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しあわせ

ある日、図書館で1冊の本と出会った。

おしんー奉公編ー

何気なく手に取ったその本は、脚本で、ほんとだったら本になってなかったものらしく、書き方も、場面や状況を細かく書き込まれたもので、ほとんどがセリフで書かれていた。

ふーん?

これって、昔朝ドラでやってたやつだよね?

パラパラって見るくらいなら……。



気がつけば9時間経っている。

お昼も食べずに、ずっと貪るように読んでいて……。

え!?
あんなに分厚かった本も、残り数ページ。


大根めし

今はなんでもある時代。
ご飯も、ものも十分にあってとても豊かな生活なのに

おしんの時代はそうじゃない。
米を作る小作だったにも関わらず、米が足りなくて、大根を米粒大に切って入れてかさましした(大根8:米2 ほぼ大根の)大根めしを食べている。

まずそう……。

その大根めしでさえ、自分が腹一杯食べれば、誰かがひもじい思いをすることを知る。「おなかいっぱい食べたい!!」それを言えば、父にわがままだと怒られる。母や祖母に、申し訳なくて泣きながらごめんねぇと謝られる。

我慢するしかなかった。


奉公(出稼ぎ)

いよいよ食べるものがなくなると、食べる人数を減らす(口減らし)ために奉公に出される。どれだけ幼かろうが、働けるようになったら、住み込みで働かされる。

前払いとして米俵を受け取ったら、もう帰れない。

奉公に出る子供達は、覚悟を決めて、

「1年働けば、また戻ってこられる。
 みんなのために、おら、がんばる。
 あっちさいけば、うめえもんたくさん食わしてもらえる」

そう言って家族のために、笑って行く。


自分が帰れば、前払いの米俵はまた戻さなくてはいけない。
そうなると、家族は飢えで苦しむことになる。

どれだけのものを背負って生きているのだろう。
自分が悪いわけでもない、親も悪いわけでもない。
ただ、小作に生まれたことだけが不運だった。
そんな状況なのに、文句も言わず、いや、言えなかった。
まだ小さいのに大人にならなきゃいけない。
それが不憫でたまらない。


知らないうちに目頭が熱くなった。


今も同じ?

わがまま放題してきた私には考えられない状況だった。
いろんなところへ不満をぶつけて、心が荒んでいるかもしれない……。
それなのにおしんは……自分が情けなくなった。


おしんのしあわせは、家族と一緒にいること。
奉公に出たおしんは、また母と祖母と一緒に暮らせることを夢見て、一生懸命働く。自分では決めることができない働き先で、ひどい仕打ちに耐えながら、ひどい食事にも耐えながら、ただひたすらがんばる。


おしんはまるで、今の私たちにも通じる何かを周りの人たちから教えてもらって成長しているようだった。

おしんを助けた俊作さんの言葉がしみる。

おしん……お前は、これから何十年も生きなきゃならない……

いろんなことがあるだろう……
いろんな人たちとも触れ合うだろう。
辛いことも苦しいこともあるだろう。
いやな奴だっているだろう。

だがな、決してひとを恨んだり、憎んだり、傷つけたりしてはならんぞ。

ひとを恨んだり、憎んだりすることは、結局、自分がいやな思いをすることになるんだ。ひとを傷つけたら、それは必ず、自分も傷ついて苦しむことになる……。なんでも自分に返ってくるんだ。

ひとを憎んだり恨みたくなったりしたら、憎んだり恨んだりする前に、相手の気持ちになってみる……。

どうして、この人は、自分につらく当たるのだろうか……。
きっと何か理由があるはずだ……。

それに思い当たったら、自分の悪いところをなおす……。

もし、おしんに悪いところもないのに、相手が横車を押すようなことがあったら、相手を責めずに哀れんでやれ。

理由もなくおしんをいじめるような奴は、きっと自分だって不幸な人間に違いないんだ。心の貧しいかわいそうな人間なんだ。そう想って許してやるんだ。わかるか……?


今はわからなくてもいい。ただ、ひとを許せる人間になってほしい。
ひとを愛することが出来たら、きっと人にも愛される人間になれる……。
自分だって、いつも心豊かに生きられるんだ。
それだけは覚えておくんだな。

                        おしんー奉公編ーより


今の時代、ここまでの覚悟を持って、誰も恨まず、誰も憎まず、素直に受け入れている人はいるのだろうか。

そして、ひとを愛せているだろうか、許せているだろうか。


なんでも素直に聞いておけばよかった

小さい頃、おじいちゃん、おばあちゃんから、

「物を大事にしなさい」
「苦労はこうてでもしろ」

の言葉を、ただうるさいなぁ、と聞き流していたけれど、実はその裏には、自分が苦労して苦しかったから、その苦労をさせたくない愛情からかけてくれた言葉だったのかもしれないなぁ。と気付いた。

その時に、おじいちゃんやおばあちゃんが経験したことをもっともっと聞いておけばよかった。どんな気持ちで生きてきたのか。何を幸せと思ってきたのか。家族のためにどれだけのことを我慢してきたのか。

今の言葉で聞かせてほしいと思った。


家族を想う。
誰かからの愛情に気づく。
誰かを愛する。
そして愛される。


幸せは、循環するのかもしれないなぁ。

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