恥ずか死ぬ
恥ずか死ぬ = 恥ずかしくて死ねるくらい悶えること
最近よくこのキーワードが私の中で浮かび上がる
なぜって?
それだけ自分のことが見えていなかったということ
どういう時にこの恥ずか死ぬほど悶えるのか
それは、
私がとった行動や言動を他人が同じようにやっているのを見たとき
まるで、自分を写す鏡のように、
他人の姿を見ていると自分のやっていることの恥ずかしさに気づく
その人を批判しているわけじゃない
「何やってんだろうこの人???
・・・はっ!おんなじこと私もやっているやん・・・」
それに気付いた時の恥ずかしさといったら😱
不思議なことに、気付いた瞬間、行動を分析できている自分に驚いた
・自分ってちっっっさ(小さい)
・相手も同じ気持ちだったかもしれない
・自分しか見ていないな
・直したい
感情で動くタイプの私は、
何かあっても相手のせい、自分は悪くないと思い込んでいた
だから、分析をして恥ずか死ぬ思いをしていることが、
一つの成長なのかもしれないと思えた
昔の人も同じ感情を持ったのかなぁ
だから教えとして、残してくれているのかもしれない
人のふり見て我がふり直せ
なぁんだ
昔も今も感じることは同じなのかもしれない
そう思うと少しホッとする
みんな辿ってきた道なんだろうなぁ
思い出しただけでも ああああーーーーー
恥ずか死ぬ時ってほんとにあぁーーっってなる
だけど、それがまた楽しい
なんだか笑えてくる
それでいいんだってやっと思えた
それを人に言える
それってちょっぴり自分が楽になるおまじないかもしれない
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