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報告/「語り継ぐということ」連続対話会第5回

トオラスのさわです。

2022年10月15日から1泊2日で開催した、
広島県の大久野島へのスタディツアー。

非常に学び多き旅で、
ツアーに参加しなかった方も巻き込んで、
対話会を継続しています。

今回はその5回目。
ご報告が遅くなったことをお詫びいたします。

対話会のテーマ

第5回のテーマは、「語り継ぐということ」。

ツアーのフィールドワークでは、「大久野島から平和と戦争を考える会」の
山内さんに、島を一周あるきながら案内していただきました。

感情に流されず、なんらかの特定の「立場」に偏ることなく、
「史実」を、忠実に、正確に、淡々と伝えようとする山内さんの姿勢は、
なにかを「語り継ぐ」ときのお手本になるようなご案内ぶりで、私たちは驚嘆しました。


時代とともに薄れていく「語り継ぐべき課題」を、どう語り継ぐのか。
当事者が語るのか、はたまた第三者が語るのか。
「語り」を受け継ぐ者は、どのように語り継いでいけばよいのか。
そもそも、誰が語りを受け継ぐのか?
なんのために語り継ぐのか?

それらを考える時、
私たちが未来に向けてできることとはなんでしょうか?

参加者からのお話し

・この対話会のこれまでの記録がすごかった。詳細に書かれていて、迂闊なことは話せないなとも思った。若者世代が記憶をいかにして継承するかというテーマで発表したことがある。歴史の継承には、①なぜ記録し、継承するのか、②なにを継承するのか、③どのように継承するのかの3本柱がある。
・中国の気球をアメリカが撃ち落としたというニュースがあり、(うさぎ島で作られ)日本が飛ばした気球爆弾のことを思い出した。島国の外にある小さい島は重要なものだし、歴史的にもいろいろなことに利用されてきたんだなと思う。沖縄の無人島を、中国の女性が買ったというニュースもあり、防衛上どうなるのか心配。
・継承するということについては、自分はライターなので、継承するのが役割だと思っているだけど、文字に書いて継承するということだけでは伝わっていかないこともあると感じている。
・テーマの「語り継ぐということ」について、当事者が語り継ぐのか、当事者だから熱を入れて語り継げるのか、逆に当事者だと主観が入るから、第三者が客観的な事実を話すのがいいのか、など、いろいろな考えがあると思うので、そこを深くみんなで話したい。
・福島原発事故の被害者で、12年間ずっと当事者として、裁判でも戦いながら、発信活動も続けている人の話を聞いた。福島県内でチラシを配っていたら、チラシを受け取って読んだ女子高生が、「いつまでこんなことやってるんですか。こんなことは忘れて、前をみて、これからの話がしたい」と真剣に思いをぶつけてきたと。いろんな思いがわいたし、たくさんのことを考えたと教えてくれた。今日のテーマにもつながる話。語り継ぐべき、忘れてはならないものがある一方で、忘れたい、忘れて未来のことだけ考えたいっていう素直な気持ちもある。1人のなかにも両方あるかもしれない。また、意図的に、消そうとする力/立場みたいなのもある。「うさぎ化」のように。そのあたりから話していきたい。
・精神病になった人たちのインタビューをしたことがあるが、2通りの人がいる。回復したあと、もう2度と思い出したくない、話したくないという人と、回復したからこそ、回復のことや薬害の実態を話したいという人。はっきり2種類に分かれる。過酷な経験を人がどう処理していくかというとき、どんな体験でも似ているのかも。忘れていきたい人たちは、それではないなにか別のものに向かっていきたいという気持ちがある人たち。もう一度働きたい、とか。そういう人は忘れたい。とどまることを選ぶひとは、向かっていくものが見つからない人だったりする。他のことがない。それが悪いとかじゃなくて、元に戻れるかどうかも大きく関係している。元に戻れる人は、とどまらずに戻っていくような気がする。インタビューする側の立ち位置からは、ちょっと冷たいような感じもするし、おいていかれたような感じがする。うさぎ島でガイドしてくだった方も、現役のときは社会の先生で、定年退職されたあとで、伝えることに戻ってコミットしているという意味では、目の前にやらなければならないことがあるかないかによって、優先順位がいれかわるのかもしれない。
・伝える人がいれかわるのかもしれない。伝えるかどうかは個人が選択している。伝えることの主体を個人として考え始めたけど、集団のなかで、だれかが伝える役割を担い続けていくこと、と考えられるかも。
・戦後補償問題全体に言えるが、重大な人権侵害については時効がないというのが国際法の原則。それなのに、戦後二国間の条約で請求権を放棄するなど、国家間で一括処理という形で、個人の人権侵害に関する賠償をしないと決めてしまい、戦争被害を受けた個人が取り残されてきたのが戦後の歴史。それに対して90年代から声があがり、裁判がされるようになった。背景に、個人の人権を守るための運動が盛り上がってきたという流れがある。
中帰連(中国帰還者連絡会)という団体がある。中国の撫順戦犯管理所に戦争犯罪人として抑留された旧日本軍の軍人が、帰国後に結成した団体。収容中、中国は元軍人たちを人道的に扱い、軍人たちは4年目くらいから自主的に自分の罪を認め始めたと言われている。彼らが帰ってきて、日中平和友好のための運動をしていた。中国で洗脳されたと言われ、仕事もなく、帰還者連絡会をつくった。(2002年に)名称を変更(「撫順の奇蹟を受け継ぐ会」)して、世代交代した。その会主催のオンラインの講演会に参加し、運動を頑張っている方々の生生しい話がたくさん聞けてよかったが、最後の結論を、日中友好という形で落とし込んでしまう。日本軍「慰安婦」問題という性暴力の問題をやってきた人間からすると、それではダメだと思う。田中角栄と周恩来が条約を結んだことで、解決済みということにした。賠償請求権を放棄することを宣言してしまったために、被害者たちは、その後長い間、半世紀以上にわたって、苦渋に満ちた生活をせざるをえなかった。国どうしの勝手な条約のせいで、国によって個人の人権が阻まれている。戦争性暴力は戦争被害のなかでも記録されないし、スティグマと恥の観念を負わされて、被害が見えにくいという性質があり、事実が見えにくくされている。日本軍「慰安婦」も、村の恥・民族の恥とされ、被害を打ち明けることもできず、村を離れて誰も知らないところで過ごすしかなかった人もいる。中国側の記録を日本の研究者が調べると、抵抗して殺されてしまった女性は「烈女(節操をかたく守る女子の意味)」として記録に残っているが、被害を受けた人の記録、被害の実態は全然残っていない。なぜ記録を継承するのかという理由については、重大な人権侵害に対する正義の回復のためだと思っている。
・戦争性暴力について、個人としての恥だけではなく、民族としての恥として扱うのは、中国でとりわけ強いというわけではない。日本でも、自分が育った里に戻れないという話もあるし、東南アジアでも、日本軍の子供を産んだりしたら、迫害され、すごいスティグマを負わされるような状況は、どこの国でも同じだったろう。日本でも口をつぐんで、運動にはならなかった。社会の目を気にして実名と顔をだして証言することに抵抗を覚えるのは、どの国でも同じだが、韓国などでは、女性の人権問題が慰安婦問題とは別に盛り上がっていた。そのように被害者の声をうけとめる受け皿があって、被害者が声をあげやすくなったというのがある。日本の場合は、そういう受け皿がなかった。アジア諸国は被害国だから訴えやすいというのもあったかもしれない。「従軍慰安婦110番」というホットラインが開設されたこともある。日本国内にあった慰安所について、軍人の証言や日本人の被害者の証言もあるが、みな名前は出さない。実名を出しているひとはひとりくらい。
川田文子さんというノンフィクション作家が、ホットラインで電話を3日間待っていた。千葉の茂原に慰安所があったのをご存知か?という電話がかかってきた。そういう被害に遭われたんですか?ってきいたら、長い沈黙のあと、相手はそうだ、と答えた。川田さんは、直接話を聴かせ欲しいとやりとりし、茂原に会いに行って話をきいたということが本に書いてあった。家族のことなどもあるので、実名がわからないような形で答えてくれたらしい。そのような形で、被害を打ち明けられなかった女性がたくさんいるのは間違いない。
・さきほどの、2種類の人がいるという話で、当事者のなかに2種類いるということとは別に、第三者が語り継ぐのかというところまで考えたい。2種類いていいと思っている。語り継ぐことを強要したり、逆に語り継ぐことを否定したり、互いに強要があってはならない。
・チラシを受け取った女子高生の「いつまでこんなことやってるんですか」という言葉は、一方的で暴力的だと思う。
・暴力的かどうかはわからないのでは?たとえば家族をなくしてとてつもなくつらい思いをしていたりしたら、おもわず溢れてしまうこともあるのではないか。一概には言えないし、このことだけでは判断できないのでは。
・逆に、いま女子高生なら、12年前がほとんど記憶になくて、「こんなこと」と感じている場合もあるかもしれない。どんなに小さくてもものすごい痛みということもあるかもしれないし、思い出されるのがあまりにつらいということもあるかもしれない。一方的な暴力とは限らないと思う。
・語り継ぐとき、事実だけを伝えるんじゃなくて、自分がどんなきっかけでそれに出会ったかという過程の話も込みで話すべきなんじゃないかと思う。そうしないと実感をもって受け止められない。たとえば、日本軍「慰安婦」問題を教える学校は、今の高校にはない。自分はドキュメンタリー映画を見せる大学の授業で知った。当時は、自分がどうやって正しい情報を得たらいいのかわからなかった。こんなにひどい人権侵害が、戦後まったく放置されていたということへの衝撃が強かった。その思いだけ持ち続けていたなか、コロナ禍でオンラインイベントが増え、韓国文学に関心があったので参加していたときに、日本軍「慰安婦」問題に関する「息づかい」という韓国のドキュメンタリーを見た。旧日本軍の「慰安婦」にされた韓国人女性たちが、戦後どう生きてきたのかのロングインタビュー。たくさんの人にインタビューするのではなく、3人くらい、ひとりひとりにしっかりと焦点をあてていた。それがとても良かった。その後、「希望のたね基金」の学生無料の講座で、30年間被害者に寄り添い、運動をやってきた人の具体的な話を聞いたのが大きかった経験。それでこの問題にコミットするようになった。確かに、その問題に関心がない人に興味を強要することはできない。だからといってなにもしないのではなく、情報を発信することは必要。
ドイツ歴史研究者の柳原伸洋さんは、記憶の歴史研究(メモリアルスタディ)をされており、「なにが忘れられているのかが重要」と言っている。ドイツでは、忘却されやすいことを教えるのが歴史教育の役割だとされている。自国の犯したネガティブな歴史や加害行為は、歴史教育で扱わなければならない。事実も知らない、では、再発防止はできない。ドイツでは歴史教育だけではなく、市民の運動団体が情報を発信しつづけている。日本軍「慰安婦」問題は、政府が教科書から削除しようとしている。それには可能な限り抵抗しなければならないと思う。
・日本のもっとも恥ずべきことは、自国の加害を国が率先して隠すっていうことだと思っている。国民のひとりとして恥ずべきことだと思う。ドイツに住んだことはないし、話でしか知らないけど、戦後教育の、戦争の記憶の教育のあり方が全然違うという見聞きだけでもドイツは尊敬に値すると思っている。
・当事者とはだれかということも、大事なこと。その日、その現場にいるいないにかかわらず、当事者に含まれるというか、当事者とニアリーイコールになるという人はたくさんいる。関わりがないように見えても、きっかけがあって慰安婦問題に関わるようになった方のように、私も当事者ではないが原発のことを追いかけている。濃淡色々あって、どこまでを当事者とするかは、限りなく繊細な問題で、繊細に扱うべき事柄のひとつかなと思う。
・以前の対話会で、「国がないことにしようとしてると、まるで悪者のように言っているけど国って自分達でしょ」という意見があったことを思い出した。自分たちなんだけど、少なくとも、私たちは教育を受ける段階では教科書は選べなくて、それに関しては国側の責任があると思う。一方で、大人になった今は、もうなんでも調べればわかるのだから、教育されてません、ではなく、日本人として、調べて、知っていかなきゃいけないと思った。その上で、ただ「知る」ということと、それを「語り継ぐ」というところのあいだには、距離があるような気がする。知ったうえで、どこで話していくかというのはすごく難しい。「なぜ、なにを、どうやって」という3本の柱は、もっと深く考えたいテーマだと思った。
・「語り継ぐ」というとき、「語る」と「継ぐ」の間に階段がある。語ったところで、次の世代は忘れようということになる可能性もある中で、どうやって残していくかというのは語る側で意図できる部分とそうでない部分があると感じた。その一方で、なにを残すのかとか、教育のあり方とかガイドラインは、個人の決断を超えて整った環境を作っていくこともできるし、自分たちの意識の問題かも。
・自分の地元で、伝統文化をどう残すかということにリンクして考えていた。伝統文化の場合は、なおさら、残していくガイドがなく、文章だけで残っていても残っていかない。「うたい」や「かたり」を、楽譜にのこせば、正しく残せるんじゃないかと考えているが、残そうとすることと、それを継ぐというところの、仕組みまでは今まだ自分では追いかけきれていないというのが今日の感想。
・たくさんの想いや言葉がわいている。次に行ける人と行けない人という話が、個人的に心に残っている。自分は阪神大震災の被災者で、当時の家やその近くには一度も行けていない。家という概念があまりなく、その日自分がいる場所が家としか思っていないのは、なぜだろうとか、自分自身のことを思うきっかけをいただいたことを感謝しつつ、その思考がうずまいていたので、発言できなかった。
・今日の対話会で残っているのは、ブログって大事だということ。記録の残し方はいろいろあるけれど、思ったことを書き残しておくことは大事。それぞれの人がそのことに出会うタイミングというのが絶対ある。なにかを調べていて、誰かのブログが出てくることがある。時間差があっても、その2人は出会っていると思う。
・重大な人権侵害に時効がないという話について、時効という考え方をしたことがなかったので新鮮に感じた。いろいろな問題について国家間で決める時、個人の気持ちがおきざりにされ、もうしょうがないと黙ってしまうことがある。国がひとりひとりに、終わりにしていいですかと聞いてない。終わったことですから黙ってください、という感じ。子供の頃、自分が他の子と喧嘩したが、親同士が和解して、もういいのよって言われた。謝り損ねている気がする。子供の気持ちがおきざりだった。
・(会が終わるのが)名残惜しい。話しきれないことがいっぱいあった。以前の
対話会の報告ブログを読み返して、振り返りで勉強がもう一回できる感じがして、記録を残すのは大事なことだと思った。出会いも重要。高尚な理由から、とか、人より意識高い系だから、しているわけではない。具体的ないろいろな出会いがあって、映画や証言、記録物との出会いがあって、能動的な活動になっている。材料になるようなことは、教育現場で教育者の側が提供するのは、教育者の義務ではないか。日本の若者は、韓流は知っているけど、歴史は知らず、韓国の若者とは議論できないとよく言われている。アジアの留学生と日本の大学生が会話しても、日本人は発言できない。それは、教育の中で、そういう話題について話す場がなかったから、経験値を積んでいない、場数を踏んでいないというのが原因。
昨年から「公共」という新しい科目ができて、歴史的な思考力を鍛えるものらしい。自分たちの社会について、責任をもって考えて討議するという良い教科書、考えさせる教材があり、それを元にいろんなディスカッションができるような教材になっている。自分たちの時代には、そういうのはなく、教育も変わってきている。歴史否定論がネットの世界にはあり、猛威をふるっている。当事者、本人だけ、家族だけの問題ではない。社会がそれに対してどういう対応をするのか。他の人に起こることは自分の身にも起こり得ることだと考えて、まさに「公共」の問題、自分が生きている社会が抱えている問題を、構成員として責任をもって関心をもって、学んで、解決策をともにさぐっていく。それは、主権者として義務だと思う。憲法の主権者教育も重要。哲学カフェのような場で、憲法の条文を読むのに参加していておもしろい。ある大学の先生が、陪審員制度の復活を目指す市民運動をしている。自分たちの社会のことは自分たちで責任をもってきめるという運動。そういう意識が希薄になっている世の中。自分の関心のあること、大事だと思う意見を
述べ合い、議論を活性化させて、深めていく機会がもっと増えるといい。1人では継承できない。仲間がいないとできない。今は、あるインタビューの文字起こしをし、注釈つけている途中。本に書いてないことを聞けたりする。地道な調査や記録を残すために調べることも大事。手間がかかる作業なので、分担してやっていかないとできない。日本軍「慰安婦」問題については1−2年しか勉強してないが、韓国で証言集が出ていて、翻訳されており、輪読するワークショップをやっていた。そこにはベテランの活動家がきて、被害者と交流した経験を共有してくれる。そういう出会いの場をもっとつくるべき。経験を持っている人と若い世代が出会う場所をつくるのも大事。Figft for Justiceというサイトがある。「慰安婦」問題について、ネトウヨに対抗し、正しい情報をえられるようにしたもの。有名な歴史学者などと学生が出会って、語り継ぎをおこなっている団体で、これから参加していきたいと考えている。こういう努力には終わりがなく、一生続くんだろうなと思う。これからも頑張っていきたい。


まとめ

戦時中に毒ガスを秘密裏に作り、それを使って
たくさんの人を殺害したり苦しめたという、
私たちが学校教育で知らされてこなかった日本の歴史を学ぶツアーと、
そこからはじまった対話会。

今回の参加者のかたが教えてくださった、
日本軍「慰安婦」問題に関するFigft for Justiceというサイトの
「入門編」を読みかけましたが、
すぐに苦しくなって、続きを読めませんでした。

信じられないようなことだけれど、
これこそが史実なんだと考えると、
胸が詰まりました。

大久野島に限らず、
教育現場で語り継がれてない都合の悪い歴史が、
残念ながら、私たちの日本には、
まだまだたくさんあるのでしょう。

そして、
そんな隠蔽体質はきっと、歴史のみならず、
現在進行形の出来事でも同じなんだろうと、
容易に想像できますね。

真実は驚くほど残酷で、
目を背けたくなるけれど、
見たくないからと目を背けていて痛い目をみるのは
他ならない、私たち自身かもしれない。
そんなことを考えました。

だからきっと「語り継ぐ」のは、
歴史上の誰かのためじゃない。
自分自身のため、
そして、
未来の世代のためにすべきことなんだろうと思います。

次回、第6回の対話会のテーマは
「それぞれのすべきこと」。

第6回は、3月7日です!

第6回対話会のご案内

うさぎ島から考えよう!連続対話会(第6回)のテーマは、
「それぞれのすべきこと」です。
2023年3月7日(火)21:00-22:30 
お申し込みはこちら
https://torus-usagi-after6.peatix.com/

この第6回までに、
大久野島へのツアーメンバーが感じたことからテーマを切り出して、
5回にわたって、じっくりと対話を重ねてきました。

ツアー初日の夜に行われたハイブリッドイベントでは、
「まず知ることが大事だと感じた」「知ることができてよかった」
という感想がたくさん寄せられました。

もちろん、それが第一歩を心から祝福したいのですが、
さて、じゃあ、知った先、その次の一歩、
あなたはなにをしますか?
あなたがすべきことは、なんだと感じていますか?

それに正解・不正解はありません。
それぞれの心にふつふつとわいてくる「なにか」を言葉にできたら素敵ですよね。

私たちそれぞれが、未来に向けてできることとはなんでしょうか?




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