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家にずっと居たもので

「この家、ほんと、ゴミ屋敷だよね」
 姉が呟いた。
 独り言のようだけれど、あれは、絶対に私に、聞かせたいのだ。
 分かってるよ。だけど、時間がないの。
 これを声に出したら、ケンカになるのが目に見えている。聞こえなかった振りをして、やり過ごすのはいつもの事だ。
 五歳年上の姉は、うちから電車で三十分ほどの所に住んでいる。いわゆる、独身貴族だ。私の子供達に会いたくて、しばしば、うちを訪れる。
 ゴミ屋敷呼ばわりされるのも仕方がない。リビングルームを見渡すと、取り込んでそのままの洗濯物の山が二つ。ソファーの上には、旦那が脱ぎ捨てたスーツ、シャツ、ネクタイが順番に。子供達の通学鞄、体操着袋、ランドセルが、乱雑に床に転がっている。
 もともと片付けは苦手だが、三人の子育てをしながらフルタイムで働いて来たので、片付けというのは二の次、三の次となっていた。さらに、加齢の拍車もかかり、四十の大台に乗った途端、もはやしない、いやできなくなっていた。
 毎日、毎日、時間との闘いだが、戦う気力、体力もなくなってきている。
 高校二年生の長男が、小学校に入学するタイミングで、三DKの新築マンションを購入した。都心へ電車通勤で一時間半の郊外に建ってる。    駅前に行けば、二十三時まで営業しているスーパー、ドラックストア、小規模だが商店街まであり、生活に困ることはない。
 一番の決め手は、小学校まで徒歩三分だったことだ。なんせ、三人の子供達が長い年月通うのだから。近いに越ことはない。
 それまでは専業主婦だったが、これを機に仕事を探すことにした。マンションの三十五年ローンは、旦那の稼ぎだけでは破綻するらしい。
 マンションの購入の際に、オプションで相談したのだ。ファイナンシャルプランナーの中年女性に、ぴしゃりと言われたのも大きい。
 子持の三十女を、雇ってくれる所などあるのだろうか?
 不安なまま、インターネットで求人広告を見ていた時、図書館のスタッフを募集しているのを発見した。司書資格が無くても、働けるとの事だ。どうやら、派遣のようなシステムみたいだ。
 平凡な私の、唯一の趣味が読書だった。子育て中も、本を読んでいる時だけが、自分に戻れる貴重な時間だったのだ。大好きな本に囲まれて仕事ができるなんて、素晴らしいじゃないか!
 早速、履歴書をおくると、二週間後に、面接が決定した。
 面接官が開口一番
「図書館は、体力勝負ですが、その辺は、大丈夫ですか」
 と聞いてきた。
「はいっ、大丈夫です」
と、受かりたい一心の私は、反射的に答えていた。
即答したものの、頭の中は、ハテナでいっぱいだった。
図書館は静かで、のんびりした所じゃないのかしら・・・司書はカウンターに座って、優雅に仕事をしてるようにしか見えなかった。

 無事に採用され、仕事初日、面接官の言葉が身に染みた。
 まさに、体力勝負だったのだ。返却された本を手に、ジャンル別に決められた場所へ戻す。本棚の間を行ったり来たり。一日中立ちっぱなしだ。足は棒のようになり、本を抱えていた腕は、パンパンだ。
 翌日の朝、全身筋肉痛で、ベッドから起き上がるのにひと苦労したのを、十年たった今でもはっきりと覚えている。
 子育てをしながらの、フルタイム勤務は、思っていた以上に忙しかった。だけど、家庭のイライラが、職場で大好きな本に囲まれていると、スーと消えていくのだ。立ちっぱなしの仕事も、最初の一ヶ月を過ぎると、身体が慣れて、当たり前になって来た。
 仕事をし始めて分かった。専業主婦で、一日中子供達と向き合う生活は、私には向いてないのだった。休みの日は、家族で出かけてしまえば、部屋の片付けもしないで済んだ。そうやって、家はゴミ屋敷と化し、子供達は高校生、中学生、小学生となった。
 このまま子供達を育て上げ、退職したら、夫と二人で断捨離でもしよう。その頃には、時間もたっぷりあるだろうし、もう子供達も独立していないだろう。それが、私の思い描いた人生だった。

 ところが今年の二月、不穏なニュースが入ってきた。感染力の強い新型のウイルスで、中国では死者が急激に増えているという。しかも、年齢が上がるにつれ、死亡率が上がるというではないか。
 職場で、還暦越えのスタッフ達が、
「私たち、罹ったら、死んじゃうね」
 と冗談半分で、休憩時間にお喋りしていた。
 一ヶ月後、このウイルスは世界に広まり、いよいよ東京もロックダウンかという噂が流れた。テレビを付ければ、新型ウイルスのニュースばかり。都内では、マスクが売り切れ始めた。
 もともとのんきな性格ゆえ、どこか他人事と思っていたが、うちの近所の小さいドラックストアでマスクが売り切れていた時、初めて不安を感じた。もしかしてこれは・・・。
 それは、たんなる流行り風ではない、私の人生を揺るがす大事件だったのだ。









 





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