祥子の表情は哀しそうなものではなく、穏やかで落ち着いていて、また少しいたずらっぽく見えた。
そのいたずらっぽさが、Cry me~で歌われるような一段上から男性を見降ろす気丈な女性像と重なり、恨み節のような歌詞と甘い慕情のある歌声、ローファイな音色が花腐しの世界観にもマッチすると感じた。
(上のYoutube動画は対訳付き。とても艶やかで素敵な楽曲です。)
伊関といた頃の強い祥子ならば、
「私が死んで悲しい?遅いよ。私のために泣いてよ」と言えそうな気がする。
向日葵のようにピンと咲いていた彼女は、時を経てじわじわと弱り腐り、死んでしまった。
家族はいらないと言い放つ栩谷にも立ち向かわなかった。
死んでしまった後には、あの気丈な彼女に戻って
栩谷にはっきり言ってほしい。
今度があるならば、栩谷はごめんと謝ってそっと祥子を抱きしめてくれただろう。
書き換えられたシナリオを見て、祥子は微笑んでくれたのだろうか。
栩谷の宝石のような涙の雫がキリキリと胸に刺さった。
もう彼女を抱きしめてやることは出来ない。
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エンドロール後のカラオケのシーンは、始めは少し可笑しくてクスっと笑ってしまったのに、気が付いたら泣いていた。
どんな愛の言葉よりも祥子への想いを感じたし、栩谷の魂が震えるのを見た気がした。
可笑しいような愛しいような…でも結末を知っているからこそ、あのシーンは悲しく嬉しい。
色んな感情が湧き出てきて呆気に取られたまま、劇場を後にした。
桑山の本に灰皿を置くなど、桑山との密かな攻防を見つけた時はグッと来て、更に栩谷を愛しく思った。
映画そのものはもちろん、映画を見る前の緊張感、観た後の感情の揺さぶられ、めぐる思考、全てが映画の醍醐味だなと再確認させてくれたこの作品。
また、忘れられない1作と出会うことが出来てとても嬉しい。
伊関は本当に存在していたのかとか、まだまだ考察や感想が溢れてくるけれど、一旦この辺でおしまい。
ここまで読んでいただきありがとうございました。