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夏を感じさせる柳家さん喬さんの「船徳」

 大手町・日経ホールで開かれた大手町落語会。コロナ禍においては入場数を減らし、マスク着用で行われたこともありました。今回はマスク着用については個人に委ねられていました。
 会場を見渡すと、ホールは満席。今回で80回を迎えます。全体的に年齢層は高めのようで、自分が座った周りはご高齢の方が多かったのでマスクを着用しました(とはいえ、そのあと見渡すとマスクをしておらず、ずっとつけていると息苦しくなってきてマスクを外したのですが)。


コロナの影響から生まれた落語の難しさ

 前座の入船亭扇ぱいさんは「扇ぱい」という名前を聞いただけでちょっと笑ってしまいます。
 以前もこの会で前座を務めておられたのですが、扇ぱいさんは元NHKアナウンサーだったということで前座さんの中では声の良さは抜群です。
 続いて立川吉笑さんは新作落語を披露。初めて聴く噺家さん。
 二つ目の吉笑さんは20歳のときに京都から上京後、いろいろなことを経てその後談笑さんに弟子入りしたようです。出身である関西弁(正確に言うと京都弁)を巧みに落語に取り入れていました。疫病にかかってしまった丁稚を見舞いに行った主人と番頭。丁稚本人は「大丈夫だ」と言いますが、実際には疫病にかかっていました。その疫病は症状が現れると、話す言葉が関西弁になるというもの。吉笑さんは標準語と関西弁のイントネーションや言葉を巧みに操ります。
 コロナが広がり始めた状況を思い出させる設定で関西弁を揶揄するわけではありませんがやや微妙なところがあり、ギリギリの線といいましょうか、いちおう笑いに変えていました。
 マクラで東出昌大さんと春風亭一之輔さんが出演していたNHK「落語ディーバ―」に吉笑さんが出たとき、言葉の本来の意味とは違う使い方をしたということでコアなファンからお叱り?のメールが届いたエピソードや、無意識にイントネーションが時々関西弁になることで指摘を受けるということを語ったあと、うまく本題に繋げたのは自然な流れだったかもしれません。
 とはいえ、吉笑さんには申し訳ないのですが、演目は「COVID-19」にかけたのでしょうが、演目の「小人」という言葉自体が、言葉狩りではないですが、差別的な扱いとして受け止められるケースがある場合、慎重に取り扱ったほうがいい言葉なので気になりました。
 関西人の私は疫病=関西弁になる展開をそれほど気に留めずに普通に笑っていましたが、内容も聴く人によっては関西弁を揶揄した噺として受け止められかねない危うさを少し感じました。

 ご本人のサイトのプロフィールには「古典落語的世界観の中で、現代的なコントやギャグ漫画に近い笑いの感覚を表現する『擬古典<ギコテン>』という手法を得意とする」と書かれてあります。
 
 よく練られた噺ではありましたが、関西弁をダシにしたこの演目は落語だからいいじゃないか、ということではなく、それなりに慎重を要したほうがいい気がしました。少なくともこれまで吉笑さんが作ってこられたものとは異なるネタだと思います。
 真打ちを目指して精力的に取り組まれておられるからこそ、今後、私のような初めて聴くお客が増えるなか、より幅広い世代や考え方を持つ方々を意識したものが求められることでしょう。
 ご本人はあらゆることを考えて取り組んでおられるのでしょうし、あくまでも個人的な感想です。

誰も傷つけない新作落語を演じた馬るこさん

 古典落語が年齢や芸歴によって味わいが異なるところを楽しむのが魅力の一つといえば、新作落語は噺家さんや落語作家さんの視点や持ち味を楽しむもののように思います。

 鈴々舎馬るこさんの新作落語「糖質制限初天神」は「初天神」をベースにした、笑いが絶えない噺でした。
 マクラでは、BS日テレの「笑点 特大号」で共演していた桂宮治さんが「笑点」に“昇格”したことを持ち出して「裏切り者」と呼び、春風亭一之輔さんにかんしては突如現れた存在ゆえにこれまた毒を吐いて場内を笑わせる馬るこさん。

「初天神」では、賢い息子が父親をうまく言いくるめて境内の露店のだんごを食すまでがユニークに演じられますが、この新作は糖質制限を試みている父親が娘と天神さんに出かけていって禁断のだんごを口にするまでの葛藤や食べた後での展開などをコミカルに見せてくれます。
 可愛らしいお父さんが憎めない、真打ちらしい新作落語です。

演目は当日のネタだしなので、このメンバーの落語会は見もの

ベテラン勢は余裕の高座

 仲入り前は柳家喬太郎さんです。高座に上がった際、相変わらずひざの調子が悪いようで見台を用意して臨みます。上方落語では見慣れた見台ですが、こちらでは使われません。照れ隠しなのか喬太郎さんが見台をイジったあと、上方の噺家さんたちに知られたら困る、と笑っておられました。イジるといえば、「大学名が言えなくて」と、ご本人の出身大学のアメフトの不祥事をほのめかしたマクラでした。

「ここまでまともな落語をやっていたのは前座さんだけで……」と笑いを誘う喬太郎さん。毎年、夏のこの落語会では師匠のさん喬さんと一緒に出ることが多いらしく、自身の役割は新作落語をやることを求められていると認識していたそうです。ところが今回は新作が2作も続きましたので古典にされたようです。
 先々月に聴いた落語会では新作でしたので、個人的には古典を聴けるのが嬉しい限り。
 過去にほかの会で喬太郎さんの「花筏」を聴いているのですが、相変わらずの安定感でした。

「人間国宝」についてのマクラを期待したけれど

 仲入り後は桃月庵白酒さん。マクラは子どもと屋久島に行った出来事でした。途中、師匠の五街道雲助さんに触れそうになったのですが、雲助さんの人間国宝に対するイジリはありませんでした。
 雲助さんと同期にあたる柳家さん喬さんを慮って敢えて言わなかったのでしょうか。白酒さんのことだから師匠の人間国宝を喜びつつもちょっと毒のある言葉を吐いてくれるかなと思ったのですが。
 白酒さんの明るい、勢いのある声を聴きながら太鼓持ちの悲哀を感じさせられました。

トリは言わずもがなの素晴らしさ

 待ってました! とトリを務めるさん喬さん。
 この方が高座に上がるとその場の空気も変わった気がします。「江戸」を感じるといいましょうか、佇んでいるだけで「粋」を感じさせます。

 先々月の「COREDO落語会」で白酒さんの「船徳」を聴いたのですが、白酒さんが演じる若旦那は、無茶なことをやる元気な船頭で若さを感じる面白さがありました。一方、さん喬さんが演じる若旦那はいいところのボンボンで芸者遊びもたしなんでいる色男を感じさせる船頭です。
 親に勘当されて馴染みの船宿に居候させてもらった若旦那が、当時は船頭といえばいなせだっただけに自分もその中の一人になろうとするのだから周囲はたまったものではありません。
 それからしばらく経ちますが、人を乗せて船を運行するにはまだまだ修行が必要である若旦那。そんなときに、人手が足りないときに常連さんがやってきて船に乗せてほしいと言い、たまたまそこにいた若旦那を見つけて船を出すように女将さんに命じます。
 夏の噺としてよく高座にかけられる「船徳」ですが、さん喬さんが演じると船宿の周辺から船に乗って進んでいく周りの情景が浮かび上がってくるようです。 
 さらに危なっかしく舟を漕ぐ若旦那の船頭とお客とのやり取りを、滑稽噺を得意とするさん喬さんが演じ分け、会場内に笑いが響きます。
 
 また、船に乗ることを嫌がっていたお客の一人が、この若旦那のとんでもない舵取りに翻弄されて嘔吐しそうな場面は、自分が一緒に船に乗っているような気分になりました。

 なんとか船は大桟橋の近くまでやってきたものの、若旦那は疲労困憊で舟を着けることができません。仕方なくお客はもう一人をおぶって、川の中を歩いて岸にたどりつくまでの過程では、さん喬さんが川底は浅いと思って一歩足を踏み入れたら思っていた以上に深く、首のところまで水が浸かる様子をコミカルに見せてくれました。

 夏らしい一席でした。

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