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家にずっと居たもので ②突然の投獄

 職場である図書館の休憩室は十畳ほどの部屋で、大きい窓があるものの西に向いてるせいか、なんとなくいつもどんよりとしている。よくある会議室用の茶色い折り畳みテーブルが四つ、向い合せに並べられているだけだ。
 椅子も同様折り畳み椅子で、座り心地はけっして良くない。持参の弁当を食べ終わり、おやつのプリンを食べようかと、スプーンを探していた時だった。
「入院してたの最近でしたよね。もう、死んじゃったみたいですよ」
 隣に座っていた、去年の春に新卒で入ってきた女子スタッフが話しかけてきた。
 日本人なら誰もが知るお笑いタレント西村けんが、新型ウイルスにより亡くなったとヤフーニュースのトップになっているようだった。
「えっ。嘘でしょー」
 自分でも、びっくりする位大きな声が出てしまった。
 正面に座っていた主任が、
「しっ」
 人差し指を唇にあてて、渋い顔をしている。
 そうだっだ。隣の館長室に、まだお客様が居るのだ。

「それで、いつ亡くなったの」
 声を落として聞いてみた。
「今日ですよ。七〇歳ですって。案外、年取ってたんですね」
「七〇は、まだ、若いわよ」
 私は、やんわりと反論した。
 主任も、首を縦に細かく振った。年齢的に、感情移入をしているようだった。老眼鏡を掛けているし、白髪の交じり具合からして、還暦も近いのだろう。

 その夜のテレビは、西村けんの訃報一色だった。長年の喫煙で肺が壊れていたのも、要因の一つだとアナウンサーが残念そうに伝えていた。
 ダイニングテーブルで缶ビールを飲みながら、ちまちまと夕飯の残り物をつついているパジャマ姿の夫・祐樹に、
「ほら、やっぱり。たばこは良くないってよ。吸うのやめたら」
 と言うと、
「うーん。そうだね」
 と生返事。二、三日で一箱のペースだったら、吸わなくても平気だろうといつも思う。
 仕事がシステムエンジニアで一日中座りっぱなしの上、晩酌のビールも毎日欠かさない。
 家のローンを考えて、一日三本までしか飲ませない事にしているのだが。
 祐樹は、三月に入ると同時にリモートワークになった。家に居るのをいい事に、お菓子をつまみながら仕事をしているようだ。子供用に買い置くおやつが、ものすごい勢いで減っている。
 元々ポチャリだった祐樹の体重は、大台の一〇〇キロに到達しているのではないかと思われるほどだ。
「しかし、シャレんなんないよな、我々日本人にとってはさ。コロリなんて名前のウイルス」
「だよね・・・」
 非常に感染力が強く、高齢の者、持病がある者あっという間に持ってかれるコロリの流行以前、祐樹は小学生の娘の子供会に参加をしていた。春は芋掘り、夏は山登り、冬はスキーにと、娘と一緒に楽しんでいたのだ。
 それが、このシャレんなんない名前の伝染病のおかげで全ての行事が中止になり、もともと運動嫌いの祐樹は、身体を動かす機会がゼロになった。
「そんなんじゃ、未祐がお嫁に行く前に死んじゃうよ。未祐の花嫁姿見たくないの?」
「へへへ。大丈夫だって」
 まったく暖簾に腕押し、糠に釘とはこのことだ。私が真剣に心配しているのに・・・

 四月に入り、ついに首相が緊急事態宣言を発令した。それを受け図書館も、翌日からの閉館通知が、あちらこちらに張り出された。
 と同時に、これを見た利用者がカウンターに殺到した。
 予約本を受取りに来た人、貸出上限の二十冊をまとめて借り出す人やらで、行列がいつまでも続いた。
「皆さんも、身体にお気を付けて」
 と丁寧に頭を下げて立ち去るご老人がいる一方で
「何で、図書館閉まっちゃうの?」
 と今更ながら、質問してくるおばさんもいた。
 この日ばかりは終礼があり、館長が重々しく言った。
「皆さん、明日からお休みになります。くれぐれも、不要不急の外出以外はしないように気を引き締めてお休み下さい」

 私は、突然の自宅待機となった。子供たちの学校も、休校になった。私と夫と三人の子供達、あの狭いマンションに閉じ込められるのか。
 国は接触感染を防ぐため、三つの密、「密閉」、「密集」、「密接」を避けろと提唱しているが、これこそホントの「三密」ではないか⁉
 それは私にとって「家庭」という牢屋に閉じ込められることを意味していた。



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