「いつもの空いつもの帰り道に見つけた特別な時間と色」
「私の情熱… 母であり、女性であり、自分自身(歌う人)である事で、この世界に溶けこみ、 ”今” を感じ羽ばたきたいのです。」
昨日は駅までの道を歩いて帰ってみました。
週に4,5日は娘の送り迎えで2往復する道です。東海道線をまたぐ陸橋を渡り、駅へ向かったり家へ帰ったりしています。1か月ほど前から陸橋の上で感じていたことがありました。
「遠くに見える雲が美しい。」
車では一瞬しか見えないので歩いて帰りたい、そう思ったのです。
一昨日いつものように娘を送り、そのまま車で古い友人に会いに行こうと思っていました。私と長女の間には
「お互いに何か重要な課題を学ぶプロセス」
が用意されているようで、本当に難しい関係が長年続いています。その朝も二人にとって、お互いを傷つけあう事態になり、心が折れてしまった私は
「だから一緒に暮らしたくない!私がでていく!」
と叫んでしまいました。辛い時に自分を守るために培った
「感情を無視し、忍耐するくせ」
を直し始めた私は、我慢しない=(イコール)
「自分の傷ついた心を直視し、味わう」
という事をあえてしているので、時にコントロール不可能になってしまいます。それでも自分の感じているものを歪曲させないで自分の中で抱きしめることが今の私には必要だと感じています。
その結果、私は車を駅において電車で出かける事にしました。そして心が折れてしまった事、それを癒す必要がある事を理由に
「お休み」
を頂くことにし、私自身としての大切な時間をたっぷりとる事にし、1日家に帰りませんでした。
この「お休み」は末っ子に対して伝えた
「お母さん休み」
の事です。我が家では長女と私の間の「プロセス」は全員が理解をしてくれていて(一緒に暮らせば嫌でもみえてしまうので)私がSOSを出す時はかなり辛い時であるとの認識がされます。ただ、末っ子に対してだけは、
「そばにいなくてごめんね」と「愛してる」を伝えたかったので。
そして有難い事に、末っ子はそれを理解してくれるほど許容範囲が広い。
長女はその日LINEで色々文句を言ってきていたのだけど、私はママというのは役割であって私の名前ではない事、尊重されない事が辛い事を伝えると、
「ごめんなさい」
を伝えてきました。我慢して相手の思い通りの自分を演じると、その場は丸く収まるのですが、こちらにも恨み辛みが発生します。なので最近はあなたの思う人にはなれないよ、と伝えるようにし、私の中の恨み辛みは手放しています。
「サイテーなママ」
でいいよって。(笑)
夕方、ゆっくり電車で帰りながらいつもの本を適当に開くとそこには
「インナーボディーのさらに奥にはいるためには瞑想が効果的です。」
とかいてあります。ぽつりぽつりとしか乗客のいない車両の中で、ガイダンスに従って呼吸に意識したり、インナーボディーのエネルギーを感じたり…
若いころの海外生活で”大麻” やら ”マジックマッシュルーム” やら ”LSD" でサイケデリック体験を ”真面目” にしていた私はイメージするのが大好き…
「それから目を開けます。周囲を数分間見渡しながら、インナーボディーを意識します。すぐには思考活動をしないでください。」
その通り目を開き…周囲を数分間見渡します。夕日の優しい光が車両全体を包み込み、視界には誰もいなくて、外には夕焼け前の淡いオレンジ色の田畑が広がっている。私と世界はかすかに繋がっていて境界線がじんわりとにじんでいるような感覚。美しい。黄昏の魔法のような世界。
電車を降りてもそのままの感じが消えないのでバスにのるのはもったいない気がして歩く事にしました。
そしていつも車で渡る陸橋からの景色はとてもとても美しかったのです。
「喜びも悲しみもイリュージョン…それならどうせなら甘くてHappyなイリュージョンに変えて…」私のバンドのテーマソングでもある
"in my flowerbed"
の歌詞です。これは私の人生のテーマでもあります。
flowerbed.earthの曲を聴きながら歩く道のりはすべてが美しく輝いていました。
flowerbed.earth (フラワーベッド・アース)私のバンドです。
これから、日々の中に現れる小さな輝きを見つけて少しずつシェアできればと思います。
読んで下さりありがとうございました。
Midori