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なんでもいいからとにかく書く日。

今日は、何書いたらいいか分からないという気分である。

だけど何か書きたいから、何か書いてみようと思って書き始めている。

noteも最初はとにかく楽しかったけど、いつの間にか自分で自分に結果を求めるようになって、だんだん手が遠のいてしまったな。

たとえば、比較的たくさんの方が共感してくれたのだなと思う記事があって「ああ、こういうことみんな思っているのだな」と思う。

けどそういう記事ってほんとにさりげなく書いたことだったりして、偶発的にヒットが生まれているわけ。

なのに、次にnoteに向かったとき、少なからずそういう記事をたくさん書かなきゃと思っちゃう。

ああ。なるほど(なんだよ)

そんなこと、思っていたんですね私。

なんておこがましいの。

人が良いって言ってくれるかどうかなんて、出してみないと分からないし、自分が思ったことにたいして誰が何を思うかなんて、私には知りようがないのに。

あほらし。笑

もちろん、読んでくれる人が少しでもいたことは嬉しいことだし、思わぬ共感を得たことだって、本当に本当に嬉しかったからこそ、また同じような記事を書きたい!と思うわけだけど。

ま、そんなものを狙ってできるわけでなく。

私ににできることは、私が書こうと思ったことや、考えていることを書くのみだよね。

ちゃんとそこに回帰するときがきたな。

最近、ジブリ汗まみれを聞いていて、何がそんなに良かったかという話なんだけど。

鈴木さんは、ほんとに正直なんだよね。

そりゃシチュエーションに合わせて言葉を選ぶのはめちゃくちゃ上手だけど、思っていることにウソがない。

基本的にはめちゃポジティブだけど、ネガティブなことを考えたりもした、ということもちゃんと正直に言ってくれる。

そういうのがね、なんか、信じられるんだよね。

だから安心できる。

とかいってね。

実際は、そりゃかなり計算で発言している部分も多いと思うよ。だって全て仕事でやっていることですから。笑

でもね、話の組み立てかたや言葉の選び方は超計算でも、内容には絶対ウソがないんだよね。

矛盾していても、ウソがない。

私にはそれが重要。

人間だから、矛盾は起きる。

けどそれを認めない人って多いじゃない。

鈴木さんはそういう人間らしさを隠さない。

気分で決めたとか、そのときはそう思ったけど間違ってたと今は思うとか。

自分のなかに起きた矛盾とか変化のプロセスをちゃんと説明してくれる。

だから、そういう意味で、ものすごく秩序があるように思うんだよね。

高畑さんや宮崎さんの話をするときもそう。二人の才能に心から感服していると同時に、面倒くさいところがあることも、ぜんぶ話す。

(それを単なる悪口ではなく面白おかしく話せるところが、超才能。)

今の世の中って、思ったことに一貫性があるか、とか、やっていることに根拠があるか、とかそういうことばかり求められがちじゃん。

だけど本来、何を思うかは自然発生的であり、理由なんてないじゃない。

昨日は自然のなかにいるのが最高だなと思っても、今日は都会の夜景を眺めたくなったりするじゃん。

やりたいことだって、理由やきっかけはあっても、理論的な根拠なんて、あるわけないじゃない。

そして何より、変わっていくことを、もっともっと認めあえる世の中になるといいよね。

思い出したけど、経営企画の仕事をしていた私がその後、翻訳業やイベント制作をした。

のちに転職活動をしたとき、その経歴をみた面接官ほぼ全員が「なぜ経営企画からイベントにいこうと思ったんですか?」と聞いてきた。

それらしい理由を用意して説明していたが、私はそう聞かれるたびに心からうんざりしていた。

「その時、そうしたいと思ったからです」

それ以外に、理由なんてあるかよ。

そう考えると、今の会社の人は、その経歴をおもしろがってくれた唯一の人だったな。

あらためて感謝だね。

ということで、こんな他愛のない日記をなぜかまとめてみる。

・ヒットを狙わず自然体で書こう
・ジブリは正直者の集まりだから好き
・今の会社に感謝だね

おわり。

#ただの日記  #ジブリ汗まみれ #正直に生きる

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